堀内正和
彫刻家、堀内正和が1950年に制作した《Cubi(キュービ)》(Head)は、具象から抽象への移行期に生み出された初期の抽象彫刻作品であり、幾何学的な形態が示唆する「頭部」という主題を通して、形の本質を探求した一例です。
高さ39.5センチメートルの本作は、石膏を素材としており、複数の幾何学的な面と線によって構成されています。その全体像は、立方体や直方体といったソリッドなブロックが複雑に組み合わされ、あたかも抽象化された頭部を形成しているかのようです。作品には明確な顔のパーツは存在せず、代わりに、互いに隣接し、あるいはわずかに角度を変えて配置された平面が、見る者の視線によって多様な陰影を生み出します。素材である石膏は、その特性上、滑らかな表面を保ちつつも、どこか有機的な温かみを帯びた質感を持ち、硬質な幾何学形態に柔らかな印象を与えています。個々の面が作り出すシャープな稜線と、それらの集合体が織りなす空間的なボリュームが、鑑賞者に抽象的ながらも「頭部」という概念を強く想起させる視覚的な構造を持っています。
堀内正和は1911年に京都に生まれ、当初は具象彫刻を制作していましたが、若くして村山知義の著作などに触れ、新しい美術の潮流に強い関心を示しました。東京高等工芸学校彫刻部で学んだ後、二科会の美術研究所で藤川勇造に師事します。1933年に胸部疾患のため一時制作を中断し、第二次世界大戦中も展覧会への出品を控えるなど、創作活動から距離を置いた時期がありました。この戦時中、彼はアテネ・フランセに通い、フランス語やラテン語を習得し、西洋美術史や哲学に没頭しました。この期間は、彼が戦後に彫刻家として再出発するための思想的な基盤を形成する上で極めて重要であったと考えられます。戦後の1947年に二科会に復帰した後、1950年には京都に移り、京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)の教授に就任します。この時期を境に、堀内は本格的に抽象彫刻の制作へと舵を切り、本作《Cubi(Head)》はその萌芽を示す作品の一つです。 彼は、形態の根源には最も単純な規則が存在し、そこから複雑な形が派生するという考えを持っていました。そのため、水平、垂直、直角といった基本的な条件に基づく形の組み合わせを探求する「組合せ練習」に着手し、量塊としての彫刻から、面と線による構成へと移行していきました。本作は、この新たな探求の始まりを告げる作品であり、人間の頭部という具象的なモチーフを、幾何学的な抽象形態によって表現しようとする堀内の意図が明確に表れています。彼は「彫刻には理屈や説明はいらぬ。純粋な直感に出会いさえすれば、彫刻はいつでもすぐに歌いだすものだ」と述べるとともに、「なにか数学的な規則で割り切れる形は、美しいと思う」とも語っており、知的な探求と直感的な美意識が融合した制作姿勢が見て取れます。
本作には石膏が主要な素材として用いられています。1950年代の堀内は、セメントや石膏を用いて幾何学的な形態の探求を進めていましたが、これらの素材では「面にどうしても厚みが出てしまう」ことを感じていました。それでもなお石膏が選ばれたのは、その可塑性と、形を素早く構築し、修正しながら試行錯誤する過程に適していたためと考えられます。彼は後に、より純粋な線と面による構成を追求するために鉄溶接彫刻へと移行しますが、《Cubi(Head)》は、その前段階における形態実験の痕跡を色濃く留めています。具体的な制作技法としては、石膏を塊として削り出すか、あるいは板状にした石膏を組み合わせて接着するといった方法が考えられます。彼の制作過程においては、机上で小さな紙の模型を何度も作り、手で触れながら新しい形を発見するという試行錯誤が繰り返されたとされており、本作もそうした綿密な事前検討を経て、具現化されたものと推測されます。
作品名にある「Cubi(キュービ)」は立方体(Cube)を想起させ、「Head」は頭部を意味します。この二つの言葉の組み合わせは、人間の頭部という有機的な形を、立方体的な、すなわち幾何学的な要素によって抽象的に表現しようとする堀内の試みを明確に示しています。これは、具象的な外界の模倣から離れ、形の原理そのもの、あるいは幾何学的な秩序の中に普遍的な美を見出そうとする「アール・コンクレ(具体美術)」の思想に通じるものです。堀内は、芸術を「物ではなく意識の作用」であると捉え、形の探求を通じて「美という観念を揺るぎない実在にしよう」と試みました。 《Cubi(Head)》は、単なる頭部の肖像ではなく、頭部が持つ本質的な構造や空間性を、純粋な幾何学的形態へと還元することで表現しようとしています。これは、レオナルド・ダ・ヴィンチが人体のプロポーションに幾何学的な秩序を見出したように、堀内もまた、人体の最も象徴的な部分である頭部に、普遍的な造形の原理を見出そうとした精神的な探求の表れと言えるでしょう。
堀内正和は、戦後日本の抽象彫刻の概念成立に寄与し、近代と現代の彫刻史をつなぐ重要な作家として評価されています。特に、日本の幾何学抽象彫刻の先駆者の一人として、美術史において確固たる地位を築いています。 《Cubi(Head)》が制作された1950年頃は、日本において抽象表現、特に抽象彫刻が本格的に展開し始めた時期であり、その後の日本の抽象彫刻の隆盛に大きな影響を与えました。堀内の作品は、明快な幾何学的形態の中にユーモア感覚を盛り込んだ独自の芸術として、同時代および後世の作家たちにも影響を与え、現代日本彫刻界に確固たる地歩を築きました。彼の幅広い作風は、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートとの類似性から評価されることもありますが、その本質的な関心は、形態の原理そのものの探求にありました。 また、堀内は、京都市立芸術大学の教授を務め、美術教育にも尽力したほか、文筆家・翻訳家としても活躍し、「造型の文人」と称されるなど、彫刻家の枠を超えた多才な活動を展開しました。彼の文学や哲学に裏打ちされた知的な思索は、単なる造形表現に留まらず、戦後日本美術史において独自の地歩を確立する要因となりました。本作《Cubi(Head)》は、その後の彼の幾何学構成彫刻へと繋がる重要な萌芽であり、堀内正和の芸術的探求の出発点を示す作品として、美術史的意義は大きいと言えます。