歌川国芳 / Utagawa Kuniyoshi
歌川国芳(うたがわくによし)による浮世絵「讃岐院眷属(さぬきいんけんぞく)をして為朝(ためとも)をすくふ圖」は、江戸時代の人気作家・曲亭馬琴(きょくていばきん)の読本(よみほん)『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の一場面を描いた三枚続きの大判錦絵(おおばん にしきえ)です。荒れ狂う嵐の海で遭難する源為朝一行が、讃岐院(さぬきいん)の霊に遣わされた天狗(てんぐ)や巨大な鰐鮫(わにざめ)によって救出される劇的な瞬間を捉え、そのダイナミックな構図と幻想的な描写で見る者を惹きつけます。
この作品は、大判三枚続きの画面いっぱいに広がる荒れ狂う海の情景を基調としています。画面全体に渦巻く大波は、西洋から入ってきたばかりの鮮やかな青色であるベロ藍を多用し、その濃淡と曲線によって激しい水のうねりと飛沫(しぶき)が表現されています。画面中央左寄りには、主人公である源為朝(みなもとのためとも)が、打ち寄せる波に翻弄される舟の上で、まさに自刃(じじん)しようと短刀に手をかけている姿が描かれています。為朝はたくましい体躯(たいく)で、その表情には絶望と悲壮感が漂っています。彼が手にする刀には、江戸時代の切腹儀礼にならい布が巻かれているのが見て取れます。
為朝の背後、画面左上からは、讃岐院の霊に遣わされた烏天狗(からすてんぐ)の一群が、薄墨で描かれ半透明に、あるいは現実離れした色使いで、宙を舞い降りてきています。彼らは為朝の自害を制止し、舟の舵(かじ)を取ろうとしているかのようです。画面中央から右にかけては、為朝の嫡男である舜天丸(すてまる)と忠臣の紀平冶(きへいじ)(読本では喜平次とも)が乗る別の舟が描かれ、こちらもまた嵐に巻き込まれています。しかし、その下方には、巨大な鰐鮫(わにざめ)が姿を現し、舜天丸と紀平冶をその背に乗せて助けている様子が劇的に描かれています。 この鰐鮫は、為朝のために忠死した家臣の魂が乗り移ったものとされ、全身を覆う鱗(うろこ)にはユーモラスな渦巻き文様が一つ一つ丁寧に描かれ、愛嬌(あいきょう)のある顔つきで表現されています。
この作品は、江戸時代後期の人気作家、曲亭馬琴(きょくていばきん)が著した長編読本『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の続編における、為朝(ためとも)難船(なんせん)の場面から着想を得て制作されました。 『椿説弓張月』は、平安時代末期の武将、源為朝の伝説的な生涯を脚色した物語であり、為朝が保元(ほうげん)の乱で敗れて伊豆大島に流された後、そこから脱出し、平清盛(たいらのきよもり)を討つために京都へ向かう途中で嵐に遭遇し、妻や子を失いながらも超自然的な力によって救われるという、波乱に満ちた内容を含んでいます。
歌川国芳は、この物語のクライマックスともいえる劇的な場面を選び、三枚続きの画面を駆使して視覚化しました。当時の人々は、史実と伝説が入り混じった為朝の物語に熱狂しており、特に国芳の描く躍動感あふれる武者絵は絶大な人気を博していました。 本作は、為朝の不屈の精神と、讃岐院(崇徳上皇)の霊という超常的な存在による介入を描くことで、世の無常と英雄譚への人々の憧憬(しょうけい)に応える意図があったと考えられます。
「讃岐院眷属をして為朝をすくふ圖」は、江戸時代に確立された浮世絵の主要な表現形式である多色摺(たしょくずり)の錦絵(にしきえ)として制作されました。 浮世絵版画の制作は、絵師、彫師、摺師という三者の分業体制によって成り立っています。
まず、絵師である歌川国芳が墨一色で描いた絵(版下絵)を、彫師が版木に貼り付け、墨線を残して慎重に彫り進めます。この際、絵師の繊細な筆致を忠実に再現する技術が求められます。次に、摺師が完成した複数の版木に、それぞれ異なる色の絵具を乗せ、和紙に摺り重ねていきます。 多色摺りでは、「見当(けんとう)」と呼ばれる、紙を置くための目印を用いることで、正確な位置に色を重ねていくことが可能になりました。 本作では、当時西洋から導入されたばかりの鮮やかな青色顔料であるベロ藍が、荒れ狂う海の表現にふんだんに用いられ、その透明感と奥行きのある色彩が特徴的です。 また、天狗の姿を薄墨で表現することで、この世のものではない幻想的な存在であることを示唆するなど、色彩へのこだわりと工夫が随所に見られます。 波の飛沫(しぶき)には白い絵具が効果的に使われ、躍動感を一層高めています。
この作品が描く物語は、単なる英雄の冒険譚に留まらず、深い象徴的意味を含んでいます。源為朝は、その怪力と弓の腕前で知られる伝説的な武将であり、不屈の精神と抗い難い運命に立ち向かう人間の象徴として描かれています。 妻を失い自刃を覚悟する場面は、絶望の淵に立たされた人間の極限状態を示していますが、そこに現れる讃岐院(崇徳上皇)の眷属(けんぞく)である天狗や鰐鮫は、超自然的な力、あるいは悲劇的な最期を遂げた崇徳上皇の霊的な加護、そして天命や運命の介入を象徴しています。
特に崇徳上皇(讃岐院)は、保元の乱で敗れ讃岐に流された後、「日本国の大魔縁(だいまえん)」として、強い怨念を持つ存在として語り継がれていました。彼の眷属が為朝を救うという構図は、人間界の秩序を超えた力、あるいは不遇な運命を辿った者同士の魂の共鳴が、奇跡的な救済をもたらすという、当時の人々の間にあった一種の信仰や物語への感情移入を示していると考えられます。 鰐鮫に助けられる舜天丸(すてまる)と紀平冶(きへいじ)の描写も、為朝の血筋や忠臣の魂が途絶えることなく続くことへの希望や、大いなる自然の摂理による救済を意味すると解釈できます。
歌川国芳の「讃岐院眷属をして為朝をすくふ圖」は、発表当時、そのダイナミックな構図と劇的な表現で江戸の人々から絶大な人気を博しました。国芳は「武者絵の国芳」と称されるほどの武者絵の名手であり、彼の作品は当時のベストセラー読本『椿説弓張月』と相まって、大衆の想像力を刺激しました。
彼の武者絵は、躍動感あふれる人物描写、奇抜なアイデアに満ちた構図、そして圧倒的な迫力を持ち、現代の漫画やアニメといったファンタジー作品にも通じる創造性を有していると評価されています。 本作も、三枚続きの画面を最大限に活用したワイドスクリーン的な表現や、西洋画法の影響を受けた遠近法や陰影表現、そして青色の多用など、当時の浮世絵としては革新的な試みが随所に見られます。
これらの独創的な表現は、後世の浮世絵師、特に国芳の弟子である月岡芳年(つきおかよしとし)や河鍋暁斎(かわなべきょうさい)といった幕末から明治にかけて活躍した絵師たちに大きな影響を与え、彼らの幻想的で大胆な作品群の萌芽(ほうが)となりました。 近年、歌川国芳の作品は、その斬新な造形性と現代にも通じる魅力が再評価され、国内外で大規模な展覧会が開催されるなど、浮世絵史におけるその位置づけはより確固たるものとなっています。 本作は、国芳のイマジネーションと技術、そして当時の社会状況や人々の嗜好(しこう)が見事に融合した、彼の代表作の一つとして高く評価されています。