ハンス・コパー Hans COPER
ハンス・コパーの「洋梨形台付花瓶」は、1964年に制作された高さ18.0センチメートル、直径9.0センチメートルの陶器による作品です。この花瓶は、コパーがルーシー・リーの工房から独立し、自身の彫刻的な作風を確立した「ロンドン期」(1963年-1967年)に制作されたものであり、機能性と抽象的な造形美を融合させた彼の独自性が際立っています。彼は、ろくろで成形した複数のパーツを接合する「合接(ごうせつ)」という技法を多用し、砂時計形、玉ねぎ型など、洗練されたフォルムの作品を生み出しました。
この「洋梨形台付花瓶」は、黒色の陶器でできており、表面は金属を思わせるような、しかし微妙な色の変化と表情を持つ梨地(なしじ)の質感を有していると推測されます。 作品の底部は、その名の通り、ふっくらとした洋梨を想起させるような、なだらかな曲線で構成された台座となっています。この台座の上に、やや細く引き締まった首が伸び、その頂点には花を生けるための開口部が設けられています。全体のシルエットは、安定感のある底部から上部へと向かって緩やかに変化し、見る者に静かで穏やかな印象を与えます。コパーの作品は、しばしば「彫刻的」と評されるように、この花瓶も単なる容器としてではなく、空間の中に存在する抽象的な形態として、鑑賞者の視覚に訴えかけます。
ハンス・コパーは、1920年にドイツに生まれ、ナチスの迫害から逃れるため1939年にイギリスへ渡りました。 1946年、彼は陶芸家ルーシー・リーの工房で働き始め、ボタン製作の助手を務めながら陶芸の道を歩み始めました。 当時、陶芸の主流はバーナード・リーチに代表される、東洋的な要素を取り入れた素朴で重厚な作風でしたが、コパーはリーとともにバウハウスやウィーン工房の哲学を取り入れ、芸術と工芸の融合を目指しました。 1958年に自身の工房を設立してからは、リーの機能性を重視した作風から離れ、より彫刻的な抽象表現へと傾倒していきました。 1963年から1967年までの「ロンドン期」は、まさに彼が独自の彫刻的造形を確立した時期にあたります。 この時期の作品は、古代ギリシャ、マヤ、中国の陶器など、古代の造形や原始美術からの影響を強く受けつつ、モダニズムの美学と融合させることで、機能性を超えた彫刻としての器を追求したものです。 彼は、器が持つ「中空」という本質に着目し、その外形を建築的で記念碑的な存在感を持つものへと昇華させることを意図していたと考えられます。
「洋梨形台付花瓶」は、陶器(ストーンウェア)を用いて制作されています。コパーは、ろくろで成形した複数のパーツを「合接」と呼ばれる独自の技法で組み合わせることを特徴としていました。 彼が主に使用した粘土は、白い「T」材と呼ばれるもので、慎重に調整された添加物が加えられていました。 ろくろで挽いた各パーツは、皮革のように硬い状態(レザーハード)のときに切断・接合され、金属製の工具で仕上げられました。 表面処理においては、スリップ(化粧土)を幾層にも塗り重ね、研磨や摩擦を繰り返すことで、奥行きのあるテクスチャーを生み出しました。 「洋梨形台付花瓶」に見られる黒色は、マンガンをベースにしたスリップや釉薬を施すことで、玄武岩のような深みのある黒色を表現していると考えられます。 彼の作品の多くは一度だけ焼成される「生掛け(きがけ)」という方法が取られており、釉薬が生の素地に直接施されました。
ハンス・コパーの作品における「器」は、単なる実用品としての意味を超え、存在そのものが持つ象徴的な意味を帯びています。彼の花瓶は、古代の遺物や彫刻を想起させるようなプリミティブな力強さと、現代的な洗練されたフォルムが共存しています。 「洋梨形台付花瓶」もまた、その有機的な曲線と無彩色の表面によって、大地から生まれ出たような普遍的な形態を示唆していると考えられます。コパーは、器の内部に存在する「虚空」と、それを包み込む「量塊」との対話を通じて、人間の存在や宇宙の構造といった深遠なテーマを表現しようと試みました。彼の作品は、その静謐な佇まいの中に、生と死、存在と不在といった根源的な問いを内包していると言えるでしょう。 また、彼の作品がしばしば古代キクラデス文明の彫像やブランクーシ、ジャコメッティといった彫刻家の作品との関連で語られることからも、器という形態を通じて、純粋な造形美と精神性を追求した彼の意図が読み取れます。
ハンス・コパーは、20世紀後半のイギリスにおけるスタジオポタリー運動において、ルーシー・リーと共に最重要人物の一人とされています。 彼の作品は、発表当時からその彫刻的な造形と抽象的な美しさが高く評価されました。特に、伝統的な陶芸の枠にとらわれず、器を純粋な芸術作品として昇華させた功績は大きく、後世の陶芸家や美術家たちに多大な影響を与えました。 彼は1961年から1969年までキャンバーウェル美術工芸学校で、1966年から1975年までロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭を執り、次世代の陶芸家たちを指導し、その革新的なアプローチを伝えました。 彼の教えは「穏やかでありながらも破壊的」と評され、ジャズにおける「テーマの即興」のように、既存の概念にとらわれない創作を促したとされています。 1969年には、存命中の陶芸家として初めてヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で大規模な個展が開催されるなど、国際的な評価を確立しました。 彼の作品は、美術館のコレクションに収蔵され、現代においても高い美術的・市場的価値が認められており、20世紀の陶芸史におけるその位置づけは揺るぎないものとなっています。 ミニマリストアーティストのダン・フラヴィンがコパーとリーの作品に触発され、彼らに捧げるネオンライト作品を制作したことからも、その影響力の広さが伺えます。