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《さらされた場所》習作 / Study for Weather Side

Andrew Wyeth

東京都美術館開館100周年記念「アンドリュー・ワイエス展」にて展示されているアンドリュー・ワイエスの《さらされた場所(ばしょ)》習作は、1965年に制作された水彩、紙の作品です。本作は、ワイエスの主要なモチーフの一つである古びた建物の表情を捉えようとした探求の一端を示しており、彼の代表的なテンペラ作品《さらされた場所》の本制作に向けた過程で描かれました。

背景・経緯・意図

アンドリュー・ワイエスは、生涯のほとんどを故郷であるペンシルベニア州チャッズ・フォードと、夏の別荘があったメイン州クッシングで過ごしました。これらの地域の風土と、そこに暮らす人々との出会いは、ワイエスの創作活動に多大な影響を与えています。彼はアメリカン・リアリズムの代表的な画家として知られ、単に現実を写し取るだけでなく、対象が持つ本質的な存在感を表現することに重きを置きました。1939年以降、ワイエスはクッシングに住むオルソン姉弟とその邸宅、通称オルソン・ハウスを30年以上にわたりモチーフとして描き続けました。本作が制作された1965年頃のワイエスは、このオルソン・ハウスの細部に強い関心を抱いており、朽ちゆく建物が持つ静かな佇まいや、その中に秘められた物語性を深く追求していました。《さらされた場所(ばしょ)》は、その名の通り風雨にさらされ、時を経て古びた家屋を描いたものであり、習作を通じて、ワイエスは建物の細部に宿る「存在」を丹念に観察し、捉えようとしたと推測されます。

技法や素材

《さらされた場所(ばしょ)》習作は、水彩と紙を素材としています。ワイエスは水彩画家としてキャリアをスタートさせ、数多くの水彩画や素描を制作しました。彼は、鉛筆やペンによる素描から始め、次に水彩、そしてドライブラシ(水気を絞った筆で描く水彩技法)へと移行し、最終的にテンペラで本制作を完成させるという、多段階の制作プロセスを用いることが多くありました。習作段階における水彩は、完成されたテンペラ作品と比較して、画家の対象に対する関心や感情の動きがより直接的に反映される傾向があります。本作のような水彩の習作では、ワイエスは対象の形態や質感、光の表現を自由に模索し、本制作へと繋がるアイデアを練り上げていったと考えられます。彼は、まるで大工が家を建てるかのように、一枚一枚の板を数え、綿密に研究しながらスケッチを進めていたと伝えられています。これは、建物の持つ構造や素材感に対するワイエスの徹底した観察眼と、それを絵画で表現するための工夫を示しています。

意味

作品名にある「さらされた場所(ばしょ)」は、風雨にさらされて時の流れを刻んだ家屋の側面を指し、そのモチーフは、過酷な自然環境に耐え、静かに佇む古びた建物の姿を通して、時間の経過、風化、そしてそれに伴う静かな尊厳を象徴しています。ワイエスが描いた《さらされた場所(ばしょ)》の本制作は、木造家屋の一部をクローズアップして描いており、風雪に耐えてきた壁面の木材や窓のディテールが克明に描かれています。これは、ワイエスがしばしば作品に込める「モノが存在する」という本質的な存在感の表現に通じます。彼の作品に見られる孤立感や静けさは、エドワード・ホッパーの作品と共通する実存的な寂しさを伴う一方で、ホッパーが都市の孤独を描いたのに対し、ワイエスはむしろ田園の「空虚さの美しさ」を描き出していると評されることがあります。この習作もまた、本制作へと繋がる中で、移ろいゆくものと不変なものの対比、あるいは人間存在の脆さと同時に、自然の中で生きるものの力強い生命力を暗示していると解釈できるでしょう。

評価や影響

アンドリュー・ワイエスは、20世紀のアメリカ美術において、アメリカン・リアリズムの旗手として絶大な人気を誇る「国民的画家」の一人です。彼の作品は、第二次世界大戦後の抽象表現主義やポップアートが台頭する時代においても、一貫して独自の写実表現を追求し続けました。その確かなデッサン力と精緻な描写技術は、20世紀美術の写実表現の系譜において重要な位置を占めています。ワイエスの絵画は、アメリカの風景や人々の生活を詩情豊かに描き出し、多くの人々に「アメリカとは何か」を問いかけるものでした。また、彼の内省的な作風や自然への深い愛着は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの思想とも通じるものがあると評価され、日本においても、その静謐な世界観が多くの共感を呼び、根強いファンを獲得してきました。ワイエス自身は、表面的な現実感を超えた本質的な構図やフォルムに関心を抱いており、「自分は抽象画家である」と語ったこともあり、彼の作品は単なる写実にとどまらない、深い精神性を内包しているとされています。彼の数多くの習作は、完成された作品には見られない画家の思考の軌跡や探求の深さを示しており、後世の美術家や研究者にとって、その創造のプロセスを理解する上で貴重な資料となっています。