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紅白梅

川合玉堂

川合玉堂(かわいぎょくどう)の《紅白梅》(こうはくばい)は、1919年(大正8年)頃に制作された、紙本金地(しほんきんじ)彩色の六曲一双(ろっきょくいっそう)の屏風(びょうぶ)作品です。この作品は、日本画の伝統的な美意識と、玉堂(ぎょくどう)独自の自然への温かいまなざしが融合した、詩情豊かな梅の情景を描き出しています。

作品の姿と内容

この六曲一双の屏風は、まばゆいばかりの金地を背景に、向かって右側に白い老梅(ろうばい)、左側に赤い若木(わかぎ)の梅が、それぞれ生命力豊かに伸びています。右隻(うせき)には、下方が画面外に続くかのようにトリミングされた太く力強い白梅(はくばい)の幹が、上に向かって大きく湾曲しながら枝を広げ、多くの白い花を咲かせています。その枝の先端の一部は、画面中央を越えて左隻(させき)の手前にまで伸び、紅梅(こうばい)の幹と重なるような奥行きをさりげなく表現しています。白梅の枝には、二羽の四十雀(しじゅうから)が羽を休めており、金色の空間に小さな生命の息吹を添えています。左隻には、右隻の白梅よりも細く、地面から直接生えているような紅梅の若木が描かれており、可憐な赤い花を控えめに咲かせながらも確かな存在感を放っています。こちらの紅梅の枝にも一羽の四十雀がとまっており、無音の世界にかすかな鳴き声が聞こえてくるような、愛らしいアクセントとなっています。梅の花は、玉堂(ぎょくどう)自身の言葉にある「梅花は少なすぎると思える程少なく描くことによって梅の気品が出る」の通り、絢爛(けんらん)な金地に対し控えめに描かれながらも、その一輪一輪が凛とした気品をたたえています。幹の表現には、絵具が乾かないうちに別の色を垂らす「たらし込み」の技法が用いられ、梅の古木(こぼく)が持つ複雑な質感や、緑色の苔(こけ)までもが緻密(ちみつ)に表現されています。この金地の屏風絵は、尾形光琳(おがたこうりん)の《紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)》を意識しつつも、玉堂(ぎょくどう)ならではの写実的な要素と詩情が加味された、独特の世界観を確立しています。

背景・経緯・意図

本作が制作された1919年(大正8年)頃は、川合玉堂(かわいぎょくどう)が日本画壇の中心的存在として活躍していた時期にあたります。彼はこの年に帝国美術院会員に任命され、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の日本画科教授も務めるなど、後進の指導にも尽力していました。 玉堂(ぎょくどう)は幼少期に円山四条派(まるやましじょうは)を学び、その後、橋本雅邦(はしもとがほう)に師事して狩野派(かのうは)の技法を習得しました。 この幅広い学習経験が彼の画風に深みを与えています。この作品に明確に見て取れる琳派(りんぱ)への傾倒は、尾形光琳(おがたこうりん)の《紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)》への意識が強く感じられます。しかし、単なる模倣に留まらず、写実的な奥行きや、四十雀(しじゅうから)といった自然の生き物を加えることで、玉堂(ぎょくどう)独自の情景描写へのこだわりと、自然に対する温かいまなざしが込められています。大正時代は、国際的な交流が深まる一方で、日本の伝統文化を見つめ直す気運も高まっていました。玉堂(ぎょくどう)は、日本の山河(さんが)やそこに暮らす人々の情景を詩情豊かに描き出すことを得意としており、この作品においても、古典的な主題である梅図に、彼自身の写生に基づいた自然観と叙情性(じょじょうせい)を融合させようとした意図が推測されます。

技法や素材

本作品は「紙本金地(しほんきんじ)彩色」という技法で制作されています。基底材には和紙が用いられ、その上に金箔(きんぱく)または金泥(きんでい)(金粉を膠(にかわ)で溶いた絵具)によってまばゆい金色の地が施されています。金地は、桃山時代から江戸時代の狩野派(かのうは)や琳派(りんぱ)の屏風絵(びょうぶえ)や襖絵(ふすまえ)に多用され、空間に豪華絢爛(ごうかけんらん)な装飾的効果と光をもたらします。彩色には、天然の鉱物を細かく砕いた岩絵具(いわえのぐ)や、動植物から抽出した染料(せんりょう)が、膠(にかわ)を接着剤として用いられています。特に、梅の幹の描写には、琳派(りんぱ)に特徴的な「たらし込み」という技法が用いられています。これは、画面に絵具や墨を塗った後、それが乾かないうちに別の色の絵具を垂らし、絵具の比重の違いによって自然な滲(にじ)みや濃淡を生み出す没骨画法(もっこつがほう)の一種です。これにより、梅の古木(こぼく)の複雑な肌合いや、幹に生える苔(こけ)のしっとりとした質感が巧みに表現されています。また、梅の花は、輪郭線(りんかくせん)を用いずに墨や彩色の濃淡で描く「没骨法(もっこつほう)」、または「付け立て」といった技法で描かれ、花のやわらかさや立体感が表現されていると考えられます。

意味

梅は、日本をはじめ東アジア全般で古くから親しまれ、その花が持つ意味も多岐にわたります。まだ寒さの残る時期に百花に先駆けて咲き誇るその姿は、逆境に耐え忍ぶ「高潔さ」や「清らかさ」の象徴とされてきました。また、春の訪れを告げる花であることから、「再生」や「延命」、そして「希望」や「新しい始まり」といった吉祥(きっしょう)の意味も込められています。 特に本作品の主題である「紅白梅(こうはくばい)」は、日本の伝統において非常に縁起の良い組み合わせです。紅白は、古くからハレの場や祝祭の象徴とされ、おめでたいことや慶事(けいじ)を表す色として定着しています。このため、紅白梅(こうはくばい)の作品は、その美しさだけでなく、繁栄(はんえい)や幸運を願う意味合いも強く持ち合わせています。川合玉堂(かわいぎょくどう)がこの主題を選んだ背景には、伝統的な美意識への敬意と、鑑賞者への祝福のメッセージが込められていると解釈できます。

評価や影響

川合玉堂(かわいぎょくどう)の《紅白梅》は、当時の日本画壇において、伝統的な琳派(りんぱ)の様式美と、玉堂(ぎょくどう)が得意とした自然主義的な描写を融合させた点で高い評価を受けました。尾形光琳(おがたこうりん)の《紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)》を意識しつつも、光琳(こうりん)が持つ大胆なデザイン性(いしょうせい)に、玉堂(ぎょくどう)ならではの写実的な奥行きや、四十雀(しじゅうから)という小さな生命を配する遊び心を加えることで、より親しみやすく、かつ深みのある作品となっています。これは、日本画の伝統を継承しながらも、自身の個性を確立しようとする玉堂(ぎょくどう)の姿勢を示すものです。現代においても、この作品は玉堂(ぎょくどう)の多様な画業(がぎょう)を示す重要な作例の一つとして位置づけられています。特に、金地(きんじ)の豪華さと、そこに描かれる梅や鳥の繊細な描写が織りなす詩情豊かな世界は、多くの人々に愛され続けています。玉堂(ぎょくどう)が追求した日本の原風景や自然への愛情は、彼の作品全体に通底しており、後世の日本画家たちにも影響を与え、日本画の新たな可能性を示す一助となりました。本作品は、日本の伝統的な美意識と近代日本画の発展を考える上で、欠くことのできない名品の一つと言えるでしょう。