豊前五郎為広
豊前五郎為広(ぶぜんごろうためひろ)作「五大力菩薩像(ごだいりきぼさつぞう)」は、国家鎮護の願いを込めて造立された、五躯(く)からなる密教系の力強い菩薩像群です。金剛吼菩薩(こんごうくぼさつ)を中心に、無畏十力吼菩薩(むいじゅうりきくぼさつ)、竜王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)、無量力吼菩薩(むりょうりきくぼさつ)、雷電吼菩薩(らいでんくぼさつ)の五尊で構成され、仏法と国王を守護する護法尊としての役割を担っています。
この「五大力菩薩像」は、中央に坐像の金剛吼菩薩が配され、その周囲を四躯の立像が囲む構成がとられていると推測されます。中央の金剛吼菩薩は、通常、蓮華座(れんげざ)に結跏趺坐(けっかふざ)し、胸元で千宝相輪(せんぼうそうりん)という持物(じもつ)を捧げ持つ姿で表されます。顔つきは忿怒相(ふんぬそう)でありながらも威厳に満ち、燃え盛る火焔光背(かえんこうはい)を背にすることで、その迫力は一層増していることでしょう。
他の四躯の菩薩は、それぞれが特徴的な姿で表されます。無畏十力吼菩薩は金剛杵(こんごうしょ)を持ち、竜王吼菩薩は利剣(りけん)または金輪灯(きんりんとう)を、無量力吼菩薩は五千剣輪(ごせんけんりん)や転法輪(てんぼうりん)を、雷電吼菩薩は千宝羅網(せんぼうらもう)を手にしていると見られます。これら四菩薩は、片足を高く蹴り上げたような動的な姿勢や、あるいは力強く大地を踏みしめるような踏割蓮華座(ふみわりれんげざ)に立つ姿で表現されることが多く、その動きは見る者に強い印象を与えます。いずれの菩薩も通常の柔和な菩薩像とは異なり、怒りの表情(忿怒相)を見せており、その引き締まった口元や吊り上がった眼差しは、悪を降伏させ、外敵を退ける強大な力を象徴していると考えられます。
五大力菩薩は、主に鎮護国家の思想と深く結びついています。これらの菩薩は、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『仁王般若波羅蜜経(にんのうはんにゃはらみつきょう)』(旧訳仁王経)に説かれる護法善神であり、国王が仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぼう)を敬い護持すれば、五大力菩薩が国土の四方と中央に現れて国王を守護するとされています。平安時代には、宮中で「仁王会(にんのうえ)」という国家安泰を祈る大規模な法会が盛んに行われ、この五大力菩薩はその本尊とされました。
「豊前五郎為広」という作家の具体的な活動時期や詳細は現在のところ明らかではありませんが、本作品が制作された時代は、おそらく政治的・社会的な不安が広がり、国家の安泰や民衆の平穏が強く願われていた時期であったと推測されます。そのような時代において、為広は、経典に説かれる強力な護法尊である五大力菩薩を具現化することで、当時の人々が抱いていた不安を鎮め、国家の守護を祈念する役割をこの像群に託したと考えられます。また、菩薩でありながら忿怒の形相で表される点には、密教の強い影響が見て取れます。
本作品が木造であると仮定した場合、日本の仏像制作において主流であった木材が用いられたと推測されます。具体的には、樟(くすのき)や檜(ひのき)といった、香りが良く加工しやすい木材が選ばれた可能性が高いです。制作技法としては、一本の木材から主要部分を彫り出す一木造(いちぼくづくり)、あるいは複数の木材を組み合わせて造形する寄木造(よせぎづくり)のいずれか、または両者が併用された可能性も考えられます。特に平安時代後期以降は、効率的で細部表現がしやすい寄木造が発展しました。
彫り上げられた像の表面には、漆(うるし)が塗布された後、金箔(きんぱく)が施されて金色に輝いていたか、あるいは鮮やかな彩色(さいしき)によって衣や装飾が彩られていた可能性も考えられます。忿怒相の表現を際立たせるために、彩色による力強い陰影や、玉眼(ぎょくがん)という水晶をはめ込む技法が用いられ、見る者の心に強く迫る視覚効果が図られたと推測されます。豊前五郎為広の具体的な技法については定かではありませんが、当時の仏師が持っていた高度な木彫技術と、信仰心を形にする表現力が存分に発揮されたものと考えられます。
五大力菩薩像におけるそれぞれの菩薩が持つ持物や表情は、深い象徴的な意味を帯びています。中央の金剛吼菩薩が捧げ持つ千宝相輪は、仏法の真理と無限の功徳を象徴し、教えの力が世界に広がることを示します。無畏十力吼菩薩の金剛杵は、煩悩(ぼんのう)や障害を打ち砕く堅固な智慧と力を、竜王吼菩薩の利剣や金輪灯は、迷いを断ち切り、闇を照らす光明と正しい判断力を表します。無量力吼菩薩の五千剣輪や転法輪は、広大な力と仏法の教えを広める働きを、雷電吼菩薩の千宝羅網は、あらゆる悪を捕らえ、護り導く網の目を象徴しているとされます。
これらの五尊全体が表現しようとしている主題は、「鎮護国家(ちんごこっか)」、すなわち仏法の力によって国家を護り、民衆を災厄から救い、安寧をもたらすことです。菩薩でありながら忿怒の形相を呈しているのは、単なる慈悲だけでなく、悪を許さず、力強く打ち破るという明王(みょうおう)に通じる密教的な護法の精神が込められているためと考えられます。彼らは、国王が仏教を信奉することで得られる加護を具体的に示す存在であり、自然災害、疫病、戦乱といった、当時の人々を脅かしたあらゆる困難に対する強力な守護者として信仰されました。
五大力菩薩像は、鎮護国家の重要な本尊とされたにもかかわらず、五躯(く)全てが揃って現存する彫刻作品は全国的にも稀(まれ)であり、非常に貴重な存在とされています。もし本作品が現存する完全な彫像群であれば、それは仏教美術史において極めて重要な位置を占めると考えられます。当時の評価としては、国家の安泰を願う朝廷や有力者たちによって、その強い祈りが具現化されたものとして高く評価されたことでしょう。
後世においても、このような護法尊の像は、人々の信仰の対象として、また力強い造形美を持つ美術品として受け継がれてきました。特定の作家としての「豊前五郎為広」に関する記録が少ないため、直接的な他作家への影響を特定することは困難ですが、本作品にみられる忿怒相や動的な表現は、密教彫刻や護法尊像の系譜において、その力強い表現様式の一翼を担うものと考えられます。この像群は、仏教が国家の精神的支柱であった時代の、信仰と芸術が融合した雄大な表現として、今日においてもその存在感を放ち続けていると評価されます。