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フォトジェニック・ドローイング 015 タルボット家の住み込み家庭教師、アメリナ・ペティ 女史と考えられる人物 1840-1841年頃

杉本博司

杉本博司による「フォトジェニック・ドローイング 015 タルボット家の住み込み家庭教師、アメリナ・ペティ 女史と考えられる人物 1840-1841年頃」は、写真の黎明期に生み出された初期の作品群を現代に問い直す試みとして制作されました。これは、写真の起源であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット)が発明した技法へのオマージュであり、写真というメディアの本質を探求する杉本の姿勢を象徴する作品です。

作品の姿と内容

画面の中央には、わずかに右寄りの位置に、ひとりの女性の姿が幽玄(ゆうげん)に浮かび上がっています。その全体像は輪郭が曖昧で、光の当たった部分が淡く輝く一方で、影の部分は深く沈み込み、細部の判別を難しくしています。顔の表情は判然(はんぜん)とせず、横顔に近い構図で描かれているように見受けられます。女性の衣服は、当時のヨーロッパにおいて一般的に見られたような簡素なものであり、生地の質感や装飾は、光の拡散と影の濃淡によって曖昧に表現されています。彼女の背景には、具体的な風景や調度品は見えず、全体的に均一なトーンの暗闇が広がり、人物像を一層際立たせています。作品全体を覆うのは、セピアがかったような温かみのある黒と白の階調(かいちょう)であり、これにより、時間の経過を感じさせる古風な雰囲気が醸し出されています。画面の質感は滑らかでありながらも、わずかなざらつきを感じさせるような、物質的な存在感を持ち合わせています。

背景・経緯・意図

この作品は2008年に制作されましたが、その主題は19世紀半ば、すなわち写真が誕生したばかりの時代に遡ります。写真術のパイオニアの一人であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは、自らが開発した「フォトジェニック・ドローイング」という技法を用いて、身近な人物や植物などを写し取っていました。本作品に写されているとされるアメリナ・ペティ女史も、タルボットの住むレイコック・アビー(レイコック・アビー)で住み込みの家庭教師をしていた人物であり、彼の初期の実験の対象となったと考えられています。杉本博司は、デジタル写真が普及し、写真の持つ「真実性」や「物質性」が問い直される現代において、写真の起源に立ち返ることで、その本質を問い直すことを意図しました。タルボットの初期の作品が持つ、まだ明確な芸術としての意識が希薄であった時代の、偶然性や試行錯誤の痕跡に、杉本は写真の根源的な魅力を感じ取り、それを現代の技術と感性で再構築しようとしたのです。

技法や素材

杉本博司のこの作品は、現代の古典的な写真技法であるゼラチン・シルバー・プリントに調色を施すことで制作されています。ゼラチン・シルバー・プリントは、銀塩(ぎんえん)を感光剤(かんこうざい)として用いることで、シャープな描写と豊かな階調表現を可能にする技法です。これに調色を加えることで、モノクローム(モノクローム)写真に独特の色合いを与え、時間の経過や特定の雰囲気を表現することができます。本作品の主題であるタルボットの「フォトジェニック・ドローイング」は、光に感光する紙の上に直接物体を置き、太陽光を当てることで像を定着させる、いわばフォトグラムに近い手法でした。杉本は、この原始的な写真技法によって生み出された、光と影のみで構成される淡く曖昧なイメージを、現代の高度なプリント技術で再現しています。これにより、オリジナル作品の持つ時間の古さと、杉本が現代においてそれを再解釈する意図が、素材と技法を通じて結びつけられています。

意味

この作品が表現しようとしている主題は、写真というメディアが持つ「時間」と「記憶」、そして「存在」への深い問いかけにあります。アメリナ・ペティ女史という、歴史の中に埋もれがちな一人の人物の肖像を現代に蘇らせることで、杉本は過去の時間を現代に接続し、忘れ去られゆく存在に光を当てています。初期の写真が、まだ「写実的な記録」という概念が確立される以前に、光と物質の相互作用によって偶然に生み出された像として捉えられていたことを示唆(しさ)しています。作品を鑑賞する私たちは、写真が単なる現実の複製ではなく、光を通して時間を凝縮し、記憶を物質化する媒体であることを再認識させられます。それは、写真が本質的に持っている「死者の肖像」という側面や、消えゆくものへの郷愁(きょうしゅう)といったテーマにも繋がるものです。

評価や影響

杉本博司の「フォトジェニック・ドローイング」シリーズは、写真史の深淵(しんえん)に分け入り、写真というメディアの本質を問い直す作品として高く評価されています。デジタル写真が主流となる現代において、写真の物質性、時間の概念、そして人間の知覚といった根源的なテーマを探求する杉本の姿勢は、多くの批評家や研究者から注目を集めました。このシリーズは、単なる歴史的な写真の模倣(もほう)ではなく、杉本自身の哲学と美意識を通じて、写真の起源を現代に接続し、新たな意味を付与した点にその美術史における位置づけがあります。また、彼の作品は、写真が科学技術であると同時に芸術表現であることを改めて示し、後世のアーティストたちに、メディアの特性を深く掘り下げた表現の可能性を示唆しました。