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鳥羽天皇像

南北朝時代に制作されたと推定される「絹本著色 鳥羽天皇像」は、和歌山県の根来寺に所蔵される重要な肖像画です。作者は特定されていませんが、新義真言宗の総本山である根来寺における鳥羽天皇への篤い崇敬を示す作品として、美術史上重要な位置を占めています。

作品の姿と内容

この作品は、縦176.2センチメートル、横128.6センチメートルに及ぶほぼ等身大の絹本著色(けんぽんちゃくしょく)の掛幅装(かけふくそう)であり、堂々たるスケールを誇ります。画面中央には、第74代鳥羽天皇の姿が、格式高い直衣指貫(のうしさしぬき)という装束を身につけ、檜扇(ひおうぎ)を手に上畳(あげだたみ)にゆったりと坐す姿で描かれています。全体の構図は安定感があり、天皇の威厳を表現しています。墨と顔料が用いられ、顔貌は細やかな筆致で描かれており、眼差しには静かな力強さが感じられます。衣の表現は、自由かつ明快な線で形態が捉えられ、南北朝時代の肖像画の特徴をよく示しています。本作品は、長年の歳月を経て表装の不具合から本紙に大きな撓みや波打ちが生じ、中央に強い縦折れが見られるほか、絵具層の剥離・剥落(はくらく)も進行している状態でしたが、近年修復作業が行われ、その姿が保たれています。

背景・経緯・意図

この「鳥羽天皇像」は、鳥羽天皇ご自身が生きた平安時代末期(1103-1156年)ではなく、その後の南北朝時代に制作されたと考えられています。根来寺の開祖である覚鑁(かくばん)は、鳥羽上皇の庇護を受けて大伝法院(だいでんぽういん)を創建しており、鳥羽天皇は根来寺の創建と発展を支えた重要な人物でした。 したがって、この肖像画は、鳥羽天皇の崩御後、根来寺において長らく行われていた天皇を讃える忌日供養(きにちくよう)のために奉懸(ほうけん)されたものと推測されます。当時の人々は、天皇の偉業と寺院への貢献を後世に伝え、その徳を偲ぶために、このような肖像画を制作し、礼拝の対象としました。激動の時代にあって、寺院がその存立基盤を確立し、維持していく上で、開祖を支えた皇室の存在は極めて大きく、その恩恵に対する感謝と、永続的な繁栄を祈念する意図が込められていたと考えられます。

技法や素材

作品には絹本著色という技法が用いられています。これは、絹布を支持体とし、その上に墨線で下絵を描いた後、様々な顔料で彩色を施す絵画技法です。絹地の持つ繊細な光沢と、顔料の鮮やかな発色が組み合わさることで、深みと格調高い表現が生まれます。本作では、墨と顔料が巧みに使い分けられ、衣の流れるような線や、顔貌の微妙な陰影が表現されています。特に、等身大に近いスケールで描かれていることから、当時の絵師が優れた描写力と、大作を制作するための組織的な制作体制を有していたことがうかがえます。

意味

この「鳥羽天皇像」は、単なる個人肖像としてだけでなく、根来寺の歴史と信仰にとって多層的な意味を持っています。鳥羽天皇は、覚鑁を深く帰依し、根来寺の前身である大伝法院の創建を支えた恩人であり、その肖像は寺院の歴史的ルーツと、皇室との深いつながりを象徴しています。また、天皇は「現人神」として信仰の対象となることもあり、肖像画は天皇の霊的な力を視覚的に具現化し、寺院の守護と繁栄を祈願する役割を担いました。画面に描かれた檜扇や直衣指貫といった貴族の正装は、天皇の権威と格式を示し、見る者に畏敬の念を抱かせます。

評価や影響

「絹本著色 鳥羽天皇像」は、南北朝時代における肖像画の優品として、2015年には国の重要文化財に指定されています。 その記念碑的な大きさや、細部まで丁寧に描かれた表現は、この時代の肖像画の基準作の一つとして高く評価されています。特に、平安時代に確立された引目鉤鼻(ひきめかぎはな)のような類型的な表現から、より個性を捉えようとする鎌倉時代の「似絵(にせえ)」の系譜を引き継ぎつつ、南北朝期らしい力強く象徴的な表現へと展開している点も注目されます。後世の肖像画制作にも影響を与え、寺院における歴代高僧や開基の肖像画が数多く描かれる伝統の一端を担いました。この作品は、皇室の信仰と美術の関わり、そして日本美術史における肖像画の変遷を理解する上で不可欠な資料として、その価値を今日まで伝え続けています。