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東海道五十三次之内 (坂之下)

歌川広重 / Utagawa Hiroshige

歌川広重による浮世絵「東海道五十三次之内 (坂之下)」は、旅情豊かな東海道の宿場風景を描いた名作シリーズ「東海道五十三次」の一点です。本作品は、伊勢国(現在の三重県亀山市)に位置する坂之下宿(さかしたじゅく)を描いており、特に「筆捨嶺(ふですてみね)」という副題が示す奇岩の山を主題としています。

作品の姿と内容

画面の大部分を占める左手には、南画(なんが)風に大きく描かれた雄大な筆捨山(ふですてやま)、別名岩根山(いわねやま)がそびえ立ちます。山肌にはごつごつとした奇岩が露出し、その合間には松の木が生い茂り、山頂付近から二条の滝が勢いよく流れ落ちる様子が見事に表現されています。この山は紺碧の遠い山並みを背景にしており、その異形が一層際立って見えます。山と手前の街道の間には鈴鹿川(すずかがわ)の渓谷が深く横たわっていると推測されます。右下の手前には、いくつかの旅人たちが描かれています。彼らは街道沿いの茶屋の床机(しょうぎ)に腰かけ、旅の疲れを癒している者や、あるいは屋外で手をかざし、その圧倒的な筆捨山の絶景を仰ぎ見ている者など、様々です。茶屋には荷を積んだ牛が近づいてきており、宿場町の活気を感じさせます。広重は、この名所の特徴を捉えつつも、実際には存在しない滝を加えることで、景観描写の効果をさらに高める演出を施しています。

背景・経緯・意図

本作品は、歌川広重の代表作である「東海道五十三次之内」の保永堂(ほうえいどう)版(天保(てんぽう)四年から五年(一八三三〜三四)頃出版)の一部です。江戸時代、東海道は江戸と京都を結ぶ大動脈であり、将軍の支配強化を目的として整備された五街道(ごかいどう)の中でも特に重要な街道でした。当時の庶民の間では、寺社参詣(さんけい)や湯治(とうじ)を名目としながらも、道中の名所めぐりや飲食、土産物選びといった物見遊山(ものみゆさん)の旅が流行していました。十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本(こっけいぼん)「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」などの出版物も相まって、旅への関心は高まりを見せていました。広重は天保三(一八三二)年に自身も東海道を旅し、その経験に基づいてこの連作を制作しました。坂之下宿は、鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)を越える東海道の難所の一つ、鈴鹿峠(すずかとうげ)を控えた交通の要衝であり、多くの旅人が宿泊したといわれる宿場町でした。広重は、旅人たちがこの難所を前に、雄大な自然の景観を眺めながら休息を取る情景を通じて、当時の旅のロマンと風情を表現しようと意図したと考えられます。

技法や素材

この作品は、浮世絵(うきよえ)の主要な技法である木版多色刷り(もくはんたしょくずり)の錦絵(にしきえ)で制作されています。これは絵師による下絵(したえ)を、彫師(ほりし)が複数の版木(はんぎ)に彫り分け、摺師(すりし)が顔料(がんりょう)を使い分けて一枚一枚手作業で重ねて摺(す)り上げる、高度な分業体制によって成り立っています。広重の「東海道五十三次」シリーズでは、版元の保永堂(ほうえいどう)と、鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)(仙鶴堂(せんかくどう))が共同で出版を手掛けていたことが知られています。広重は、風景画(名所絵(めいしょえ))の第一人者として、特に自然の気候変化や四季の装いを巧みに表現するために、ぼかしやたらし込みといった独自の摺りの技術を駆使し、奥行きのある空間表現や叙情豊かな情景を作り出すことに長けていました。

意味

作品に描かれる筆捨山には、室町時代の絵師である狩野元信(かのうもとのぶ)が、あまりの絶景に心を奪われ、あるいは気象の変化に描くことを断念し「筆を投げ捨てた」という伝説が残されています。広重は、この歴史的な逸話を持つ景勝地を、日常的な街道の眺望として見事に画面に切り取りました。この作品は、単なる風景描写に留まらず、雄大な自然への畏敬(いけい)の念と、それを前にした旅人の感情を呼び起こすものです。また、「東海道五十三次」の連作全体がそうであるように、この作品もまた、当時の人々にとって、未だ見ぬ遠方の名所への憧れを掻き立て、旅の疑似体験を提供する役割を担っていました。それぞれの宿場の地理や文化に触れることができる点も、作品が持つ大きな意味の一つです。

評価や影響

「東海道五十三次之内 (坂之下)」を含む保永堂版「東海道五十三次」は、歌川広重の最も有名で、当時最も売れた浮世絵木版画シリーズとされています。本シリーズは、葛飾北斎(かつしかほくさい)の「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」と共に、名所絵(風景画)というジャンルを確立し、浮世絵(うきよえ)に新たな表現の可能性をもたらしました。広重の作品は、西洋の遠近法などの構成表現を取り入れつつも、それを日本独自の詩情豊かな表現へと昇華させており、その革新性は高く評価されています。このシリーズは、国内外で絶賛され、後の西洋美術、特に印象派の画家たち、例えばフィンセント・ファン・ゴッホやクロード・モネなどにも大きな影響を与えたことが知られています。広重の風景画は、当時の人々に観光地の絵葉書のように親しまれ、旅への関心を一層深める役割を果たした一方で、現代においては江戸時代の社会や文化、そして美しい日本の風景を伝える貴重な資料として、美術史に不動の地位を築いています。