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長首扁壺 Longneck Vase

ハンス・コパー Hans COPER

ハンス・コパーによる1966年制作の陶器作品「長首扁壺(ちょうくびへんこ)」は、実用性を超えた彫刻的なフォルムを探求した、彼の芸術家としての成熟期を象徴する作品です。高さ28.5センチメートル、奥行き8.5センチメートルという細身のプロポーションが特徴的で、ミニマルでありながらも力強い存在感を放っています。

作品の姿と内容

この「長首扁壺」は、その名の通り、長く伸びた首と扁平な胴部が特徴的な陶器の作品です。全体はマットな質感を持つ、深く落ち着いた黒色で覆われており、光の当たり方によってわずかに異なる陰影を見せます。胴部は円盤を前後に圧縮したような、あるいは植物の種子を思わせる有機的な形状をしており、その中心から細く垂直に伸びる首部へと滑らかに接続されています。首部は胴部とは対照的に細く、上に向かってわずかに開きながら緩やかに広がる様子は、まるで生命が空へ向かって伸びていくかのようです。作品の表面には、轆轤(ろくろ)で成形された複数のパーツが組み合わされた「合接(ごうせつ)」技法によるわずかな継ぎ目や、手作業によるテクスチャーが残されており、それが土という素材本来の温かみと同時に、手仕事の痕跡としての奥行きを与えています。底部は安定感のある小さな台座となっており、全体を垂直に支え、上部の繊細なフォルムとの対比を際立たせています。

背景・経緯・意図

ハンス・コパーは、1920年にドイツに生まれ、父親がユダヤ人であったため、若くしてナチスの迫害から逃れるためイギリスへ亡命しました。戦時中は敵性外国人として苦しい生活を送り、収容所生活も経験しています。1946年、同じく亡命者であった陶芸家ルーシー・リーの工房で働き始めたことが、彼の陶芸家としてのキャリアの出発点となりました。コパーは元々彫刻家を志しており、その視点が彼の陶芸作品に深い影響を与えています。彼は、轆轤(ろくろ)によって形成される器という本質的な制約の中で、いかに彫刻的な表現を追求するかという問いと常に向き合っていました。

1966年という制作年は、コパーがルーシー・リーの工房を離れて自身の制作に専念し、独自のスタイルを確立していた時期にあたります。彼はこの頃、実用性から離れ、純粋なフォルムと量感の探求に没頭していました。彼の作品は、古代エーゲ海のキクラデス文明の彫刻やアフリカの土器など、時代や地域を超えたプリミティブな造形に強い影響を受けており、それらのミニマルで力強い形態を現代の陶芸へと昇華させようとする意図が見られます。自身の作品を「器(pots)」と呼び続けながらも、その造形は「彫刻的」であり「建築的」とも評されるもので、陶芸というジャンルの可能性を広げようとする彼の確固たる意志が込められています。この「長首扁壺」もまた、単純な壺の形を借りながらも、生命力や精神性を感じさせる抽象彫刻としての存在感を追求した結果生まれたものと考えられます。

技法や素材

「長首扁壺」には、陶器(ストーンウェア)が素材として用いられています。ストーンウェアは高温で焼成されるため、丈夫で耐久性があり、重厚な質感を特徴とします。コパーの作品は、多くの場合、轆轤(ろくろ)で成形した複数のパーツを「合接(ごうせつ)」と呼ばれる技法で組み合わせることによって制作されます。これは古くはクレタ島の陶器や日本の須恵器などにも見られる技法ですが、現代においては極めて稀な制作手法です。

この作品においても、胴部、首部、そして底部がそれぞれ轆轤で挽(ひ)かれ、その後、注意深く接合されていると推測されます。轆轤は「中空の容器」を作る技術であり、コパーはこの技術を生涯使い続けました。彼はあらかじめスケッチによる入念な形のスタディを行い、同じ形ごとにシリーズで制作し、最上の作品を残して他は全て壊したと言われています。作品の表面は通常、化粧土(スリップ)が施された後に焼成され、マットで粗い、ざらつきのある独特の質感に仕上げられています。釉薬(ゆうやく)は最小限に抑えられるか、あるいは全く用いられず、土そのものの色合いやテクスチャーが最大限に活かされています。これにより、簡潔でありながらも深みのある、普遍的な造形が生まれるのです。

意味

ハンス・コパーの作品、特に壺の形態をとるものは、単なる容器としての機能を超えた象徴的な意味を内包しています。古代から、壺や器は生命の源、母なる大地、あるいは内なる精神世界を象徴するものでした。コパーはこれらの archetypal(原型的な)な形態に魅せられ、それらを自身の解釈で再構築しました。この「長首扁壺」における長く伸びた首は、上方への意識や精神性、あるいは生命の成長や上昇を象徴していると解釈できます。扁平な胴部は、安定感や大地の要素、あるいは内包する空間としての存在感を示唆しているでしょう。に挙げられるような、エーゲ海西部のキクラデス文明の石像に代表される古代彫刻の影響は、彼の作品に見られる鋭い輪郭線と柔らかな曲面を併せ持つ造形にも見て取れます。彼の作品は機能的な「器」でありながら、「器らしさ」の概念の限界を拡張し、陶芸を彫刻や建築と同等の意味と重さを持つ現代の芸術たらしめたと言われています。物質としての土が持つ重厚感と、それを巧みに操り生み出された軽やかで瞑想的なフォルムは、鑑賞者に静かな対話を促し、形そのものが持つ根源的な力を訴えかけます。

評価や影響

ハンス・コパーの作品は、彼がルーシー・リーの工房で共同制作を始めた1950年代から高く評価されてきました。1954年にはミラノ・トリエンナーレで金メダルを受賞するなど、国際的な注目を集めました。彼の作品は、同時代の主流であった東西の伝統的要素を重視する重厚な作風とは一線を画し、都会的で彫刻や建築との関連性が深いと評されました。

コパーはルーシー・リーと共に、20世紀後半のスタジオ・ポタリー(工房陶芸)を牽引し、陶芸が単なる工芸品ではなく、純粋な芸術表現としての地位を確立する上で極めて重要な役割を果たしました。彼の作品は、そのシンプルで力強いフォルム、土の質感を生かした抑制された色彩、そして彫刻的な存在感によって、後世の多くの陶芸家やアーティストに多大な影響を与えました。特に、轆轤(ろくろ)で成形した複数のパーツを組み合わせる「合接(ごうせつ)」技法は、彼の作品の大きな特徴であり、現代の陶芸表現に新たな可能性を提示しました。

コパー自身は生涯「器(pots)」を作り続けていると考えていましたが、彼の作品は器の枠を越え、その純粋な造形美と哲学的な深さによって、現代美術史において重要な位置を占めています。彼の残した言葉「どうやって、の前になぜ(Why before How)」は、単なる技術的な探求に留まらず、芸術の本質を問い続ける彼の姿勢を明確に示しています。晩年には筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されながらも制作を続け、その最期の作品群もまた、彼の芸術家としての強い精神性を物語っています。ハンス・コパーの作品は、時を超えて普遍的な美と問いを投げかけ、現代においてもなお、その魅力は色褪せることがありません。