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Opticks 087

杉本博司

現代美術作家である杉本博司(すぎもとひろし)が2025年に制作した「オプティックス 087」は、光の根源的な性質を問いかける一連の作品「オプティックス」シリーズに属する写真作品です。縦横119.4センチメートルの発色現像方式印画(はっしょくげんぞうほうしきいんが)として発表され、科学と芸術の境界を探る杉本独自の視点が凝縮されています。

作品の姿と内容

この作品「オプティックス 087」は、画面全体に広がる豊かな色彩のスペクトル(光の帯)によって構成されています。正方形の画面の中に、ある一点から放射状に、あるいは水平方向や垂直方向にゆるやかに広がる光の分解像が捉えられています。色は、赤から橙、黄、緑、青、藍、紫へと、連続的に、そして極めて繊細なグラデーション(階調)を伴って移ろい、それぞれの色が互いに混じり合いながら、無限とも思える中間色を生成しています。色彩の境界は明瞭でありながらも、その移行は溶け合うように滑らかで、光そのものが持つ純粋な美しさと、視覚が捉えることのできる色の多様性を視覚化しています。特定の具象的なモチーフは描かれておらず、光と色という純粋な要素そのものが作品の主題となり、鑑賞者をして光の奥行きと広がりを体感させるような、瞑想的な空間を現出させています。

背景・経緯・意図

杉本博司による「オプティックス」シリーズは、17世紀のイギリスの物理学者アイザック・ニュートンが1704年に出版した著書『光学(オプティックス)』に記された、光のプリズム(三角柱)実験に触発されて制作されました。ニュートンは1666年に行ったこの実験によって、白色光が単一の光ではなく、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫といった様々な色の光が複合してできていることを発見し、「スペクトル」と名付けました。杉本は、ニュートンが用いた観測装置を改良し、プリズムによって分光された光そのものを写真に記録するという試みを行いました。彼の意図は、科学的な探求によって可視化された光の真の姿を、現代の写真技術をもって再演し、人間の知覚と世界の根源的な構造を再考することにあります。杉本は、科学的認知が「神」を必要としなくなった現代において、そこからこぼれ落ちる世界を掬(すく)い取ることがアートの役割だと考えており、このシリーズを通して「捨象(しゃしょう)されてしまった色の間でこそ世界を実感できる」と語っています。また、彼の作品としては珍しいカラー写真のシリーズであり、これは「光を絵の具として使った」新しい絵画(ペインティング)の試みであるとも述べています。

技法や素材

「オプティックス 087」は、発色現像方式印画という技法で制作されています。これは、一般的にカラー写真のプリントに用いられる手法であり、感光材料に含まれるカプラー(発色剤)が、現像処理の過程で化学反応を起こし、シアン、マゼンタ、イエローの三原色の色素を生成することで、フルカラーの画像が形成されます。杉本は、ニュートンのプリズム実験を再現するにあたり、分光された色そのものを、惜しまれつつも製造中止となったポラロイドフィルムに記録しました。このポラロイドフィルムに焼き付けられた無限の階調を持つ色彩の記録を、その後デジタル技術を駆使して大判のプリント作品に仕上げています。この複合的なプロセスにより、光の微細なニュアンスや色の連続性が高精度で捉えられ、鮮やかでありながら深みのある色彩表現が可能となっています。

意味

この作品「オプティックス 087」および「オプティックス」シリーズは、単に光の現象を記録しただけでなく、光そのものが持つ本質的な意味を問いかけています。光は、物理的な存在であると同時に、生命や知識、真理といった象徴的な意味を持ちます。白色光をプリズムで分解し、その奥に隠された様々な色の光のスペクトルを可視化する行為は、目に見える世界の背後にある、より根源的な構造や、知覚の限界を探る試みを示唆しています。ニュートンが科学的に光の構成要素を解明したことは、世界に対する人間の理解を大きく進めましたが、杉本はこのシリーズで、その科学的理解の「隙間」にこそ、芸術が探求すべき領域があると考えています。作品に表現された無限の色彩のグラデーションは、分断されがちな科学と芸術、理性と感性の間にある連続性や、多層的な世界のあり方を象徴していると言えるでしょう。

評価や影響

「オプティックス」シリーズは、モノクロームの「海景」や「劇場」シリーズなどで知られる杉本博司にとって、主要なカラー写真作品群として美術界に大きなインパクトを与えました。彼のこれまでの作品が時間や記憶、不在といったテーマを、静謐なモノクロームの世界で表現してきたのに対し、「オプティックス」は色彩そのものを主題とすることで、杉本芸術の新たな地平を切り開いたと評価されています。このシリーズは、科学史における重要な発見を芸術作品として再構築することで、知的な奥行きと視覚的な美しさを兼ね備え、現代における光と色の意味、そして写真というメディアの可能性を問い直す作品として、国内外で高い評価を受けています。発表以降、彼の作品群の中でも特に注目され、美術史において科学と芸術の対話を深める重要な試みとして位置づけられています。