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三代目菊五郎の天竺冠者、澤村訥升の不破伴左衛門、二代目尾上菊次郎の沖の井、十二代目市村羽左衛門の足利頼兼

東洲斎写楽 (伝) / Attributed to Tōshūsai Sharaku

東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)作(伝)の「三代目菊五郎(おのえ きくごろう)の天竺冠者(てんじくかじゃ)、澤村訥升(さわむら とっしょう)の不破伴左衛門(ふわ ばんざえもん)、二代目尾上菊次郎(おのえ きくじろう)の沖の井(おきのい)、十二代目市村羽左衛門(いちむら うざえもん)の足利頼兼(あしかが よりかね)」は、江戸時代に活躍した歌舞伎役者たちの舞台姿を捉えた浮世絵木版画である。

作品の姿と内容

この作品は、四人の人気歌舞伎役者が演じる登場人物たちが、それぞれ印象的なポーズで配置された群像図である。画面中央やや左寄りに配されているのは、三代目菊五郎が演じる天竺冠者である。彼は眉を釣り上げ、口をきつく結んだ精悍(せいかん)な表情で、やや左方向を見据えている。その顔は写楽特有のデフォルメが効いており、顎(あご)の線や頬骨(ほおぼね)が強調されている。豪華な衣装には複雑な文様が描かれ、役柄の異国風で力強い雰囲気を醸し出している。その右隣に立つのは、澤村訥升が扮(ふん)する不破伴左衛門である。彼は堂々とした体躯(たいく)で立ち、大きく開いた目で画面手前を見つめている。威厳と傲慢さが入り混じったような表情は、豪快な武士役の個性を際立たせている。画面の左側には、女性役(女形(おんながた))である二代目尾上菊次郎の沖の井が配置されている。彼女はややうつむき加減で、哀愁を帯びた表情を見せている。その指先まで繊細に表現された仕草からは、内面に秘めた感情が伝わってくるかのようである。そして、画面右端には十二代目市村羽左衛門が演じる足利頼兼が立つ。彼はやや斜に構え、知的ながらもどこか思惑(おもわく)を秘めたような眼差しを向けている。これらの四人の役者は、それぞれが異なる表情とポーズを取りながらも、一枚の画面の中で劇的な緊張感と調和を保ち、見る者に舞台の一場面を想起させる構成となっている。色彩は限られた範囲で効果的に使われ、役者の顔や衣装の細部に至るまで、力強い墨線と鮮やかな顔料によって、個々の役柄の特質が鮮明に描き出されている。

背景・経緯・意図

本作品が制作された寛政(かんせい)六年から七年(1794年-1795年)頃の江戸時代中期は、歌舞伎が大衆娯楽の中心として絶大な人気を誇っていた時代である。特に江戸の町では、中村座、市村座、森田座(後に河原崎座)といった芝居小屋が立ち並び、人気役者の一挙一動が庶民の話題の中心であった。浮世絵における役者絵は、このような社会状況を背景に、単なる役者の似顔絵としてではなく、舞台の宣伝や、役者への憧れを満たす媒体として広く需要があった。東洲斎写楽は、わずか約十ヶ月という短期間に集中的に役者絵を発表し、忽然(こつぜん)と姿を消した謎の浮世絵師である。その正体については諸説あるが、当時の歌舞伎界に深い知識を持つ人物であったと推測されている。本作品に描かれた役者たちは、いずれも当時の名優であり、写楽は彼らが演じる特定の役柄を通して、その個性や内面性をも深く掘り下げて表現しようとしたと考えられる。通常の役者絵が役者の美化や舞台の記録に重きを置いたのに対し、写楽の作品は役者の本質や演技の特徴を捉え、それを独自の様式で大胆にデフォルメすることで、単なる肖像画を超えた芸術性を追求していたと推測される。

技法や素材

この作品は、当時の浮世絵版画の主流であった多色摺(たしょくずり)の技法、通称「錦絵(にしきえ)」によって制作されている。まず、絵師が描いた絵に基づいて、版下絵(はんしたえ)が作られ、彫師(ほりし)がそれを版木(はんぎ)に貼り付けて彫刻を行う。色ごとに複数の版木が彫られ、最終的に摺師(すりし)がそれらを一枚の和紙に重ねて摺り合わせていく。使用されている主な素材は、楮(こうぞ)を原料とした丈夫な和紙と、植物性や鉱物性の顔料である。写楽の役者絵には、背景に雲母(きら)を摺り込むことで、役者の顔や衣装を際立たせる工夫がよく見られるが、本作品においても、それによって役者たちの存在感が強調されている可能性がある。墨の力強い輪郭線と、その内側に施された鮮やかな彩色、そして陰影表現によって、役者の表情や衣装の質感が巧みに表現されている。彫師の高い彫刻技術と、摺師による正確で繊細な摺りの技術が一体となって、写楽の描いた独特の筆致(ひっち)や役者の個性が表現されている。

意味

本作品に描かれた役者絵は、当時の歌舞伎役者とその舞台における特定の役柄を記録するものであり、観衆の記憶や憧れを呼び覚ます役割を担っていた。しかし、写楽の作品は、単に役者の容姿や舞台衣装を写し取るだけでなく、その役者が持つ個性や、演じる役柄の内面、さらには演技の瞬間的な迫力を深く捉えようとする点で、他の役者絵とは一線を画している。例えば、デフォルメされた表情や強調された身体の線は、役者それぞれの身体的特徴や演技の癖(くせ)を捉え、その本質を浮き彫りにしていると考えられる。それぞれの役者が持つ、豪快さ、精悍さ、哀愁、思慮深さといった人間的特質が、演じる役柄の性格と重ね合わされ、見る者に単なる舞台の一場面以上の深い感情や物語性を想起させる。当時の社会において、歌舞伎役者は流行の先端をいく存在であり、彼らの姿を描いた作品は、単なる美術品としてだけでなく、世相や文化を映し出す鏡としての意味も持っていた。

評価や影響

写楽の作品は、その登場と消滅の謎に包まれていることから、当時の評価については多くの議論がある。現存する作品が比較的多量であることから、一定の人気はあったと考えられているが、一方で短期間で活動を終えたことから、当時の一般的な大衆の好みとは異なる、あまりに個性的すぎる表現が受け入れられなかった、あるいは一部の好事家(こうずか)や通人(つうじん)にのみ支持された可能性も推測される。しかし、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、ドイツの美術史家ユリウス・クルトをはじめとする欧米の研究者たちによって再評価されたことで、その芸術性が国際的に認められるようになった。クルトは写楽の作品を、役者の内面を深くえぐり出した「天才」の仕事として高く評価し、その後の研究に大きな影響を与えた。現代においては、写楽は葛飾北斎(かつしか ほくさい)や歌川広重(うたがわ ひろしげ)と並び称される、浮世絵界における最も重要な巨匠の一人として世界的に認知されている。その大胆な構図、誇張された表現、そして人物の内面を深く洞察する眼差しは、後世の絵師たちに直接的な模倣を生むことは少なかったものの、浮世絵表現の可能性を広げ、後の日本の芸術表現、特に近代の肖像画や漫画の表現に通じる普遍的な価値を持つものとして、美術史において確固たる地位を築いている。