ルーシー・リー/ハンス・コパー Lucie RIE/Hans COPER
ルーシー・リーとハンス・コパーが共同で制作した「カップ」(1960年頃、高さ11.0センチメートル、直径6.4センチメートル、陶器製)は、20世紀半ばのイギリスにおけるスタジオポタリー運動の洗練された一面を象徴する作品です。機能性と芸術性を融合させたこの一点は、二人の陶芸家が追求したモダンな美意識と、彼らの深い友情と協力関係の証(あかし)を示しています。
この「カップ」は、その高さと直径から、手のひらに収まる程よいサイズ感で、日常使いを意識しつつも、単なる実用性を超えた存在感を放っています。器のフォルムは、ルーシー・リーが得意とした、シャープでありながらも優雅なラインを描いています。高台(こうだい)は細く高く、器全体を軽やかに持ち上げ、口縁部(こうえんぶ)に向かって緩やかに広がる姿は、朝顔の花を彷彿とさせます。表面には、細かく繊細な質感が感じられる炻器(せっき)の素地が活かされ、おそらくリーの代名詞ともいえる、溶岩釉(ようがんゆう)やブロンズ釉(ゆう)が施されていると推測されます。溶岩釉(ようがんゆう)は、焼成中にシリコン・カーバイドがガスを放出し、釉薬(ゆうやく)の表面に無数の細かな穴や凹凸(おうとつ)を生み出すことで、独特な荒々しさと奥行きのある表情を与えます。一方で、この作品ではその表面は触れてもざらざらしないよう洗練されている可能性もあります。また、口縁部(こうえんぶ)にはマンガン釉(ゆう)による黒みがかった色彩や、象嵌(ぞうがん)による細やかな線文が施され、全体に引き締まった印象を与えているかもしれません。ハンス・コパーが轆轤(ろくろ)で成形した、幾何学的でありながら有機的な造形美と、リーの巧みな釉薬(ゆうやく)と装飾が一体となり、静謐(せいひつ)でありながらも見る者を惹きつける独特の佇まいを創り出しています。
この作品が制作された1960年頃は、第二次世界大戦後の復興期を経て、イギリスのスタジオポタリーが独自の展開を見せていた時代です。オーストリア出身のルーシー・リー(1902-1995)とドイツ出身のハンス・コパー(1920-1981)は、ともにナチスの迫害を逃れてイギリスへ亡命し、ロンドンの同じ工房で長年にわたり制作活動を続けました。リーはウィーン工業美術学校で陶芸を学び、ハンス・コパーは戦後、1946年にリーの工房で陶製ボタン作りのアシスタントとして働き始めたことをきっかけに陶芸の道に進みました。コパーは短期間で轆轤(ろくろ)の技術を習得し、二人は次第に共同でテーブルウェアなどを制作するようになります。
当時のイギリス陶芸界は、バーナード・リーチに代表される、東洋の伝統や民藝運動に根ざした素朴で力強い作風が主流でした。しかし、リーとコパーはこれとは一線を画し、都会的でモダンなデザイン、そして建築空間を意識した理知的で静謐(せいひつ)な作品世界を追求しました。この「カップ」は、まさに二人の協働(きょうどう)と、機能的な器に芸術的価値を見出すという彼らの共通した意図の表れといえるでしょう。コパーはリーの薄く優美でシンプルなフォルムの作品を評価し、リーもまたコパーの助言により、バーナード・リーチから受けた批判的な評価から立ち直り、独自の作風を確立していったとされています。彼らは同じ境遇の亡命者として、困難な時代を乗り越えるパートナーとしての深い信頼関係で結ばれていました。
この「カップ」には炻器(せっき)が素材として用いられています。炻器(せっき)は、陶器と磁器の中間的な性質を持つ陶土で、高温で焼き締めることで、吸水性が低く丈夫な器となります。リーとコパーの作品は、轆轤(ろくろ)を用いた成形が基本であり、特にコパーは轆轤(ろくろ)で挽(ひ)いた複数のパーツを「合接(ごうせつ)」と呼ばれる技法で組み合わせることを得意としました。これにより、彫刻的な美しさと独自のフォルムが生み出されています。
ルーシー・リーは、独自の釉薬(ゆうやく)開発に情熱を注ぎ、その中でも「溶岩釉(ようがんゆう)」は特に有名です。これはシリコン・カーバイドを粘土素地や釉薬に加え、焼成中にガスを発生させることで、表面に無数の気泡や凹凸(おうとつ)を生み出し、複雑な表情を作り出す技法です。また、彼女は「掻き落とし(かきおとし)」や「象嵌(ぞうがん)」といった装飾技法も多用し、線文(せんもん)などを器の表面に施しました。これらの技法は、素焼きをせず釉薬(ゆうやく)を生掛け(なまがけ)し、一度の焼成で仕上げるという彼女ならではの工夫とも関連しています。コパーが轆轤(ろくろ)で器形を形成し、リーが釉薬(ゆうやく)や装飾を施すという、二人の得意分野を活かした共同制作が行われたことも知られています。指跡がつくのを嫌ったリーは、かみそりなどを使って器の表面を滑らかに仕上げることもあったとされています。
ルーシー・リーとハンス・コパーが制作したこの「カップ」は、単なる日常の道具という枠を超え、芸術作品としての深い意味を内包しています。彼らの作品は、第二次世界大戦という激動の時代を生き抜いた亡命者としての経験が色濃く反映されており、そのシンプルながらも力強い造形には、故郷を追われた悲哀と、異郷(いきょう)の地で新たな美を創造しようとする強い意志が込められていると推測されます。
彼らが追求したのは、日本の民藝(みんげい)運動が提唱する「用の美」とは異なる、都会的で洗練されたモダニズムの美学です。器という実用的な形態の中に、彫刻的な要素や建築的な空間意識を融合させることで、陶芸の新たな可能性を切り開きました。このカップの凛とした緊張感のあるフォルム、抑制された色彩、そして素材の質感が生み出す静謐(せいひつ)な雰囲気は、使う人々の日常に静かな思索の時間をもたらすことを意図していたと考えられます。彼らは、混沌とした時代の中で、普遍的な美と精神的な豊かさを器に託(たく)し、人々の生活に寄り添う芸術を創造しようとしたのです。
ルーシー・リーとハンス・コパーの作品は、発表当時からその革新性と洗練された美意識で注目を集めました。特に1960年代には、オランダでの大規模な共同展が開催されるなど、イギリス国内のみならずヨーロッパへとその評価が広がり、国際的な注目を集めるようになりました。彼らの作品は、バーナード・リーチが主導したイギリスの伝統的なスタジオポタリーの潮流とは一線を画し、モダンなデザインと彫刻的な造形を陶芸の世界にもたらしたことで、20世紀の陶芸史における重要な位置を占めています。
現代においても、ルーシー・リーとハンス・コパーの作品は高い評価を受け続けており、多くの美術館で回顧展が開催されるなど、その人気は衰えることを知りません。彼らの作品は、機能性と芸術性の融合という点で、後世の陶芸家たちに大きな影響を与えました。特に、轆轤(ろくろ)で成形された薄いパーツを組み合わせる「合接(ごうせつ)」の技法や、独自の釉薬(ゆうやく)開発、そして器に彫刻的なアプローチを試みた姿勢は、陶芸表現の幅を広げ、多くの現代作家にインスピレーションを与えています。ルーシー・リーの作品は、その優美なフォルムと鮮やかな色彩で、現代の生活空間を彩るモダンデザインとしても再評価されており、北欧デザインとの類似性も指摘されています。二人の協働(きょうどう)が生み出した作品群は、個人の工房から生まれた「スタジオポタリー」が、ファインアートと同等の美的価値を持つことを確立した先駆けとして、美術史にその名を刻んでいます。