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杉本博司 絶滅写真

東京国立近代美術館では、現代美術作家・杉本博司(すぎもとひろし)氏の芸術の軌跡を辿る大規模個展「杉本博司 絶滅写真」が、2026年6月16日(火)から9月13日(日)まで開催されます。写真、建築、舞台芸術の演出など、多岐にわたるジャンルで国際的に活躍する杉本氏の創作活動において、その原点である銀塩(ぎんえん)写真に焦点を当て、初期の1970年代後半から現在に至るまでの約60点もの作品が一堂に会します。デジタル写真が主流となった現代において、まさに「絶滅が危惧される」技法となった銀塩写真の可能性と、杉本氏が半世紀にわたって探求し続けてきた時間、光、記憶、そして文明の「絶滅」という普遍的なテーマを巡る、壮大な作品世界が展開されます。

展覧会の見どころ

本展「杉本博司 絶滅写真」の最大の魅力は、現代において「絶滅危惧種」とも称される銀塩写真の技術と表現の極致を、杉本博司という稀代(きだい)の芸術家の視点を通して体験できる点にあります。杉本氏の作品は、精緻なコンセプトと卓越した銀塩写真の技術が一体となり、観る者の時間や空間に対する認識を揺さぶります。今回の展覧会は、国内の美術館において杉本氏の写真作品に特化した大規模な個展としては、2005年の森美術館以来、実に21年ぶりとなります。その意味でも、杉本芸術の集大成を目の当たりにする貴重な機会と言えるでしょう。

「絶滅写真」というタイトルには、写真がデジタルに置き換わることで、その「真を写す」という証拠能力が失われつつある現代に対する、杉本氏の鋭い問いかけが込められています。しかし、この「絶滅」は単に技術的な終焉(しゅうえん)を指すだけでなく、人類文明そのものの「絶滅」という深遠な視点をも含意しています。展示される約60点の銀塩写真は、杉本氏が初期から今日まで一貫して追求してきた時間、記憶、観念といった哲学的テーマを、光と影の繊細な階調(かいちょう)によって視覚化したものです。

見どころの一つとして、杉本氏の代表的なシリーズの新作や世界初公開作品が多数含まれている点が挙げられます。特に、初期の代表作である〈ジオラマ〉シリーズでは《ポコット族》をはじめとする新作が加わり、作家が1975年のシリーズ開始当初から密かに構想してきた人類史を巡る物語が初めて提示されます。また、本展に特別協賛するクリスチャン・ディオールとの関係性から生まれた、ディオールが1947年に発表した「ニュールック」を象徴する「バー」ジャケットと「ソワレ」ドレスを彫刻として捉え、光と影によってその造形美を浮かび上がらせた未公開作品2点も展示されます。さらに、自身の眼にシャッターを組み込むという構想のもと開発された新作《カメラマン》も初公開され、人間とカメラ、記憶と時間の関係性を深く考察する機会を提供するでしょう。

本展では、本館1階の企画展ギャラリーでの展示に加え、3階の所蔵品ギャラリーにて、東京国立近代美術館が所蔵する杉本作品の全点と、彼の創作の秘密を明かす未公開資料「スギモトノート」がサテライト展示されます。これは杉本氏の作品の背景にある思考プロセスや技術的な探求を深く理解するための貴重な手がかりとなるでしょう。

展覧会の構成と鑑賞ガイド

本展は、杉本博司の半世紀にわたる創作活動を、ゆるやかな時系列に沿って3つの章と全13のシリーズで構成されています。各章は杉本氏の芸術的探求の異なる側面を深く掘り下げながらも、全体として「絶滅」という通奏低音(つうそうていおん)が響き渡る壮大な物語を形成しています。鑑賞者は、杉本氏の初期の哲学的な問いかけから始まり、観念的な探求を経て、最終的に銀塩写真と人類文明の未来に対する彼のヴィジョンへと導かれるでしょう。展覧会全体を巡る際には、杉本氏がそれぞれのシリーズでどのような「時間」を捉えようとし、また写真というメディアの可能性をどのように拡張してきたのか、その一貫したコンセプトの変遷(へんせん)を意識することで、より深く作品世界を味わうことができます。

第1章:時間・光・記憶

この章は、杉本博司の芸術の原点とも言える、1970年代から1980年代にかけて着手され、彼の評価を確立した代表的なシリーズを中心に構成されています。写真という手段を通して、時間と記憶、そして光の本質に迫ろうとする杉本氏の初期からの探求がここに集約されています。

この章を代表するシリーズの一つが、〈ジオラマ〉です。ニューヨークのアメリカ自然史博物館などで展示されている動物の剥製(はくせい)や古生物、古代人のジオラマを、杉本氏は大判カメラで精緻(せいち)に撮影しました。通常、両目で見れば模型と認識されるジオラマも、カメラという「片目を閉じた視覚」を通して見ると、遠近感が失われ、あたかも生きているかのようなリアリティをもって写し出されます。杉本氏は、止まっているはずの剥製の姿を、写真という動かないものを写し取るメディアによって、まるで生命ある一瞬を捉えたかのように見せる装置として写真を機能させました。このシリーズは、写真における「真実性」や「現実」とは何かという根源的な問いを投げかけます。本展では、1975年のシリーズ開始当初から杉本氏が構想してきた人類史を巡るストーリーを初めて提示する、新作《ポコット族》なども加わり、このシリーズの奥深さが再認識されるでしょう。人類の進化の過程における、時間と生命の連なりが、静止した画面の中に凝縮されているかのように感じられます。

次に現れるのは、〈劇場〉シリーズです。杉本氏は、アメリカ各地の古(ふる)い映画館を訪れ、映画一本の上映時間全体を一枚の長尺(ちょうじゃく)露光(ろこう)で撮影するという、独自の試みを行いました。スクリーンからは映画の内容が消え去り、観客を照らすわずかな光の軌跡(きせき)と、映画館の建築そのものがぼんやりと浮かび上がります。映画という「時間の流れ」を、一枚の写真の中に「凝縮された光」として表現することで、杉本氏は時間の概念を視覚化しました。映写機から放たれる光がスクリーンを貫き、やがてその光跡(こうせき)が一点の白い輝きとなり、時間の存在そのものを強く印象づけます。このシリーズは、時間の本質、記憶の儚(はかな)さ、そして映画というメディアの存在意義を静かに問いかけます。

そして、杉本博司の代表作として世界的に知られる〈海景〉シリーズが続きます。世界中の海を巡り、地平線と水面という最もシンプルな構図で撮影されたこれらの作品は、数千年前、数万年前の人類が目にしたであろう「変わらない海」の姿を捉える試みです。上下二分割された画面は、空と海、光と影の無限の階調(かいちょう)によって構成され、観る者を悠久(ゆうきゅう)の時の流れへと誘います。そこには、人類の誕生以前から存在する根源的な風景があり、瞑想的(めいそうてき)な静寂が広がります。波の動きや雲の流れといった一瞬の変化を越え、普遍的な「水平線」という概念を捉えようとする杉本氏の視点が、時間の果てしない広がりを感じさせます。本展では、新作《相模湾、江之浦(えのうら)》なども展示され、杉本氏が長年取り組む小田原文化財団 江之浦測候所(えのうらそっこうじょ)の敷地から望む風景が、彼の芸術的探求の深まりを示唆(しさ)するでしょう。

これらの初期シリーズは、杉本氏が写真というメディアの特性を深く掘り下げ、時間や記憶といった人間の認識の根幹に関わるテーマを、独自の美意識と哲学をもって表現し始めた原点であり、続く章へと繋がる重要な礎(いしずえ)となっています。

第2章:観念の形

第2章「観念の形」では、杉本博司が1990年代末から展開したシリーズを通じて、人間の知性や想像力が生み出すさまざまな「かたち」を主題とし、作品世界を拡張・深化させていくプロセスが示されます。この章では、目に見える現実の再現に留まらず、抽象的な概念や思考の痕跡(こんせき)を写真で捉えようとする杉本氏の姿勢が鮮明になります。

〈観念の形〉および〈スタイアライズド・スカルプチャー〉シリーズは、この章の核をなす展示です。ここでは、数学者が考案した複雑な数理模型(すうりもけい)や、自身が手掛けた抽象彫刻などが被写体となります。これらの作品は、人間の思考が生み出した純粋な「かたち」を写真に収めることで、目に見えない観念や抽象的な世界を視覚化する試みです。光と影の巧妙な操作によって、無機質な数理模型がまるで生命を宿した有機体のように、あるいは古代の遺物のように見え、観る者に形而上学的(けいじじょうがくてき)な問いを投げかけます。これらの作品は、写真が単なる記録媒体ではなく、概念を表現する強力なツールであることを示しています。

特に注目されるのは、クリスチャン・ディオールとのコラボレーションから生まれた未公開作品です。ディオールが1947年に発表し、戦後のファッション界に「ニュールック」をもたらしたことで知られる象徴的な「バー」ジャケットと「ソワレ」ドレスを、杉本氏は単なる衣服としてではなく、一つの彫刻として捉え撮影しました。杉本氏は、建築的な構築性を重んじたクリスチャン・ディオールのデザイン哲学と、自身の空間や構造への深い関心が共鳴すると語っています。光と影を巧みに操り、衣服の持つ普遍的なラインとフォルムの美しさを際立たせることで、ファッションとアートの境界を越えた造形(ぞうけい)への探究が表現されています。

また、〈建築〉シリーズもこの章に連なります。杉本氏は、20世紀を代表する著名な建築物を撮影する際、通常よりも長い焦点距離(しょうてんきょり)を持つレンズを用い、意図的にピントをずらすことで、建築物の輪郭を曖昧(あいまい)にぼかしています。これにより、個々の建築物が持つ固有の特徴が薄れ、普遍的な「建築物」という概念そのものが浮かび上がります。歴史的建造物も現代建築も、時間の経過や個性を超え、構造と形式の純粋な表現として再構築されます。このシリーズは、私たちが建築物を見るという行為そのもの、そして現実の認識がいかに曖昧であり、主観的なものであるかを問いかけます。

第2章は、杉本氏が初期の具体的な対象物から、より抽象的な観念へとその探求の範囲を広げ、写真表現の可能性を深めていった過程を示す、重要な節目となるでしょう。

第3章:絶滅写真

最終章となる「絶滅写真」は、本展のタイトルが示す核心に迫る章であり、終焉(しゅうえん)を迎えつつある銀塩写真というメディアの始原(しげん)に遡(さかのぼ)りながら、今日のデジタル時代における写真のあり方、さらには人類文明の未来に対する杉本博司の深い考察が展開されます。

この章の冒頭を飾るのは、〈前写真、時間記録装置〉そして〈フォトジェニック・ドローイング〉のシリーズです。これらの作品は、カメラが発明される以前の、光が物体に直接触れることでイメージが形成されるという、写真の最も原始的な原理に立ち返る試みです。暗室で印画紙の上に物体を置き、直接光を当てることで、光の痕跡(こんせき)を記録する手法は、写真の「始まり」を問い直し、デジタルに置き換わった現代において失われつつある、写真の持つ物理的なリアリティと光との根源的な関係性を浮き彫りにします。特に〈フォトジェニック・ドローイング〉では、19世紀の写真の先駆者であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの初期写真作品を、さらにその制作過程を辿るように再制作することで、写真の歴史そのものと対峙(たいじ)します。

〈肖像〉シリーズでは、杉本氏が自然史博物館の蝋人形(ろうにんぎょう)を、あたかも実在の人物であるかのように撮影した作品が展示されます。歴史上の人物や著名人の蝋人形に、まるで生命が宿っているかのような錯覚を覚えるこれらの写真は、人間の存在と不在、そして写真が記録する「真実」とは何かという問いを深めます。固定された像を通して、失われた時間や人物の痕跡を呼び覚まそうとする試みは、生命の儚(はかな)さと記憶の曖昧さを同時に感じさせます。

近年展開されている〈オプティックス〉(Opticks)シリーズは、プリズムを透過(とうか)した光のスペクトルを直接印画紙に焼き付けることで制作されます。ニュートンの光学実験に触発されたこのシリーズは、光という写真の根源的な要素そのものに焦点を当て、写真の生成プロセスを純粋な形で探求します。光が持つ色彩とエネルギーが、印画紙の上に直接描き出されることで、視覚の根源的な美しさと、写真が光によって形作られるという事実を改めて認識させます。新作《オプティックス087》なども展示され、杉本氏の光に対する飽くなき探求の現在地を知ることができるでしょう。

そして、本展のために制作された新作《カメラマン》は、この「絶滅写真」のテーマを現代に問い直す重要な作品です。これは、杉本氏が「カメラは人間の眼の構造を映した装置である」という構想のもと、光学機器メーカーと共同で開発したメガネ型カメラです。シャッター速度を1秒に設定し、3分間の暗闇の後に自身の指でシャッターを切ることで、1秒間の外景が網膜に露光(ろこう)され、記憶というフィルムに保存されるという仕組みです。この作品は、人間の眼とカメラの関係性、そして記憶の生成と劣化のプロセスをメタファーとして表現しています。文明の時間の長さを人生に例え、人の一生で経験する記憶が如何(いか)に短く、脆(もろ)いものであるかを提示し、情報過多のデジタル時代における「見る」ことと「記憶する」ことの意味を深く問いかけます。銀塩写真の「絶滅」は、単なる技術の喪失に留まらず、人類が培ってきた「証拠能力」としての写真、ひいては直接的な経験や記憶の価値そのものが危ぶまれる時代への警鐘とも受け取れるでしょう。

この章は、写真の歴史、技術、そして哲学的意味を深く掘り下げ、観る者に、杉本博司が半世紀にわたって向き合ってきた「絶滅」という主題の多層性(たそうせい)を体験させ、現代社会と未来への示唆(しさ)を与える結びの章となることでしょう。

まとめ

「杉本博司 絶滅写真」展は、現代美術作家・杉本博司が初期から現在に至るまで、銀塩写真という一貫した媒体を通して探求し続けてきた、時間、記憶、観念、そして「絶滅」という普遍的なテーマを網羅的に紹介する、まさに壮大な回顧展です。東京国立近代美術館という歴史ある空間で展開される約60点もの銀塩写真の数々は、デジタル技術が席巻(せっけん)する現代において、その技法そのものが「絶滅危惧種」となった銀塩写真の持つ比類なき美しさと、表現の深遠さを改めて世に問いかけます。

杉本氏の作品は、精緻(せいち)なコンセプトと高度な技術に裏打ちされながらも、観る者自身の内面にある感覚や記憶に深く語りかけます。〈ジオラマ〉における生命と非生命の境界線、〈劇場〉における凝縮された時間、〈海景〉における悠久(ゆうきゅう)の時の流れ、そして〈観念の形〉や〈建築〉における抽象的な思考の具現化など、各シリーズはそれぞれ異なる角度から世界の真理に迫ろうとします。そして、〈前写真、時間記録装置〉や〈オプティックス〉、さらには新作《カメラマン》といった作品群は、写真というメディアの起源と未来、そして人間の知覚と記憶の儚(はかな)さに対する杉本氏の深い洞察(どうさつ)を鮮やかに示しています。

本展は、単に杉本博司という一人の作家の芸術的軌跡(きせき)を辿るだけでなく、写真というメディアそのものが持つ意味、そしてデジタル化が進む世界における私たちの視覚文化のあり方を深く考察する機会を提供します。絶滅しつつある銀塩写真の究極的な美しさに触れることは、写真が長らく担ってきた「真実を写す」という役割の終焉(しゅうえん)を痛感させると同時に、技術の進歩によって失われつつある、人間本来の根源的な知覚や記憶の価値を再認識させるでしょう。

この展覧会は、現代社会に生きる私たちにとって、時間の流れ、記憶の積み重なり、そして文明の未来について深く思索(しさく)を巡らせる、貴重な体験となるに違いありません。杉本博司が写真を通して提示する「絶滅」のヴィジョンは、現代という時代の本質を鋭く抉(えぐ)り出し、観る者の心に静かな、しかし確かな問いかけを残すでしょう。

展示会情報

会場
東京国立近代美術館
開催期間
2026.06.16 — 2026.09.13