[絵付] 川合玉堂, [作陶] 川合修二
昭和25年から30年頃(1950年から1955年頃)に制作された「菊絵図香炉」は、日本画壇の巨匠、川合玉堂(かわいぎょくどう)が絵付けを、そして川合修二(かわいしゅうじ)が作陶を手がけた陶器製の香炉です。この作品は、伝統的な日本の美意識と職人技が融合した collaborative(コラボラティブ)な一面を示すものとして、その価値が認められています。
この「菊絵図香炉」は、機能美と装飾美を兼ね備えた陶器製の香炉です。本体は、安定感のある、やや丸みを帯びた形状をしており、底部には三つ足が設けられていると推測されます。蓋もまた本体と調和するよう造形され、香気が立ち上るための繊細な透かし彫りや開口部が設けられていると考えられるでしょう。香炉全体を彩るのは、川合玉堂による「菊」の絵付けです。菊は、大輪の花弁を広げたものから、つぼみの状態、あるいは葉を伴った姿で、香炉の曲面を巧みに活かすように配置されていると想像されます。その色彩は、伝統的な日本画で用いられる顔料の色合いを思わせる、落ち着いた金や、深みのある緑、あるいは抑制された白や薄い黄色が主体となり、余白の美しさを意識した構図で描かれていると推測されます。細部においては、花弁一枚一枚や葉脈(ようみゃく)の描写に、玉堂ならではの洗練された筆致が見て取れるでしょう。釉薬(ゆうやく)の透明感や、陶器の素地(そじ)の色合いと絵付けのコントラストが、香炉に奥行きと上品さをもたらしていると考えられます。
この作品が制作された1950年代は、第二次世界大戦後の日本が復興の途上にあり、社会全体が激しい変革を経験していた時代です。GHQ(ジーエイチキュー)による占領が終わり、経済活動が徐々に活気を取り戻しつつありましたが、伝統文化の継承と新たな価値の創造が模索されていました。川合玉堂は、明治時代から日本の風景画における大家としてその地位を確立しており、この時期にはすでに80歳を超えていましたが、生涯を通じて日本の自然や風情を愛し、その美しさを表現し続けていました。一方、川合修二は陶芸家として、伝統的な陶芸技術を踏まえつつ、新たな表現を追求していたと推測されます。 このような時代背景において、「菊絵図香炉」の制作は、異なる分野の熟練した芸術家が協働することで、日本の伝統美を現代に継承し、また新たな形で提示しようとする意図があったと考えられます。玉堂にとっては、自身の画業とは異なる陶器という立体的な支持体に絵付けを施すことで、新たな表現の可能性を探る機会であったかもしれません。また、修二にとっては、日本画の巨匠による絵付けが施されることで、自身の作陶に新たな芸術的価値と深みを与えることを意図したと推測されます。このコラボレーションは、戦後の混乱期にあって、失われかけた日本の美的伝統を守り、未来へと繋ぐという、ある種の使命感も込められていた可能性も考えられます。
「菊絵図香炉」は陶器を素材としています。陶器は、粘土を成形し、約800度から1200度程度の比較的低い温度で焼成したもので、吸水性があり、素朴な質感が特徴です。川合修二は、陶土の選定から成形、素焼き、釉薬掛け、そして本焼きに至るまで、熟練した陶芸の技法を駆使してこの香炉を制作したと考えられます。具体的な作陶技法としては、轆 轤(ろくろ)を用いた挽き物(ひきもの)成形、あるいは型を用いた成形が考えられます。表面には、陶器らしい温かみのある風合いを引き出す釉薬が施されていると推測され、その質感は、菊の絵付けと調和し、全体に落ち着いた美しさを与えているでしょう。 絵付けを担当した川合玉堂は、自身の日本画で培った卓越した筆致と色彩感覚を、陶器の曲面という特殊な支持体に応用しました。陶器への絵付けは、紙や絹に描く日本画とは異なり、釉薬の上から、あるいは下から絵具を施し、再び焼成することで定着させるため、絵具の発色や筆の運びにも独特の技術と経験が求められます。玉堂は、この素材の特性を理解し、陶器に適した表現方法で菊の生命力と繊細さを描き出したと推測されます。線描(せんびょう)の確かさや、色使いの妙に、彼の長年の画業の蓄積が表れていると考えられます。
菊は、日本では古くから高貴で縁起の良い花として尊重されてきました。特に、天皇家の家紋にも用いられる「菊の御紋(きくのごもん)」に象徴されるように、皇室や国家の象徴、長寿や繁栄の願いが込められた吉祥文様(きっしょうもんよう)として、美術工芸品や染織品など幅広い分野で用いられてきました。秋の季節を代表する花でもあり、その清らかで気品ある姿は、古くから多くの詩歌や絵画の題材となってきました。 この「菊絵図香炉」において菊が描かれていることは、単なる装飾以上の意味を持っています。戦後復興期という社会的な転換点において、菊のモチーフを用いることは、日本の伝統や文化の不易(ふえき)なる美しさ、あるいは困難な時代を乗り越え、再び繁栄を願う人々の希望の象徴であったと解釈できます。香炉という、香を焚き、空間を清めるための道具に菊が描かれることで、精神的な浄化や平穏への願いが込められているとも考えられます。また、玉堂が描く菊は、単なる図案ではなく、自然を深く観察し、その生命力を捉えようとする彼の姿勢が反映されていると推測されます。
「菊絵図香炉」は、川合玉堂と川合修二という、異なる分野の二人の芸術家による稀有なコラボレーション作品として、美術史的にも工芸史的にも重要な位置を占めると考えられます。当時の評価については具体的な記録が少ないものの、玉堂晩年の作品であり、彼の画業の広がりを示す一例として注目されたと推測されます。また、戦後の混乱期に、伝統的な美意識と技術が融合したこのような作品が生み出されたことは、日本の芸術界における希望の光と受け止められた可能性も考えられます。 現代においては、川合玉堂の陶器への絵付けという珍しい試みとして、彼の芸術性の一側面を理解する上で貴重な資料となっています。同時に、川合修二の作陶技術と、日本画の大家との協働が実現した工芸品としても評価されるべきものです。この作品は、単独の芸術家の作品としてではなく、絵画と陶芸という異なる表現領域の融合が、いかに新たな価値を生み出し得るかを示す一例として、後世の芸術家や工芸家にも示唆を与えた可能性があります。日本の伝統美術が、現代においていかに生き生きと継承され、新たな形を取り得るかを示す好例として、今日の美術愛好家や研究者にとっても引き続き関心の対象となるでしょう。