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十二天屏風

密教の儀式において重要な役割を果たす東寺所蔵の「十二天屏風」は、平安時代末期に制作されたとされる屏風絵です。この作品は、真言密教の護法善神である十二天を左右六曲一双の屏風に描いたもので、現存する十二天像の中でも特に優れた作例として知られています。

作品の姿と内容

この「十二天屏風」は、六曲一双、すなわち左右に開く二つの屏風から構成されており、合計で十二の天部(てんぶ)が描かれています。向かって右側の屏風には、画面の右から「伊舎那天(いしゃなてん)」「帝釈天(たいしゃくてん)」「火天(かてん)」「閻魔天(えんまてん)」「羅刹天(らせつてん)」「水天(すいてん)」が、そして左側の屏風には、画面の右から「風天(ふうてん)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」「梵天(ぼんてん)」「地天(ちてん)」「日天(にってん)」「月天(がってん)」が、それぞれ一体ずつ描かれています。各天部は、それぞれの担当する方角や役割に応じた姿で表現されており、色彩は鮮やかで、墨線は力強く引かれています。

具体的には、右隻(うせき)第一扇に描かれる伊舎那天は、白象に乗った多面多臂(ためんたひ)の姿で表現され、憤怒の表情を見せています。続く帝釈天は白象に乗った姿、火天は老翁の姿で火焔(かえん)を背後に従えるなど、それぞれの個性が際立っています。左隻(させき)に目を転じると、風天は袋を背負い、風を操る躍動感のある姿で、毘沙門天は甲冑(かっちゅう)をまとい、威厳に満ちた姿で描かれています。背景には、各天部の住まう世界が、雲や山々、流水などを用いて細やかに描写されており、単なる個別の肖像画に留まらず、広大な宇宙観がそこに表現されています。全体として、構図は安定しておりながらも、各尊格の表情や衣のひるがえりには動的な表現が見られ、平安時代後期における仏画の洗練された技術が示されています。

背景・経緯・意図

この「十二天屏風」は、平安時代末期の建久2年(1191年)に、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の崩御(ほうぎょ)後に執り行われた「七七日忌(なななのかき)」の際に、東寺(とうじ)灌頂院(かんじょういん)で用いられたと伝えられています。密教において、十二天は方角を司り、結界(けっかい)を護る重要な護法善神であり、この屏風は真言密教の重要な儀式である「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」や灌頂(かんじょう)の際に、道場(どうじょう)を荘厳(しょうごん)し、仏国土(ぶっこくど)を現出させるための調度品として制作されました。

当時の社会は、平安京(へいあんきょう)の貴族文化が成熟を極める一方で、各地では武士の台頭が始まり、戦乱も頻発し始めていました。末法思想(まっぽうしそう)が広がり、人々の間に不安が募る時代において、国家の安泰や個人の現世利益(げんぜりやく)、来世の救済(きゅうさい)を願う密教の儀式は、貴族層から厚い信仰を集めていました。この屏風は、そうした時代背景の中で、真言密教の聖なる空間を創り出し、儀式の効果を最大限に高めるという明確な意図をもって制作されたと考えられます。

技法や素材

本作品は、絹を支持体とした屏風絵であり、鮮やかな色彩が特徴です。墨線で描かれた輪郭線の上に、岩絵具(いわえのぐ)や水干絵具(すいひえのぐ)といった天然の顔料が用いられ、重厚かつ深みのある色合いが表現されています。特に、截金(きりかね)という金箔を細く切って文様(もんよう)を描く技法が多用されており、衣の装飾や光背(こうはい)、持物(じもつ)などに繊細な輝きを加えています。また、天部の肌には胡粉(ごふん)を厚く塗り重ねることで、なめらかな質感が表現されています。こうした技法は、平安時代後期の仏画において確立されたものであり、絵師たちの卓越した技術と、素材に対する深い理解を示すものです。絹の透明感と顔料の不透明感が絶妙に組み合わされ、見る者に奥行きと立体感を感じさせる工夫が凝らされています。

意味

十二天は、密教において世界の十方(じっぽう)と上方・下方、合わせて十二の方角を護る善神として信仰されています。具体的には、東方を帝釈天、南東を火天、南方を閻魔天、南西を羅刹天、西方を水天、北西を風天、北方を毘沙門天、北東を伊舎那天が守護し、上方(じょうほう)を梵天、下方(げほう)を地天、そして日天と月天が太陽と月を象徴して加えられています。

この屏風に描かれた各天部は、それぞれの神格に応じた持物や眷属(けんぞく)を伴い、その役割を視覚的に表現しています。例えば、火天が火焔を、水天が龍を従える姿は、彼らが司る自然現象や力を象徴しています。これらの天部が一体となって道場を囲むことで、宇宙全体が仏法によって護られている状態、すなわち結界が形成されることを意味しています。この結界の中で行われる儀式は、より強力な功徳(くどく)をもたらすと信じられ、国家鎮護(ちんご)や衆生(しゅじょう)救済という密教の主題を具現化するものでした。この作品は、単なる美しい絵画としてだけでなく、密教の世界観と儀礼を視覚的に補完する、極めて重要な意味を持っていたと言えます。

評価や影響

東寺の「十二天屏風」は、平安時代後期における仏画の最高傑作の一つとして、古くから高い評価を受けてきました。その洗練された描写、力強い筆致、そして截金を用いた豪華絢爛(けんらん)な装飾は、同時代の他の仏画と比較しても群を抜いています。当時の朝廷や貴族、そして密教僧たちの間で、この屏風は重要な儀式の際に不可欠なものとして尊重され、その美的価値と宗教的意義が深く認識されていました。

現代においても、この「十二天屏風」は、日本の国宝に指定されており、美術史におけるその重要性は揺るぎません。平安時代の密教美術を代表する作品として、当時の仏画制作の技術水準や様式、そして密教が持つ世界観を伝える貴重な資料となっています。後世の仏画制作にも大きな影響を与え、十二天図像の規範(きはん)の一つとして長く参照されてきました。特に、各天部の図像学的(ずぞうがくてき)な特徴を明確に確立した点において、その美術史的価値は計り知れません。現在も東寺の宝物館に収蔵され、時折公開される際には、多くの人々を魅了し続けています。