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「荷宝蔵壁のむだ書」

歌川国芳 / Utagawa Kuniyoshi

歌川国芳(うたがわくによし)による大判錦絵(おおばん にしきえ)三枚続「荷宝蔵壁のむだ書」(にたからぐらかべのむだがき)は、弘化(こうか)4年(1847年頃)に発表された戯画(ぎが)の傑作です。天保(てんぽう)の改革による厳しい出版統制下で、規制の対象となった役者絵を機知に富んだ表現で描き、当時の庶民の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのような反骨精神を示した作品として知られています。

作品の姿と内容

この作品は、複数枚の続絵(つづきえ)として制作され、それぞれが土蔵の外壁に描かれた落書きを模しています。画面全体は、経年で一部が剥がれたり擦れたりしたような風合いを持つ、白または黒の塗り壁と、下部の板張りである腰壁(こしかべ)で構成されています。腰壁の色は黄色や黒など版によって異なり、この絵が単一の作品ではなく、連作であることを示唆しています。そこに描かれているのは、釘などで引っ掻いたかのような線で、滑稽にデフォルメされた歌舞伎役者の似顔絵です。これらの似顔絵は、役者の個性を強調しつつも、通常の大首絵(おおくびえ)や舞台姿の役者絵とは一線を画す、非常に自由で奔放なタッチで表現されています。例えば、手拭いを被って踊る猫又(ねこまた)が中心に据えられた図では、その猫又の背後に人気役者の似顔絵が配されるなど、一見すると無関係なモチーフの中に巧みに役者の特徴が織り込まれています。これらの「むだ書」には、筆致が拙く見えるよう意図的に描かれた文字や、版元の印までが落書き風に記されており、徹底して「壁のいたずら書き」という体裁を装っています。

背景・経緯・意図

「荷宝蔵壁のむだ書」が刊行された弘化(こうか)4年(1847年)は、天保(てんぽう)の改革(1841年~1843年)による出版統制がまだ色濃く残る時代でした。老中水野忠邦(みずのただくに)が主導したこの改革は、奢侈(しゃし)を禁じ、風俗の取り締まりを強化するもので、特に庶民の娯楽の中心であった歌舞伎や浮世絵は厳しく規制されました。役者絵や遊女の絵は刊行が禁止され、歌舞伎役者自身も江戸十里四方から追放されるなど、厳しい弾圧を受けました。こうした状況下で、浮世絵師たちは役者絵を描くことができなくなり、その生計を脅かされました。歌川国芳も例外ではありませんでしたが、彼は持ち前の反骨精神と豊かな想像力で、この困難な時代を乗り越えようと試みました。本作は、「似たから」(似顔絵)と「荷宝蔵」を掛け合わせた題名であり、土蔵の壁の落書きという形式をとることで、表向きは役者絵ではないと主張し、検閲の目をかいくぐろうとした国芳の意図が込められています。また、役者を動物に見立てて描く「寄せ絵(よせえ)」などの風刺画も、国芳が規制を回避するために用いた手法の一つです。

技法や素材

本作品は、多色摺(たしょくずり)の錦絵(にしきえ)という浮世絵の技法で制作されています。版木(はんぎ)に彫られた線と色版(いろはん)を用いて、複数の色を重ねて摺り上げることで、豊かな色彩表現を可能にしました。しかし、この作品では、通常の役者絵に見られるような精緻(せいち)な描写や豪華な色彩は意図的に抑えられています。むしろ、釘で引っ掻いたような粗い線描(せんびょう)や、色褪せたような落ち着いた色彩を用いることで、「壁のむだ書」としてのリアリティを追求しています。落款(らっかん)や版元印(はんもといん)まで手書き風に表現されている点も、徹底した演出の一環です。使用されている素材は、当時の浮世絵版画に一般的に用いられた和紙と、植物由来の顔料です。この時代の浮世絵は、大量生産が可能でありながらも、絵師、彫師、摺師(すりし)、版元の共同作業によって高い芸術性を実現していました。

意味

「荷宝蔵壁のむだ書」は、単なる落書きではなく、天保(てんぽう)の改革下で自由を奪われた庶民の鬱憤(うっぷん)や、役者絵を求める強いニーズを代弁する意味合いを持っていました。題名の「荷宝蔵(にたからぐら)」が「似たから蔵(にたからぐら)」(似顔絵が詰まった蔵)を掛けているように、表向きは「むだ書」としながらも、その本質は紛れもなく人気の歌舞伎役者の似顔絵です。これらのデフォルメされた役者たちは、規制によって表舞台から一時的に姿を消したスターたちへの、庶民の変わらぬ愛情と関心を示しています。また、作品にしばしば登場する猫などの動物は、当時の歌舞伎の演目や役者のしぐさを連想させるものであり、隠された批評性やユーモアを含んでいます。これは、直接的な表現が許されない状況下で、絵師が知恵を絞り、視覚的な遊びや謎解きを通してメッセージを伝えようとした試みであり、検閲に対する一種の抵抗でありました。

評価や影響

「荷宝蔵壁のむだ書」は、発表当時、厳しい規制の目をかいくぐりながらも、その機知とユーモア、そして反骨精神によって、庶民から絶大な支持を得たと考えられます。デフォルメされた役者たちの姿は、当時のファンにとって、親しみやすさと同時に、禁じられたスターたちを偲(しの)ぶ喜びを与えました。現代においては、この作品は単なる戯画(ぎが)としてだけでなく、天保(てんぽう)の改革という美術史上の特異な時代背景を理解する上で非常に重要な資料として評価されています。国芳が示した表現の工夫と自由への希求は、後世の漫画やイラストレーションにも通じる先駆的なセンスとして再評価されており、美術史において、規制下における芸術家の創意工夫を示す象徴的な作品として位置づけられています。また、この作品のように、直接的な表現を避けて暗示的にメッセージを伝える手法は、浮世絵における風刺画や戯画の発展に大きな影響を与えました。