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『素描の法則』 9: 老人と若者、幼児の頭部習作 (Five Studies of Heads of an Old Man with Turban, Two Young Men, and Two Babies. Plate 9 from "I Principi del Disegno")

ステーファノ・デッラ・ベッラ (Stefano della Bella)

フィレンツェ出身の版画家ステーファノ・デッラ・ベッラが1641年から1643年頃に制作したエッチング作品『素描の法則』より、9番目の図版「老人と若者、幼児の頭部習作」は、国立西洋美術館に所蔵されています。この作品は、素描の基礎を学ぶための教則本の一部として制作された一連の頭部習作のひとつであり、様々な年代の人物の顔の表情や特徴を巧みなエッチング技法で表現しています。

作品の姿と内容

この作品は、横長の画面に5つの異なる頭部が配置された構成となっています。画面の左側には、ターバンを巻いた老人の頭部が描かれ、その顔には深いしわが刻まれ、厳しい表情を見せています。老人の頭部の右斜め上には、やや俯き加減の若者の顔があり、その柔らかな輪郭が老人との対比を際立たせています。さらに、画面の中央下部には、無垢な表情をした幼児の顔が二つ、異なる角度から描かれており、そのふっくらとした頬や丸みを帯びた額が、細い線で丁寧に表現されています。また、画面の右端には、もう一人の若者の頭部が、老人とは異なる角度で配置され、生き生きとした表情を捉えています。それぞれの頭部は、個別のポートレートとして存在しながらも、画面全体で生命の異なる段階や多様な感情を象徴するように配置されており、エッチング特有の繊細な線描によって、それぞれの人物の髪の毛の質感や肌の陰影が細部にわたり表現されています。

背景・経緯・意図

17世紀のヨーロッパ、特にイタリアでは、美術アカデミーの発展とともに素描(デッサン)の重要性が高まっていました。ステーファノ・デッラ・ベッラは、当時のフィレンツェで活躍した版画家であり、メディチ家などの有力なパトロンに支えられ、多くの作品を手がけました。彼は風景画や風俗画、祝祭の記録画などで知られていますが、一方で素描教育のための作品も多数制作しています。この「素描の法則」シリーズは、画家を志す者が人物の頭部や身体の構造、表情などを学ぶための手本として企画されたと考えられます。当時、素描は絵画制作の基礎であり、人物の顔は感情や個性を表現する上で最も重要な要素とされていました。このシリーズを通じて、デッラ・ベッラは弟子や若手画家たちに、人間の多様な顔つきを観察し、的確に描写する技術を伝えることを意図していたと推測されます。

技法や素材

本作品は、エッチングという銅版画の技法を用いて制作されています。エッチングは、16世紀初頭にドイツで始まり、17世紀に最盛期を迎えた技法です。まず、銅板の表面に防蝕剤であるグランドを均一に塗布し、乾燥させます。次に、ニードルと呼ばれる尖った道具でグランドを引っ掻いて線を描き、銅板を露出させます。その後、酸(腐蝕液)に銅板を浸すと、グランドが剥がれて露出した部分のみが腐蝕され、溝が形成されます。腐蝕の時間や酸の濃度を調整することで、線の太さや深さを自由に加減できるのが特徴です。最後にグランドを除去し、凹んだ部分にインクを詰め、プレス機で紙に刷り上げることで版画が完成します。エッチングは、直接版を彫るエングレーヴィングに比べて、ニードルによる描画がデッサンと同様に自由な手の動きを可能にするため、画家の筆致をダイレクトに表現しやすいという利点がありました。ステーファノ・デッラ・ベッラはこの技法を巧みに操り、細い線で人物の表情の微細な変化や陰影を詳細に描写しています。

意味

この作品に描かれている老人、若者、幼児の頭部習作は、単なる人物描写に留まらず、芸術家が人間という主題を深く探求するための基礎的な訓練の重要性を示しています。美術史において、頭部の習作は、人物の感情や個性を表現するための解剖学的理解と観察力を養う上で不可欠な要素でした。特に、様々な年代の顔を描くことで、加齢による顔の変化、肌の質感、表情筋の動きなど、多角的な視点から人間の生理的な特徴を捉えることが求められます。また、古代ギリシャ以来、人体の理想的な比率「カノン」の探求が美術の重要なテーマとされてきましたが, これらの習作は、理想的な美だけでなく、現実の人間が持つ多様な表情や容貌を記録し、表現するための実践的な訓練としての意味合いも持っていました。老いと若さ、無垢な幼児の顔の対比は、人生のサイクルや人間の存在そのものへの考察を促すものでもあります。

評価や影響

ステーファノ・デッラ・ベッラの版画作品は、当時から広く評価され、多くの画家や版画家に影響を与えました。特に「素描の法則」のような教則的なシリーズは、後進の芸術家たちの教育に大きく貢献したと考えられます。17世紀にエッチングを芸術表現として確立させたレンブラント・ファン・レインと並び, デッラ・ベッラもまた、この技法の可能性を追求し、その普及に寄与しました。彼の生み出す繊細で表現力豊かな線描は、当時の美術界において、素描の技術と版画の芸術性を高めるものとして認識されました。現代においても、彼の作品は、17世紀のイタリアにおける素描教育の実践を伝える貴重な資料であるとともに、卓越したエッチング技術を示すものとして、国立西洋美術館をはじめとする世界中の美術館に所蔵され、その芸術的価値が再評価されています。