逸見享
逸見享(へんみたかし)の木版画「府美術館」は、『新東京百景』シリーズの一点として、関東大震災後の復興期にあった首都東京の新しい景観を捉えた作品です。この作品は、近代的な文化施設としての美術館の姿を描き出し、当時の日本の都市が経験していた変革と、美術が社会に与える影響の一端を象徴しています。
画面の中央には、堂々たる姿で建つ東京府美術館の建物が描かれています。この美術館は、1926年(大正15年)に開館した、建築家・岡田信一郎(おかだしんいちろう)による設計のものです。建物の外観は、ヨーロッパの古典主義建築様式を強く意識しており、石造りの重厚な壁面と、正面入口に向かって伸びる大きな階段、そしてその上部に配された列柱が特徴的です。画面の手前からは、鑑賞者が美術館へと誘われるかのように、緩やかに、しかし確実に上へと続く階段が視線を導きます。建築物の細部は、木版画特有の線描と、光の陰影を巧みに表現するぼかしの技法によって、立体感と質感を与えられています。色彩は、重厚な石の質感を思わせる落ち着いた色調が基調となっており、その中で建物の細かな装飾や窓の配置が明瞭に浮かび上がります。周囲の風景は、都市の中に佇む文化施設としての静謐さを示唆し、建物の持つ威厳を一層際立たせています。
この作品が制作された1931年(昭和6年)は、1923年(大正12年)の関東大震災から立ち直り、東京が急速な復興と近代化を進めていた時代です。震災によって壊滅的な被害を受けた東京は、西洋の都市計画や建築様式を取り入れ、新たな首都として生まれ変わろうとしていました。東京府美術館は、こうした復興の象徴の一つとして、1926年に日本初の公立美術館として上野公園に開館しました。実業家・佐藤慶太郎(さとうけいたろう)の多額の寄付によって実現したこの美術館は、多くの美術家たちが長年待ち望んでいた恒常的な展覧会場となり、「美の殿堂」と称されました。 逸見享らが参加した『新東京百景』シリーズは、このような激動の時代にあって、変貌する東京の都市風景を版画として記録することを目的としていました。作者たちは、単なる風景の記録に留まらず、近代化によって失われゆくものへの郷愁と、新しく生まれる都市への期待感を、それぞれの作品に込めていたと推測されます。
本作は、新版画と呼ばれる木版画の技法を用いて制作されています。新版画は、明治時代後期から昭和時代初期にかけて隆盛した芸術運動で、江戸時代の浮世絵が培ってきた絵師、彫師、摺師による分業体制を継承しつつ、西洋絵画の写実的な表現や遠近法、光の陰影の描写を取り入れている点が大きな特徴です。 逸見享もまた、この分業体制のもとで、原画の制作から版画の完成まで、彫師や摺師と緊密に連携を取りながら制作にあたりました。使用される素材は、堅牢な桜の木などを彫り上げた版木と、きめ細やかな和紙、そして発色の良い水性の顔料です。新版画では、一枚の絵に平均して30色以上もの色が用いられることも珍しくなく、多色摺りによる豊かな色彩表現や、ぼかし摺り、空摺り(からずり)といった伝統的な技法を駆使して、繊細なグラデーションや光の効果を生み出しました。これにより、空気感や空間の奥行きが表現され、建築物の荘厳さや周囲の静かな雰囲気が効果的に伝えられています。
作品に描かれた東京府美術館は、単なる建築物以上の意味合いを持っています。それは、近代国家としての日本の文化的な発展と、西洋文化の受容を示す象徴でした。従来の仮設的な展示施設とは異なり、常設の美術館が建設されたことは、美術が社会において重要な役割を担うようになったことを意味しています。 また、『新東京百景』シリーズ全体としては、関東大震災からの復興を経て、新しい文化や産業が花開く「新東京」の姿を後世に伝える役割を担いました。失われたものを惜しみつつも、未来へと進む当時の人々の希望や活力が、近代建築というモチーフを通して表現されていると考えられます。この美術館は、市民が美術に触れる機会を広げ、新たな芸術活動の拠点となることで、近代日本の文化形成に大きな影響を与えました。
「府美術館」を含む『新東京百景』シリーズは、当時の日本だけでなく、海外の美術愛好家からも高い評価を受けました。 伝統的な木版画の技術を基盤としつつも、現代的な感覚で描かれたこれらの作品は、浮世絵の伝統を継承しつつ、新たな芸術的価値を創出した新版画運動の重要な成果と位置づけられています。 逸見享は、このシリーズにおいて13点もの作品を手がけ、新版画運動における主要な作家の一人として、その地位を確立しました。この作品群は、急速に変化していく昭和初期の東京の都市景観を記録した貴重な歴史的資料であると同時に、日本の近代美術史において、伝統と革新が融合した独創的な表現を追求した作品として高く評価されています。 後世の芸術家たちにも、木版画の新たな可能性を示すものとして影響を与え、今日においても、当時の東京の息吹を伝える作品として多くの人々に親しまれています。