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松竹梅 (竹(東風), 梅(紫昏図))

川合玉堂, 川端龍子

近代日本画の巨匠、川合玉堂(かわいぎょくどう)と川端龍子(かわばたりゅうし)による共作、「松竹梅」シリーズのうち、玉堂が描いた「竹(東風(こち))」と、龍子が描いた「梅(紫昏図(しこんず))」は、1955年(昭和30年)に制作された絹本彩色の二幅対の作品です。これらは、横山大観(よこやまたいかん)を含めた三巨匠が取り組んだ稀有な共同制作「循作(じゅんさく)」の一部として生み出され、各々の画家の個性が吉祥の主題に深く息づいています。両作品は山種美術館に所蔵されています。

作品の姿と内容

川合玉堂の「竹(東風)」は、その画風が示すように、静謐で詩情豊かな竹林の情景が描かれていると推測されます。画面には、東風にそよぐ柔らかな竹の葉が細やかな筆致で表現され、竹幹は垂直に伸びつつも、風の動きによってしなやかな曲線を描き、画面に軽やかなリズムと奥行きを与えているでしょう。色彩は、淡い緑色を中心に、墨の濃淡やかすれを巧みに用いて、光の移ろいや空気の湿度までも感じさせるような、穏やかな自然の息吹が息づいていると考えられます。全体の構図は、余白を活かしつつ、竹が織りなす空間の広がりと、その中に宿る静かな生命力が、観る者に安らぎをもたらすよう構成されていると推察されます。

一方、川端龍子の「梅(紫昏図)」は、龍子特有のダイナミックで力強い画風が反映された、壮大な梅の姿が表現されていると想像されます。紫がかった昏(たそがれ)時の空を背景に、大胆な枝ぶりの梅の老木が画面中央から力強く伸び、その枝には、白や淡いピンク色の梅の花が、生命力にあふれる筆致で咲き誇っていることでしょう。色の使用は、紫や深い藍色といった寒色を基調としながらも、梅の花の鮮やかな色彩が際立ち、コントラストによってドラマティックな効果を生み出していると推測されます。画面全体から、闇夜に咲き誇る梅の強靭な生命力と、力強い筆の運びによる躍動感が伝わり、観る者を惹きつけるような堂々たる存在感を放っていると考えられます。

背景・経緯・意図

これらの作品は、近代日本画の三大巨匠、横山大観、川合玉堂、そして川端龍子による「循作」という画期的な共同制作プロジェクトの一環として、1955年(昭和30年)に描かれました。1952年から6年間にわたり銀座の画商、兼素洞(けんそどう)の主催で行われたこの循作展では、「雪月花」や「松竹梅」といった共通の画題が設けられ、各画家が毎年持ち回りで異なるテーマを手がけ、三年をかけて一揃いの作品を完成させるという趣向が凝らされました。

この共同制作の背景には、戦後の日本美術界において、画壇を牽引する巨匠たちが、伝統的な画題を通して日本の精神性と文化の復興を願う共通の意図があったと推測されます。特に、横山大観と川端龍子の間には、龍子が院展を脱退して青龍社を設立した経緯から、長年の断絶がありましたが、戦後に和解し、この循作展で再び肩を並べることとなりました。また、川合玉堂と川端龍子も俳句を共通の趣味とすることで親交を深め、龍子は玉堂の葬儀委員長を務めるほどの深い絆で結ばれていました。このような個人的な繋がりと芸術への情熱が、画風の異なる三者が一つのテーマに向き合うという、稀有な試みを実現させた原動力であったと考えられます。 制作された1955年という時代は、終戦から10年が経過し、日本が復興の道を歩み始めていた時期にあたります。荒廃した国土からの再生を目指す中で、「松竹梅」が持つ吉祥の意味は、人々に希望と繁栄を願う象徴として、より深い共感を呼んだことでしょう。

技法や素材

「竹(東風)」と「梅(紫昏図)」は、いずれも絹本(けんぽん)・彩色という伝統的な日本画の技法と素材を用いて制作されています。絹本は、生絹(きぎぬ)や羽二重(はぶたえ)などの薄い絹地に絵を描くもので、その特徴は、絵の具の滲みや透過性が生み出す独特のやわらかな発色と、絹本来の光沢がもたらす上品な質感にあります。

彩色には、天然の鉱物を砕いて作られる岩絵具(いわえのぐ)や、植物由来の染料などが使用されています。これらの顔料は、膠(にかわ)という動物性の接着剤を混ぜて用いられ、絹地に幾層にも塗り重ねることで、深みのある色彩と豊かな階調が表現されます。川合玉堂は、繊細な筆遣いと淡い色彩の重ね塗りで、空気感や遠近感を表現することに長けていました。一方、川端龍子は、岩絵具を厚く塗り重ねる「盛上げ(もりあげ)」や、大胆な筆線を用いることで、大画面に力強い存在感と躍動感を与える表現を得意としていました。同じ絹本彩色という素材を用いながらも、両者の個性がそれぞれの作品に明確に表れていることが、これらの作品の大きな特徴と言えます。

意味

「松竹梅」は、古くから中国において「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と称され、松の常緑性、竹の強靭さ、梅の早春に咲く生命力から、逆境にあっても節操を保つ君子の象徴とされてきました。日本においては、これらが吉祥(きっしょう)のモチーフとして独自に発展し、長寿、繁栄、忍耐、希望といった多岐にわたる縁起の良い意味合いを持つ文様として定着しました。

「竹(東風)」の竹は、まっすぐに伸びる姿から「成長」や「清廉さ」、しなやかに風に耐える特性から「強靭(きょうじん)さ」や「忍耐力」を象徴します。 また、「東風(こち)」は春の訪れを告げる風であり、新たな始まりや希望を意味する言葉です。玉堂の作品においては、竹の瑞々(みずみず)しい生命力と、穏やかな春の到来が持つ再生への願いが込められていると解釈できます。

「梅(紫昏図)」の梅は、厳しい冬の寒さの中で、他の花に先駆けて美しい花を咲かせることから、「忍耐」と「希望」、「再生」の象徴とされています。 「紫昏図」の「紫」は、古来より高貴さや神秘性を、「昏」は夕暮れ、すなわち昼と夜の間の曖昧な時間を意味し、この世ならぬ美しさや精神性を暗示することがあります。龍子の作品では、夕闇迫る時間帯に一層の輝きを放つ梅の姿を通して、過酷な状況下でも失われない美しさや、神秘的な生命の輝き、そして新たな夜明けへの期待が表現されていると考えられます。

評価や影響

川合玉堂と川端龍子による「松竹梅」シリーズ、特に「竹(東風)」と「梅(紫昏図)」は、近代日本画壇を代表する二人の巨匠が、伝統的な吉祥の主題にそれぞれの独自の解釈と画風で挑んだ貴重な作例として、高く評価されています。この「循作」という試み自体が、異なる個性を持つ画家たちが主義主張を超えて交流し、共同で一つのテーマを深掘りした、美術史においても特筆すべき出来事でした。

川合玉堂は、「日本のふるさと」「日本のこころ」を描き出した画家として、その作品が多くの日本人の郷愁(きょうしゅう)や詩情に訴えかけ、日本画の伝統的な美意識を継承・発展させた功績は揺るぎないものです。彼の作品は、穏やかで写実的ながらも、深い精神性を宿しており、後世の画家たちに自然への深い洞察と表現の可能性を示しました。

一方、川端龍子は、伝統的な日本画の枠組みに捉われず、大画面を用いた「会場芸術」を提唱し、「大作主義」を貫いたことで知られます。 彼の作品は、その力強い表現力と革新性によって、日本画が床の間芸術から展示空間全体を圧倒する公共性を持つ芸術へと発展する道筋を示しました。この「松竹梅」においても、玉堂の繊細な竹と龍子の大胆な梅が並び立つことで、日本画表現の多様性と奥深さを同時に示すものとして、現代においてもその価値は再認識されています。山種美術館に所蔵されているこれらの作品は、近代日本画の発展における重要な位置を占めるものとして、後世に多大な影響を与え続けています。