歌川広重 / Utagawa Hiroshige
歌川広重による連作「東海道五十三次之内」の一枚である「川崎」は、江戸から京都へ向かう東海道において、二番目の宿場である川崎宿の手前に位置する六郷川(ろくごうがわ)の渡し場を描いた浮世絵風景画です。この作品は、多くの旅人を乗せた渡し舟が川を行き交う情景を詩情豊かに捉え、当時の旅の様子を現代に伝えています。
画面の中央には、広々とした六郷川(現在の多摩川)の水面が大きく広がり、複数の渡し舟が川を横断する様子が描かれています。手前の岸辺には、渡し舟を待つ旅人たちが点在しており、中には荷物を抱え、連れ合いと話す者、対岸の様子を眺める者など、様々な人物の姿が見られます。渡し舟に乗る人々もまた、身分の異なる旅人や商人が混在し、それぞれが旅路の途上にあることを示唆しています。船上では、棹(さお)を力強く踏ん張りながら舟を進める船頭たちの姿が描かれ、その動きが画面に躍動感を与えています。 川の向こう岸には、川崎宿の家並みがかすかに見え、そのさらに奥には、西日で赤く染まった空が広がり、雪をいただく富士山が雄大な姿を見せています。川面の深い藍色と、遠景に配された空や富士山の色彩が鮮やかなコントラストをなし、奥行きのある空間を創り出しています。また、川の河口からは米や味噌といった生活物資を積んだ帆掛船が上流へと向かい、山村からは薪炭(しんたん)や鮎(あゆ)などの産物を運ぶ帆掛船が下流へと向かう様子が描かれ、水運の賑わいをも伝えています。
この作品は、歌川広重の代表作として知られる保永堂(ほうえいどう)版「東海道五十三次之内」の三番目の宿場として、天保(てんぽう)四年から五年(1833-1834年)頃に版行されました。江戸時代後期、太平の世が長く続いたことで庶民の間には旅行ブームが到来し、実際に旅に出ることが難しい人々も、浮世絵を通じて旅気分を味わうことが盛んになりました。 東海道は、江戸と京都を結ぶ主要な街道であり、五十三の宿場が整備されていました。川崎宿は、日本橋から数えて三番目にあたる重要な宿場でした。この六郷川は、東海道における最初の大きな難所の一つで、かつては橋が架けられていたものの、度重なる洪水によって流失したため、この頃には舟での渡河が常態化し、「六郷の渡し」として旅人に利用されていました。 広重は、このシリーズを制作するにあたり、実際に東海道を旅して写生したとも伝えられており、各宿場ごとの特徴的な風景や、そこに暮らす人々の営み、旅人の様子を克明に描写することで、単なる名所案内にとどまらない、情感豊かな作品群を生み出すことを意図していました。この「川崎」においては、江戸を離れる旅人が最初に経験する大きな水路の情景を通じて、旅の始まりの期待と、江戸を後にする哀愁が交錯する瞬間を表現しようとしたと考えられます。
「東海道五十三次之内」シリーズは、木版多色刷り(もくはんたしょくずり)の錦絵(にしきえ)という浮世絵の技法で制作されています。この技法では、絵師が描いた下絵を基に、彫師(ほりし)が色ごとに複数の版木を彫り分け、摺師(すりし)がそれらを一枚の和紙に正確に摺り重ねていきます。 広重の作品、特に風景画においては、空や水面の表現に「ぼかし」という技法が多用されています。これは、版木の一部に顔料を濃く塗り、水で濡らした刷毛(はけ)で次第に薄めることで、色の濃淡を段階的に変化させ、朝焼けや夕焼け、水蒸気の立ち込める様子などを、より自然で情感豊かに表現するものです。本作における西日で赤く染まった空や、川の深い藍色の表現にもこのぼかしが効果的に用いられ、時間帯や天候の雰囲気を巧みに描写しています。また、最高級の和紙である越前生漉奉書(えちぜんきずきほうしょ)が使用されていたと推測され、これにより繊細な色彩と力強い線描が美しく表現されました。
六郷川の渡しは、東海道を旅する者にとって、江戸という大都市を完全に離れ、いよいよ本格的な旅路に入ることを実感させる場所でした。この作品に描かれる渡し舟の情景は、単なる交通手段の描写に留まらず、旅の厳しさや、人々の交流、そして移りゆく自然の姿といった、当時の日本の社会と文化を象徴する意味を持っています。 川を行き交う帆掛船は、当時、東海道が単なる人の往来だけでなく、物資輸送の幹線でもあったことを示唆しています。米や味噌、薪炭や鮎といった品々が運ばれる様子は、川崎宿が物資の集散地としても機能し、周辺地域の経済活動に深く関わっていたことを象徴しています。 また、画面奥に描かれる西日の赤と雪を戴く富士山の対比は、一日の終わりと、移ろいゆく季節、そして日本を象徴する聖なる山の存在を同時に示し、旅人の心に郷愁や感慨といった深い感情を呼び起こす普遍的な意味合いも持ち合わせています。
歌川広重の保永堂版「東海道五十三次之内」は、発表されるやいなや爆発的な人気を博し、広重を浮世絵風景画の第一人者としての地位に押し上げました。このシリーズは、それ以前に葛飾北斎が手がけた「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」と共に、風景画というジャンルを浮世絵の中で確立し、その後の浮世絵界に大きな影響を与えました。 「川崎」を含む「東海道五十三次之内」の成功は、広重自身に20種類以上もの東海道シリーズを制作させるきっかけとなり、さらに多くの浮世絵師が東海道を題材とした作品を手がけることとなりました。 これらの広重の風景画は、幕末から明治期にかけて日本を訪れた西洋人によって持ち帰られ、ジャポニスムとして西洋美術に多大な影響を与えました。特に、大胆な構図、遠近法の巧みな使用、そして色彩の表現は、印象派やポスト印象派の画家たち、例えばフィンセント・ファン・ゴッホなどにインスピレーションを与え、彼らの作品にもその影響を見ることができます。 「東海道五十三次之内 (川崎)」は、単なる風景描写にとどまらず、当時の人々の生活や感情、そして日本の自然の美しさを伝える歴史的資料としても、現代において非常に高く評価されています。