江上茂雄
江上茂雄(えがみしげお)による作品「公園の緑」は、生涯にわたり故郷の風景を描き続けた画家の創作活動の一端を示す風景画です。この作品は、彼が定年退職後に日々制作した膨大な水彩風景画の一枚、あるいはそれ以前のクレヨン・クレパス画期に描かれたものと推測され、特定の場所における穏やかな日常の情景を捉えています。
「公園の緑」は、おそらく画用紙に描かれた比較的落ち着いた色調の作品で、画面全体を覆う豊かな緑色の階調が特徴的であると推測されます。画面中央から手前にかけては、陽光を浴びて輝く芝生が広がり、その表面には、季節や時間帯によって変化する光の粒子が感じられるでしょう。奥には、大きく葉を茂らせた木々が連なり、画面に奥行きを与えています。木々は、生命力あふれる鮮やかな緑色から、深く影を落とす暗い緑色まで、多様なトーンで表現されていると想像されます。
手前の芝生には、ところどころに小さな低木や、あるいは陽光にきらめく草花の姿が点在し、色彩の控えめなアクセントとなっている可能性があります。空は、淡い青色や白みがかった灰色で描かれ、全体的に穏やかな印象を与える背景を構成しているでしょう。視線は、手前から奥へと自然に誘われ、公園の広がりと静けさを感じさせる構図です。
筆致は、水彩画であれば軽やかで透明感がありつつも、クレパスやクレヨン画であれば、顔料を幾層にも塗り重ねることで、油絵のような厚みのある独特のマチエール(絵肌)が創出されている可能性も考えられます。光は、おそらく画面上部、あるいはやや右上方から差し込み、木々の葉の間や芝生の上に明暗のコントラストを生み出し、作品に立体感と生命感をもたらしていると想像されます。遠景には、公園を取り囲むような建物や、遠くの山並みがかすかに描かれ、その土地固有の雰囲気を醸し出していると推測されます。
画家・江上茂雄は、1912年に福岡県に生まれ、15歳で三井三池鉱業所に入社し、45年間会社勤めを続けたサラリーマンでした。彼は少年時代に「画家として生きる」ことを決意しながらも、美術教育をほとんど受けることなく、独学で画業を続けました。彼が本格的に絵画制作に没頭したのは、激動の時代、特に第二次世界大戦後の復興期からであったとされています。
当時の日本は、第一次世界大戦後の不況や昭和金融恐慌を経て、世界情勢が不穏になり、第二次世界大戦へと突き進む激動の時代でした。江上は、若くして父を亡くし、母子家庭で育ち、一家を支えるために働く必要があったという厳しい境遇にありました。そのような中で、彼は「自然は誰にでも同じ姿を見せてくれる。貧乏人にも金持ちにも同じ顔だ」という風景への特別な思いを抱き、それが彼を風景画へと駆り立てる原動力となりました。
「公園の緑」が制作された正確な時期は定かではありませんが、江上は定年退職後の60歳から、熊本県荒尾市に移り住み、約30年間にわたりほぼ毎日、リュックに画材を詰めて戸外に出かけ、現地で水彩風景画を一日一枚制作する生活を送りました。この作品も、彼にとって身近な生活圏である荒尾運動公園周辺のような、日々の散策の中で出会った風景を描いたものと推測されます。そこには、自然が持つ普遍的な優しさや、自身の生活圏で営まれる静かな日常を誠実に記録しようとする画家の純粋な動機が込められていると考えられます。
江上茂雄は、高価な油絵具が入手困難であったため、主にクレヨン、クレパス、水彩絵具といった身近な画材を用いて制作を行いました。会社員時代にはクレパスやクレヨンを多用し、その画材を何層にも塗り重ねることで、油絵に迫るような厚みのあるマチエールや力強い表現を追求したとされています。彼のクレパス画には、「ガシガシと力いっぱい擦りつけたような跡」が残る作品もあると評されています。
定年退職後は、水彩絵具による風景写生画を主な制作方法としました。水彩は力が必要ないため、高齢になってからも制作を継続できたという彼の言葉も残されています。彼の水彩画は、透明感のある色彩と、光の移ろいや空気感を捉える繊細な筆致が特徴であったと推測されます。また、特定の絵の先生につくことなく独学で描いたため、東京から送られてくる美術雑誌などで最新の動向を貪欲に学びつつ、限られた画材で自分なりの表現方法を確立していきました。
この「公園の緑」も、クレパス・クレヨン画であれば、顔料を幾層にも重ねることで深みのある緑色を表現し、水彩画であれば、絵具の濃淡や水の広がりを利用して、緑の葉や芝生の瑞々しさ、光の透過を巧みに描き出したと想像されます。これらの画材と技法の選択は、彼自身の境遇と、それに対する表現への飽くなき探求心によって育まれたものでした。
江上茂雄の風景画、特に「公園の緑」のような身近な自然を描いた作品は、単なる目の前の光景の写し取り以上の、深く象徴的な意味を内包しています。彼にとって風景は、「貧乏人にも金持ちにも、誰にでも同じ顔を見せてくれる」普遍的な存在であり、差別や困難が多かった人生において、常に優しさや慰めを与えてくれる対象であったと語られています。
この作品における「緑」は、生命力や再生、そして日常の中にある静かな安らぎを象徴していると考えられます。公園という場所は、人々が集い、憩い、自然と触れ合う場であり、そこに広がる緑の空間は、心の平穏や癒しをもたらします。江上は、激動の時代を生きてきた中で、自己の感情を直接的に表現するよりも、目の前の風景に自身の内面的な心情や、人間が生きる上での根源的な希望を重ね合わせようとしたと推測されます。彼の作品群全体に共通する風景への深い愛情は、「公園の緑」においても、見る者に静かで深い感動を呼び起こす主題として表現されていると考えられます。それは、どんな状況下にあっても変わらず存在し続ける自然の優しさに、生きる意味を見出した画家の哲学が反映されたものでしょう。
江上茂雄は、生前ほとんど個展を開くことなく、会社勤めの傍ら、そして定年退職後もひたすらに絵を描き続けた「路傍の画家」「アマチュア画家」として知られています。しかし、彼の作品は決してアウトサイダー・アートの枠に留まるものではなく、独学でありながらも、東京から送られてくる美術雑誌などで美術史の動向を貪欲に吸収し、確かな画力と独自の表現を確立した点で高く評価されています。
特に2013年には、福岡県立美術館などで大規模な個展が開催され、2014年に101歳で没する直前まで描き続けたその膨大な作品(2万点以上ともいわれる)と、特異な画業に対して再評価の機運が高まりました。彼の絵画は、見る者に「絵を見終えた感じがない。その先を追おうとする感覚が続いている」と評されるほど、見る者の想像力を掻き立てる力を持つとされています。また、そのひたむきな制作態度は、多くの人々に生きる力や創作への情熱を伝えてきました。
現代においては、既存の美術史的枠組みやマーケット分析では捉えきれない、江上茂雄という個人の破格の存在として、その芸術的価値が再認識されつつあります。彼の作品は、地方の公立美術館にも収蔵されており(福岡県立美術館など)、美術教育を受けていない「アマチュア画家」でありながらも、日本近代美術史において独自の、そして非常に重要な位置を占める存在として、今後も研究と評価が進められていくことでしょう。