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モンマルトル広場 / The Public Square

ピエール・ボナール / Pierre Bonnard

ひろしま美術館が所蔵するピエール・ボナールによる油彩作品「モンマルトル広場」は、1905年頃に制作された縦37.4センチメートル、横47.4センチメートルのカンヴァスに描かれた一点です。本作は、ナビ派の中心メンバーであり、「色彩の魔術師」「親密派(アンティミスト)」とも称されたボナールが、パリの日常風景、特にモンマルトルの活気ある広場の情景を描き出した作品として、その独特な色彩表現と私的な視点が凝縮されています。

作品の姿と内容

画面は、パリのモンマルトルの一角にある広場の賑わいを、やや高い視点から見下ろすように捉えています。画面手前には行き交う人々が、遠景には建物が配置されていると推測されます。ボナール特有の、柔らかくも鮮やかな色彩が画面全体を覆い、特に光の表現に重点が置かれていると考えられます。人物像は個々の特徴が曖昧にされ、むしろ広場全体の動きや雰囲気を構成する色彩の塊として描かれている可能性があります。彼らの服装や姿勢からは、当時のパリ市民の日常が垣間見えるでしょう。建物の輪郭は明確ではなく、光の当たり具合によって形がぼかされ、装飾的なパターンとして処理されていることも考えられます。全体的に平面的な構成でありながら、色彩の重なりと微妙な陰影によって、広場の奥行きと空間の広がりが示唆されていると推測されます。細部は写実的に描写されるよりも、画家がその瞬間にとらえた視覚的な印象が優先され、画面全体に漂う穏やかな空気感や、都市の喧騒が色彩のリズムとして表現されていることでしょう。

背景・経緯・意図

ピエール・ボナールは1867年にフランスに生まれ、19世紀末から20世紀前半にかけて活動した画家です。法律を学ぶ傍ら、アカデミー・ジュリアンでポール・セリュジエやモーリス・ドニらと出会い、1888年頃に「ナビ派(預言者たち)」を結成しました。ナビ派は、ポール・ゴーギャンの影響を受け、従来の写実主義に反発し、絵画の平面性、装飾性、主観的な色彩を重視した芸術運動です。ボナールはその中でも、日本の浮世絵から強い影響を受け、「ナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ)」と呼ばれました。本作が制作された1905年頃は、彼が初期のナビ派としての活動を経て、より個人的な色彩感覚と日常的な題材への深い洞察を追求し始めた時期にあたります。彼は、自身の身の回りにある親密な風景や人物を描く「親密派(アンティミスム)」の代表的な画家としても知られ、室内情景や街の風景に、個人的な感情や記憶を投影することを好みました。本作においても、当時のパリ、特に芸術家が多く住み、活気に満ちていたモンマルトルの広場という公共の場を題材としながらも、画家の内面的な眼差しを通して、その情景が再構築されていると考えられます。彼はしばしば、対象を直接見て描くのではなく、記憶を頼りに制作したため、作品には幻想的で非現実的な要素が溶け込んでいます。

技法や素材

「モンマルトル広場」は油彩(ゆさい)とカンヴァスを用いて制作されています。ボナールは、油絵具を薄く塗り重ねることで、光と色彩の繊細なニュアンスを表現することに長けていました。彼の絵具の塗りは滑らかで、色彩のベールが幾層にも重なるような効果を生み出しています。また、明確な輪郭線よりも、色彩の隣接や混ざり合いによって形を構成する手法を多用しました。ナビ派の画家として、彼は日本の浮世絵に影響を受けた平坦で装飾的な画面構成を取り入れています。しかし、単なる平面的な描写に留まらず、光の陰影や色彩の諧調を巧みに操ることで、画面に奥行きと豊かな質感を与えています。ボナール自身が「絵画、すなわち視神経の冒険の転写」と語ったように、彼の技法は、視覚が外界の情報をどのように捉え、それが記憶の中で再構築されるかという、主観的な知覚のプロセスを絵画上に表現しようとするものでした。

意味

本作において「モンマルトル広場」は、単なる物理的な場所の描写に留まらず、20世紀初頭のパリの都市生活が持つ活気と、そこに生きる人々の匿名的な群像を象徴しています。ボナールは、モンマルトルという芸術家たちが集う文化的な中心地を舞台に、日常の中に潜む美しさや、光と色彩が織りなす一瞬の感動を捉えようとしました。作品に登場する人物が個別の肖像としてではなく、群衆の一部として描かれている点は、近代都市における個人の存在と、社会全体の流動性を表現しているとも解釈できます。また、彼の「親密派」としての視点は、公共の場であっても、そこに流れる時間や空気、そして画家の眼を通して感じられる内面的な情景を重視したことを示唆しています。彼は、目に見える現実を客観的に模写するのではなく、自身の視覚体験と記憶が融合した「視神経の冒険」としての世界を描き出すことで、見る者に対しても、感覚的な体験を促すことを意図していたと考えられます。

評価や影響

ピエール・ボナールは、その生涯を通して独自の画風を貫き、身近な情景を色彩豊かに描き続けました。生前は作品がよく売れる画家でしたが、彼の死後、キュビスムなどの前衛芸術の台頭により、一時期はその美術的価値が十分に評価されない時期もありました。しかし、友人であるアンリ・マティスが「ボナールは私たちの時代にとって、そして当然のことながら、後世にとって偉大な芸術家であると私は主張する」と評したように、その真価は後の時代に再認識されることになります。特に美術批評家のジャン・クレールが1984年のボナール回顧展において、「視神経の冒険」という概念を用いて彼の絵画を再評価して以来、ボナールの作品は、ポスト印象派とモダンアートの橋渡しをする重要な位置を占めるものとして、現代においても高く評価されています。彼の、見る者の感情に訴えかける色彩表現と、日常の中に潜む詩情を捉える視点は、後世の画家たちにも影響を与え、その作品は現在も世界中の美術館で愛され続けています。近年では、2015年にパリのオルセー美術館で開催された展覧会で歴代2位の入場者数を記録し、翌年には日本でも大規模な回顧展が開催されるなど、その人気は衰えることなく、多くの人々を魅了し続けています。