バーナード・リーチ Bernard LEACH
バーナード・リーチによる「ティーセット」は、1920年代前半に制作された陶器製の作品であり、東洋と西洋の陶芸思想が融合した彼の芸術哲学を象徴するものです。実用的な器の中にこそ美を見出すという民藝運動の精神が息づいています。
このティーセットは、全体に温かみのある陶器(ストーンウェア)の質感を持つ、日常使いの器の集合体です。セットは、高さ5.5センチメートル、幅11.0センチメートル、奥行き9.0センチメートルのカップ、高さ2.5センチメートル、直径13.5センチメートルのソーサー、高さ9.0センチメートル、幅13.0センチメートル、奥行き11.0センチメートルのミルクピッチャー、そして高さ6.5センチメートルと4.5センチメートルの二種のボウル(直径はいずれも12.5センチメートル)で構成されています。一つ一つの器は手轆轤(てろくろ)によって成形されたと思われ、工業製品にはない穏やかな歪みや、手仕事ならではの揺らぎが感じられます。表面には、素朴で落ち着いた色合いの釉薬(ゆうやく)が施されており、おそらくはリーチが得意とした青磁釉(せいじゆう)や柿釉(かきゆう)、あるいは藁灰(わらばい)を主原料とする海鼠釉(なまこゆう)のような、自然由来の素材を用いた釉薬が使われていると推測されます。装飾は控えめで、器の形そのものが持つ美しさが強調されています。シンプルながらも安定感のあるフォルムは、使う人の手に心地よく馴染むよう、機能性が追求された結果生まれています。一部の作品に見られる鉄絵(てつえ)による螺旋(らせん)文様や、スリップウェアに見られる櫛目(くしめ)文様のような簡潔な線描が、さりげないアクセントとして施されている可能性も考えられます。
本作品が制作された1920年代前半は、バーナード・リーチが日本の民藝運動の主要人物である柳宗悦(やなぎむねよし)、濱田庄司(はまだしょうじ)らと交流を深め、その思想を西洋に持ち帰り、自らの陶芸活動の基盤を確立した重要な時期にあたります。リーチは幼少期を日本で過ごし、その後イギリスで美術教育を受けた後、1909年に再来日します。日本での滞在中、彼は茶会で楽焼(らくやき)を見て陶芸の道へ進み、六代尾形乾山(ろくたいおがたけんざん)や宮川香山(みやがわこうざん)に師事し、日本の伝統的な陶芸技術と精神性を学びました。 1920年、リーチは濱田庄司を伴ってイギリスへ帰国し、コーンウォール州セント・アイヴス(St. Ives)に日本式の登り窯(のぼりがま)を築き、「リーチ・ポタリー」を設立します。このティーセットは、まさにリーチ・ポタリーの創設初期にあたる1920年から1925年の間に制作されたものであり、日本で培った東洋の美意識と、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に代表される手仕事の復権という西洋の思想とを融合させるという、彼の生涯を通じた意図が色濃く反映されています。当時の社会は第一次世界大戦後の混乱期にあり、大量生産・大量消費の波が押し寄せる中で、リーチらは機械文明への批判と、手仕事による日用品の美しさ、そして職人の尊厳を再評価しようとしました。このティーセットも、そのような時代背景の中で、使う人の生活に寄り添い、日々の暮らしの中に静かな美をもたらすことを目指して制作されたものと考えられます。
このティーセットは「陶器(ストーンウェア)」を素材としています。ストーンウェアは、高温で焼成されることによって硬く焼き締まり、耐久性に優れるという特徴があります。リーチは、自身の工房であるリーチ・ポタリーにおいて、地元の粘土や釉薬の原料を積極的に用い、手轆轤(てろくろ)による成形を基本としました。これにより、各作品に個性的な表情と、手作りの温かみが与えられています。釉薬は、日本で学んだ青磁釉や柿釉、またイギリスの伝統的なスリップウェア(slipware)に見られるようなガレナ釉(がれなゆう)やスリップ(化粧土)を用いた装飾技法を積極的に取り入れました。スリップウェアは、泥漿(でいしょう)と呼ばれる液状の化粧土を器の表面に施し、櫛目(くしめ)や線描、あるいは掻き落としなどの技法で模様を描くもので、素朴ながらも豊かな表情を生み出します。リーチは、17世紀に一度途絶えたイギリスのスリップウェア技法を再興させたことでも知られています。彼はこれらの技法を単に模倣するのではなく、東洋的な感性と融合させることで、自身の作風を確立していきました。
「ティーセット」という日常的なモチーフは、バーナード・リーチの芸術思想において極めて重要な意味を持ちます。それは「用の美(ようのび)」という、柳宗悦(やなぎむねよし)らが提唱した民藝運動(みんげいうんどう)の核心的な理念を体現するものです。リーチは、美術館に飾られるだけの芸術作品ではなく、人々の生活の中で日々使われ、手に触れることでその美しさがより深く理解される器こそが真の美を持つと考えていました。このティーセットは、お茶を淹(い)れ、飲むという日常の行為を通じて、人と器、そして生活空間が一体となる喜びを提案しています。 また、この作品には東洋と西洋の美的感覚の「結婚」という、リーチが抱いた理想が込められています。日本の簡素で自然な美意識、茶の湯に見られる精神性、そしてイギリスの伝統的な手仕事の温かみと実用性が、このティーセットの中で調和をなしています。個々の器は、それぞれが独立した美しさを持つと同時に、セットとして配置されることで、全体として静かで豊かな存在感を放ちます。それは単なる道具ではなく、日々の生活を豊かに彩る「生きた芸術」として、静かに語りかけてくるかのようです。
バーナード・リーチの「ティーセット」をはじめとする彼の陶芸作品は、発表当時から現代に至るまで、国際的に高い評価を受けています。彼は、20世紀におけるスタジオ・ポタリー(工房陶芸)運動のパイオニアとして、その基礎を築き上げました。リーチ・ポタリーは、単なる工房に留まらず、多くの優れた陶芸家を育成し、現代陶芸の発展に計り知れない影響を与えました。リーチの思想と技術は、濱田庄司(はまだしょうじ)をはじめとする日本の陶芸家たちとの交流を通じて日本にも深く根付き、民藝運動の国際的な展開に大きく貢献しました。 彼の代表的な著作である『陶工の書(A Potter's Book)』(1940年出版)は、リーチの職人としての哲学や技術、芸術家としての思想を詳細に記したもので、世界中の陶芸家にとっての教科書となり、後世の陶芸実践に多大な影響を与えました。現代においても、彼の提唱した「用の美」の概念や、東洋と西洋の文化を融合させるという試みは、美術史における重要な位置を占めています。彼の作品は、日用品に宿る普遍的な美の価値を再認識させ、芸術が特別なものではなく、人々の生活に寄り添う存在であることを現代に問いかけ続けています。リーチは1963年に大英帝国勲章(CBE)を受章し、1966年には外国人として日本の勲二等瑞宝章(くんにつとうずいほうしょう)を受けるなど、生前からその功績が国際的に認められました。彼のティーセットは、単なる機能的な器ではなく、リーチの芸術哲学と東西の文化交流の歴史を象徴する作品として、今日もなお多くの人々を魅了し続けています。