今村紫紅
今村紫紅(いまむらしこう)の「風神・雷神」は、明治の末から大正初期に活躍した日本画家、今村紫紅(1880-1916)が、日本の伝統的な絵画主題である風神と雷神を独自の解釈で描いた作品です。本作品は、東京国立博物館に所蔵されており、明治44年(1911年)頃に制作されたと考えられています。
今村紫紅は「日本画の革命児」と称され、短い生涯の中で日本画に新たな造形的・色彩的な可能性を追求しました。彼は松本楓湖(まつもとふうこ)の画塾で伝統的な大和絵(やまとえ)を学び、粉本(ふんぽん)模写や写生に励む中で歴史画の分野で頭角を現しました。 紫紅は、師である岡倉天心(おかくらてんしん)に好きな画家を問われた際、「宗達(そうたつ)」と即答するほど俵屋宗達(たわらやそうたつ)に傾倒しており、特に宗達の《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》(国宝)に強い刺激を受けていました。 宗達が活躍した時代から時を経て、琳派(りんぱ)の絵師である尾形光琳(おがたこうりん)や酒井抱一(さかいほういつ)も同画題の作品を手がけていますが、紫紅は宗達の持つ大胆さや闊達(かったつ)さを再発見し、模写に留まらない独自の創作を試みました。 本作品は、伝統的な主題に、古典を深く学びつつも革新的な表現を追求した今村紫紅の姿勢が表れていると言えるでしょう。
本作品は絹本着色(けんぽんちゃくしょく)の軸装(じくそう)で、縦約108.1センチメートル、横約41.2センチメートルの寸法で描かれています。 紫紅は、伝統的な日本画の顔料である岩絵具(いわえのぐ)を基調としつつ、宗達の画風に見られる自由闊達な筆致を取り入れています。 特に、雷神の表現においては、輪郭線の起点を筆で強く打ち込み、次第に細くしていく描法を用いることで、力感と躍動感を表現しています。 また、薄墨(うすずみ)による「たらしこみ」の技法は、雨雲の動きや質感を感じさせると推測されます。 これは、彼が「古画のよい処を分解して、その後を追え!」という自身の言葉が示すように、古画の技法を深く研究し、自身の画風に取り入れた結果であると考えられます。
風神と雷神は、風や雷といった自然現象を神格化した存在であり、古くから東アジア全域で信仰されてきました。 日本においては、中国の仏教美術を通じて伝来し、仏教における千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)である二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)の一体として定着しました。 特に風水害や落雷などの自然災害が多い日本の風土において、自然への畏敬(いけい)の念と、災厄を祓(はら)い、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う護法神(ごほうじん)として信仰が深まりました。 今村紫紅の「風神・雷神」は、宗達の作品が持つユーモラスで親しみやすい表現を受け継ぎつつも、子どものような軽やかな神様として描かれていると評されています。 これは、伝統的な主題を単に踏襲するだけでなく、当時の西洋絵画の要素や南画(なんが)の柔らかな線、印象的な色彩表現などを融合させることで、畏怖の対象であった神を、より人間的で身近な存在として再解釈しようとする紫紅の意図が込められていると考えられます。
今村紫紅の「風神・雷神」は、宗達の作品を深く研究しつつも、自身の独創的な解釈を加えた点が評価されます。 当時、日本画が西洋文化の流入により変革を迫られる中で、紫紅は伝統的な大和絵を基盤としながらも、琳派、南画、後期印象派など多様な様式を貪欲に取り入れ、新しい日本画の創造に奔走しました。 この「風神・雷神」もまた、その試みの一つとして、伝統的な主題を現代的な感覚で捉え直すという点で、彼の革新性を象徴する作品と言えます。 35歳という若さで夭折(ようせつ)した今村紫紅ですが、彼の展開した斬新で進取的な画風は、後の日本画家たちに多大な影響を与えました。 彼の作品は、伝統と革新の狭間で日本画の可能性を広げたものとして、近代日本美術史において重要な位置を占めています。 特に宗達の再評価にも一役買い、そのおおらかで自由な表現は、後世の画家たちに古典の新たな解釈の道を示したと言えるでしょう。