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フォトジェニック・ドローイング 017 屋根の輪郭線、レイコック・アビー 1835-1839年頃

杉本博司

杉本博司(すぎもとひろし)による「フォトジェニック・ドローイング 017 屋根の輪郭線、レイコック・アビー 1835-1839年頃」は、写真という媒体の根源的な問いを提示する作品です。2008年に制作されたこの作品は、ゼラチン・シルバー・プリントと調色によって、写真術の黎明期へと観る者を誘います。

作品の姿と内容

この作品は、縦93.7センチメートル、横74.9センチメートルの画面いっぱいに、モノクロームのグラデーションで描かれた抽象的な建築の輪郭が広がっています。画面全体は、光を受けて白く輝く部分から、影に沈む漆黒へと連続的に移り変わる豊かなグレーの諧調で構成されており、見る角度によって微妙な光沢感を示すゼラチン・シルバー・プリント特有の質感が感じられます。描かれているのは、イギリスの歴史ある邸宅、レイコック・アビーの屋根の輪郭線です。具体的な建築物の細部というよりも、そのシルエット、すなわち、屋根が空を切り取る線が主役となっています。左右非対称に配された、緩やかな勾配を持つ屋根の線は、その下にある構造物の存在を暗示しながらも、どこか浮遊するような、あるいは時間の中に溶解していくかのような儚さがあります。全体としては、シャープな線というよりは、柔らかく、わずかににじんだような印象を与え、あたかも記憶や夢の風景を直接紙に定着させたかのようです。光と影が織りなす空間は静寂に包まれ、その中に歴史の重みがひっそりと宿っているように見えます。

背景・経緯・意図

この作品の背景には、写真術の創始者の一人、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが19世紀半ば、まさにこのレイコック・アビーで写真を発明したという歴史があります。タルボットは、カメラを使わずに感光紙に直接植物などを置いて光を当て、像を定着させる「フォトジェニック・ドローイング」という技法を考案しました。杉本博司は、この写真の原点ともいえるプロセスに着目し、2008年に自身の解釈と現代の技術を用いて、再び「フォトジェニック・ドローイング」のシリーズを制作しました。これは、写真というメディアの本質、すなわち「光によって時間を記録する」という行為の起源を探る杉本の長年にわたる探求の一環です。タルボットが光の原理を用いて自然の形を記録しようとしたように、杉本もまた、歴史的な建造物であるレイコック・アビーの屋根という、まさに写真史の萌芽の地に立ち、その光と形を現代に再提示することで、写真とは何か、時間とは何かという問いを投げかけています。この作品は、タルボットが写真を発明した1830年代後半の時代背景、つまり科学技術の進歩が新たな視覚文化を生み出し始めた時期への深い敬意と、そのプロセスを現代の視点から再構築する試みとして制作されました。当時の人々が光による描画に驚きと可能性を見出したのと同様に、杉本は我々にその原初的な驚きを呼び覚まそうとしていると考えられます。

技法や素材

この作品に用いられているのは「ゼラチン・シルバー・プリント」であり、さらに「調色」が施されています。ゼラチン・シルバー・プリントは、光に反応するハロゲン化銀の粒子をゼラチンで乳化させた層を塗布した印画紙に画像を焼き付け、現像・定着させるという、19世紀末から現代に至るまで最も広く普及したモノクロ写真の印刷技法です。杉本博司は、この伝統的な技法を極めて高い精度で操ることで知られています。特に彼のプリントは、光沢感と奥行きのある黒、そして繊細なグレーの諧調が特徴です。さらに、この作品には「調色」が施されています。調色とは、プリントを薬品に浸すことで、画像のトーンを変化させ、保存性を高める処理です。硫化セレンや金などを用いて、画像の色彩を温かい茶色や青みがかった色調に変化させたり、画像全体の耐久性を向上させたりします。杉本の作品においては、この調色が、歴史的な主題にふさわしい、より古風で深みのある色合いと、時間を経ても色褪せない永続性を与える工夫として用いられていると考えられます。

意味

作品のモチーフである「屋根の輪郭線」は、単なる建築の一部分ではなく、レイコック・アビーという歴史的建造物の、時の流れを静かに受け止めてきた姿を象徴しています。タルボットがこの地で写真を発明したことを踏まえると、この輪郭線は、光によって形が記録され始めた「写真の誕生の瞬間」そのものを表しているとも解釈できます。光が物理的な形を抽象的な線へと昇華させる様は、写真が現実をいかに捉え、表現し得るかという根源的な問いを内包しています。また、「フォトジェニック・ドローイング」という技法名は、ギリシャ語の「光が描く」という意味に由来し、人間の手を介さずに光が直接形を紙に写し取る、という写真の最も原始的で神秘的なプロセスを指し示しています。杉本は、この原始的な光の働きと、それによって生じる線の抽象性を通して、時間、記憶、存在の儚さといった普遍的な主題を探求しています。レイコック・アビーの屋根の輪郭は、過去と現在、そして未来へと続く時間軸の中で、光が残した痕跡としての意味を深く持っていると言えるでしょう。

評価や影響

杉本博司の「フォトジェニック・ドローイング」シリーズは、写真史の最も重要な転換点の一つである「写真の発明」そのものに焦点を当てることで、現代美術において写真というメディアの意義を再考させる作品として高く評価されています。このシリーズは、タルボットのオリジナル作品を単に模倣するのではなく、杉本自身の哲学と卓越した技術を通して、写真が持つ時間と記憶、存在の記録という本質的な力を現代に提示し直しました。この作品群は、歴史に対する深い洞察と、視覚芸術におけるミニマリズムの追求が融合した例として、美術評論家や研究者から注目を集めています。また、鑑賞者に対しては、一枚の写真の中に込められた計り知れない時間と、光という目に見えない存在が形を生み出す神秘性への意識を喚起し、写真という行為の根源的な魅力を再認識させています。杉本が提示する、時間を超えた普遍的なテーマと、精緻な技法に裏打ちされた表現は、後世のアーティストたちにも、歴史的遺産と現代的な視点を融合させることの重要性を示唆する影響を与えていると言えるでしょう。