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熱国之巻

今村紫紅

没後110年 日本画の革命児 今村紫紅(いまむらしこう)展にて紹介される今村紫紅の代表作、「熱国之巻(ねっこくのまき)」は、1914年(大正3年)に制作された二巻からなる絵巻物です。本作品は「朝の巻」と「暮の巻」で構成されており、異国情緒あふれる南国の風景と人々の暮らしが、約20メートルにもおよぶ壮大なスケールで描かれています。紙本(しほん)着色(ちゃくしょく)の形式をとりながらも、従来の日本画の枠を超えた大胆な表現が特徴であり、国指定重要文化財に指定されています。

背景・経緯・意図

今村紫紅は、伝統的な日本画の常識に挑み、新たな表現を追求した「日本画の革命児」と称される画家です。若くして日本画の伝統である大和絵や歴史画を深く学びつつ、琳派(りんぱ)の自由闊達な表現や中国の南画(なんが)、さらには西洋の印象派やポスト印象派の技法にも強い関心を示し、自身の画風に取り入れていきました。この「熱国之巻」は、彼が日本画の革新を目指す中で生まれた、きわめて実験的かつ冒険的な作品です。 制作に至る直接の契機となったのは、1914年(大正3年)に紫紅がインドへと渡航したことです。画業に行き詰まりを感じ、深く思い悩んだ末の旅であり、横浜の三渓園(さんけいえん)オーナーである原三溪(はらさんけい)からの援助金を前借りして旅費に充てたとされています。神戸を出航し、シンガポール、ペナン、ビルマのラングーンなどを経てインドのコルカタ(カルカッタ)に15日間滞在し、ガヤ、ブッダガヤなどを見て回りました。この旅で得た異国の情景や人々の生活を、帰国後に取材をもとに再構成し、約10メートル近い二巻の絵巻物に描き上げたのが「熱国之巻」です。「朝の巻」はシンガポールやマレーシアのペナンにおける水上生活者、「暮の巻」はインド東部のガンジス川の支流に位置するカヤの風景に取材したものと考えられています。紫紅は、この作品を通じて、日本画の因習を打ち破り、主題、構図、彩色といったあらゆる面で自由な創意による新しい日本画の可能性を追求しようとしました。

技法や素材

「熱国之巻」は、日本の伝統的な絵画形式である絵巻物の構成と、紙本着色(しほんちゃくしょく)という伝統的な素材・技法を用いながらも、その表現は非常に革新的です。作品全体にわたって、明るく強い色づかいと金砂子(きんすなご)による光の表現が特徴的に見られます。 また、モチーフは単純化され、西洋の後期印象派に見られるような点描(てんびょう)をもちいたタッチも随所に取り入れられています。 例えば「朝の巻」では海上に建つ高床式の家々や水牛に引かれる牛車などが、また「暮の巻」では砂上に白いドーム状の建物が建ち、頭上に壺や籠を載せて歩く人々、遠景には人を乗せた象の姿などが、華やかな色彩で描かれています。 これらは、紫紅が南画(なんが)の軽妙な筆致や、西洋画の鮮やかな色彩感覚を大胆に日本画に取り入れたことの表れであり、伝統的な名所絵を写生に基づき刷新しようとした紫紅の記念碑的な試みと言えます。

意味

「熱国之巻」は、当時の日本人にとって未知であった熱帯地域の風景と、そこで営まれる人々の生活を描写することで、異文化への探求と生命力への賛歌といった主題を表現しています。特に「暮之巻」では、夕暮れ時の異国の情景が描かれていると推測され、一日の終わりや、あるいは異文化における静けさや神秘性を表現しようとしたと考えられます。伝統的な日本画の主題が歴史人物や故事、日本の自然風景に限定されがちであった時代において、紫紅が異国の地を主題として選んだことは、日本画の可能性を広げようとする強い意志の表れでした。単純化されたモチーフと明瞭な色彩、そして金砂子による輝くばかりの光の世界は、見る者にアジアの強烈な光とそこで営まれる生活のリアルな感覚を伝えます。 この作品は、単なる異国趣味に留まらず、紫紅自身の内面的な探求心と、美術に対する飽くなき挑戦の姿勢を象徴していると言えるでしょう。

評価や影響

「熱国之巻」が1914年(大正3年)に日本美術院再興第1回展に出品された際、その革新的な表現は賛否両論を巻き起こしました。パトロンであった原三溪(はらさんけい)は「あまり気持ち好からず」と述べ、横山大観(よこやまたいかん)をはじめとする多くの画家が「一代の悪作にして脱線の甚だ(はなはだ)しきもの」と評したと記録されています。 しかし、その大胆な色彩表現や自由な構図、そして日本画の表現領域を拡張しようとする実験的な姿勢は、現代においては高く評価されています。実際に、この作品は1968年(昭和43年)に重要文化財に指定され、その革新性が公式に認められることとなりました。 「熱国之巻」は、従来の形式に縛られない大胆な構図と色彩によって当時の画壇に衝撃を与え、後の画家たち、特に速水御舟(はやみぎょしゅう)などの若手画家に大きな影響を与えました。 紫紅自身が「日本画がこんなに固まってしまってはダメだ、僕が壊すから君たちが建設してくれ」と語っていたように、 「熱国之巻」は、日本画の因習を打破し、新しい日本画の創出を目指した紫紅の創作態度をまさに体現した代表作として、日本美術史において重要な位置を占めています。