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ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界

サントリー美術館にて、幕末から明治という激動の時代を駆け抜けた絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の画業の全貌に迫る特別展「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」が、2026年4月22日(水)から6月21日(日)まで開催されます。本展は、世界有数の河鍋暁斎コレクションを誇るイギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏が長年にわたり蒐集(しゅうしゅう)した約110点の作品群から厳選されたもので、その半数以上が日本で初公開となる優品です。神仏画、戯画、動物画、妖怪画といった多岐にわたる画題を、卓越した画技と機知に富んだ発想で描き出した暁斎の真骨頂を堪能できる貴重な機会となるでしょう。東京会場での会期後、本展は神戸市立博物館(2026年7月11日~9月23日)、静岡県立美術館(2026年10月10日~12月6日)へと巡回します。

展覧会の見どころ

本展の最大の注目点は、世界屈指の質と量を誇るイスラエル・ゴールドマン コレクションが一堂に会する点にあります。ロンドンを拠点とする美術商イスラエル・ゴールドマン氏は、1980年代初頭から河鍋暁斎の作品蒐集を開始し、40年以上にわたり、掛軸や巻物、屏風絵(びょうぶえ)などの肉筆作品から、版本(はんぽん)や版画作品、さらには下絵や画稿、絵日記といった資料性の高い優品に至るまで、約1000点に迫る()広範なコレクションを築き上げてきました。このコレクションは、暁斎の画業を包括的に概観できるだけでなく、浮世絵専門のディーラーとしての氏のこだわりが反映され、初期摺(しょきずり)の良好な状態の版画や版本が多く含まれていることが特徴です。 河鍋暁斎は、幼少期に浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)に学び、その後、駿河台狩野派(するがだい かのうは)で九年間にわたり本格的な絵画技術を習得しました。 この伝統的な狩野派で培った確かな画技に、浮世絵で得た大衆的な表現力、そして独自の諧謔(かいぎゃく)精神を融合させることで、神仏の尊厳を描きながらも人間味あふれる表情を与えたり、動物たちに人間のような感情を宿らせたりと、聖と俗、貴と賤(せん)を自在に行き来する唯一無二の表現世界を確立しました。 本展では、その多岐にわたる画題と画風を網羅し、暁斎の初期から晩年までの画業の変遷を辿ることで、彼がいかにして「画鬼(がき)」と称された()圧倒的な画力と、常識にとらわれない自由な発想を兼ね備えた天才絵師であったかを浮き彫りにします。特に、国内初公開となる数々の肉筆画や版画は、これまで日本で目にすることが難しかった暁斎の新たな魅力を発見する機会となるでしょう。

展覧会の構成と鑑賞ガイド

本展は、河鍋暁斎の多岐にわたる画業を深く掘り下げ、その全体像を段階的に紹介するために、明確なテーマに基づいた六つの章で構成されています。来場者は、ゴールドマン コレクションの精華を通じて、暁斎の初期の修業時代から、それぞれの画題における独自の表現を確立していく過程、そして晩年の境地までを、あたかも彼のアトリエを巡るかのように体験できるでしょう。各章は独立したテーマを持ちながらも、暁斎の根底にある旺盛な探求心と、時代を捉える鋭い眼差しという共通の精神で結びつき、互いに響き合いながら、彼のアートが持つ奥深さを浮き彫りにします。

第1章:ゴールドマン・コレクションのスターたち

展覧会の幕開けとなるこの章では、イスラエル・ゴールドマン コレクションを代表する肉筆名品の数々を通じて、河鍋暁斎の多岐にわたる画風と画題の真髄が紹介されます。暁斎は、幼い頃に歌川国芳の門に入った後、駿河台狩野派で九年間修業を積み、本格的な絵画技術を習得しました。 この伝統的な素養を基盤としつつ、浮世絵版画の世界にも足を踏み入れ、様々な流派の画風を貪欲に学びながら、独自のスタイルを確立していきます。特に、安政4年(1857)頃から「狂斎」と号し()、狂画(きょうが)を自身の芸術的アイデンティティとして重視するようになります。この狂画は、当時「戯画(ぎが)」を指す言葉として広く用いられていました。 本章では、軽妙な筆致で即興的に描かれた席画(せきが)から、緻密な下絵(したえ)に基づいて丹念に仕上げられた本画(ほんが)まで、暁斎の真骨頂(しんこっちょう)が発揮された多様な作品群を鑑賞することができます。狩野派で培った堅実な画技に、狂画の持つ諧謔(かいぎゃく)精神や、同時代の世相に対する鋭い関心、日常的な生活感情、そして画面にあふれる躍動的な描写を融合させることで、暁斎は唯一無二の表現を実現しました。例えば、《地獄太夫(じごくだゆう)と一休(いっきゅう)》は、その代表的な作品の一つとして挙げられます。 このように、聖と俗、伝統と革新が交錯する暁斎芸術の萌芽(ほうが)と多様な側面が、この章で提示されます。

第2章:けもの

この章では、河鍋暁斎が特に得意とし、生命感に満ちた個性豊かな動物画の世界が展開されます。暁斎が描く動物たちは、時に愛らしく茶目っ気にあふれ、またある時には、見る者をはっとさせるような野性味を強く感じさせます。その表現の幅広さは、彼の鋭い観察眼と、対象の本質を捉える卓越した画技の証と言えるでしょう。 中でも、鴉(からす)と蛙(かえる)は、暁斎の代名詞とも言える特別な画題です。明治14年(1881)に第二回内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)に出品され、絵画部門で最高賞を受賞した《枯木寒鴉図(こぼくかんあず)》(榮太樓總本鋪蔵)は、写実的に描かれた鴉と、勢いのある筆致で描かれた古木の組み合わせが印象的な傑作として知られています。 この作品は、暁斎が狩野派本流の絵師として世間に広く認知されるきっかけとなりました。 本展では、これらの代表的なモチーフに加え、愛らしい表情を捉えた《猫又図(ねこまたず)》や、美しい蝶を目で追う猫の姿が描かれた《蝶と菊に猫》など、猫を題材にした作品も数多く展示されます。 これらの動物画を通して、暁斎が単に動物の姿を写し取るだけでなく、彼らを通して生命の力強さやユーモラスな一面、時には人間の世相を風刺する意図までをも表現していたことが感じられるでしょう。

第3章:ひと

「ひと」をテーマとするこの章では、河鍋暁斎が描いた多種多様な人間像に焦点を当てます。暁斎は、歴史上の人物や伝説の登場人物、あるいは美人画(びじんが)なども手がけましたが、彼の人間に対する強い関心は、むしろ同時代の社会を題材にした作品群に色濃く表れています。激動する幕末から明治という時代を生き抜いた暁斎は、変わりゆく社会の姿とそこに生きる人々の日常、感情、風俗を、深い洞察力と豊かな表現力で描き出しました。 この章の作品からは、当時の人々の暮らしぶりや流行、そして社会の矛盾や変化に対する暁斎のまなざしを読み取ることができます。市井(しせい)の人々の生き生きとした姿、職人たちの働く様子、あるいは祭りや年中行事の賑わいなど、細やかな描写の中に当時の息遣いが感じられる作品が並びます。また、彼が関わった書画会(しょがかい)の様子を描いた作品など、絵師自身の周囲の人々を描いた作品も展示され、暁斎の人間観察の深さを示しています。 暁斎は、人物の内面や表情、動きを捉えることに長け、登場人物一人ひとりに確かな存在感を与えています。狩野派で培った写実的な描写力と、浮世絵で養った庶民性への眼差しが融合し、見る者に共感を呼ぶ人間ドラマが展開されるでしょう。

第4章:おに

河鍋暁斎の画業の中でも、特に強烈な印象を残すのが「おに」を描いた作品群です。この章では、地獄の獄卒(ごくそつ)や、仏教の聖者である羅漢(らかん)に従う眷属(けんぞく)の鬼、さらには風神(ふうじん)・雷神(らいじん)、魁星(かいせい)、鍾馗(しょうき)に追われる鬼、追儺(ついな)の鬼、そして大津絵(おおつえ)の鬼など、暁斎が好んで描いた多種多様な鬼たちが紹介されます。 恐ろしい酒呑童子(しゅてんどうじ)や大森彦七(おおもりひこしち)の鬼女(きじょ)のような、見る者を慄然(りつぜん)とさせる鬼も描かれていますが、暁斎の作品に圧倒的に多く見られるのは、むしろややコミカルで愛嬌(あいきょう)のある鬼たちです。 これは、彼が無類の酒好きであり、「酒狂(しゅきょう)」や「好色(こうしょく)」といった「悪癖」を鬼の属性と捉え、酒飲みの大津絵の鬼や、鍾馗に虐(しいた)げられる鬼の姿に、自身の姿を重ね合わせていたことによるものです。 また、10歳から11歳にかけて師事した狩野派の絵師・前村洞和(まえむら どうわ)から「画鬼」の愛称を得た暁斎は、鬼に対して特別な思いを抱いていたことが、作品の随所から感じ取れます。 《大津絵夕立図》や、日本初出品となる《酒のツマミに鰹(かつお)を準備する鬼》といった作品からは、鬼を身近な存在として捉え、人間社会の滑稽さや矛盾を象徴的に表現する、暁斎ならではの視点が浮かび上がります。 この章では、恐ろしくもどこか人間味あふれる暁斎の鬼たちを通して、彼のユーモアと風刺の精神に触れることができるでしょう。

第5章:かみ・ほとけ

本章では、河鍋暁斎が描いた「かみ・ほとけ」、すなわち神仏の世界に焦点を当てます。暁斎は、明治12年(1879)頃に本郷湯島(ほんごう ゆしま)にある真言宗(しんごんしゅう)・霊雲寺(れいうんじ)の法弟(ほうてい)となり、「暁斎」の画号に加え「如空(にょくう)」の法号も用いるようになりました。 信仰の対象として描かれた仏画では、達磨(だるま)禅師、観音(かんのん)菩薩、文殊(もんじゅ)菩薩などが特に多く確認されています。また、五月の節句には鍾馗図(しょうきず)を多数制作し、おめでたい七福神(しちふくじん)の絵も人気の画題でした。 しかし、暁斎の神仏画は単なる信仰の対象に留まりません。達磨や鍾馗、さらには不動明王(ふどうみょうおう)といった神仏も、彼の狂画(きょうが)の題材として描かれることがあります。中でも七福神や、七福神と関係の深いお福(おふく)は、この世の様々な楽しみに興じる、世俗的で人間的な神々として表現されました。 また、仏教や道教の聖人たちがまるで人間のように遊び、戯れる様子を描く《異代同戯図(いだいどうぎず)》は、狩野派に受け継がれた数少ない戯画(ぎが)のレパートリーの一つです。暁斎は、その系譜を踏まえつつ、新たに当代の世相を風刺する作品も残しています。 この章では、神仏を敬いつつも、狂画の題材として自由に捉え、人間的な感情や世俗的な営みを投影する、暁斎の「かみ・ほとけ」に対する多様な関わり方を紹介します。日本初出品となる《竜頭観音図(りゅうずかんのんず)》や《鐘馗騎象図(しょうき きぞうず)》といった作品は、その深遠さとユーモアを併せ持つ暁斎独自の宗教観を体現していると言えるでしょう。

第6章:版画の名品

展覧会の最終章では、河鍋暁斎が手がけた版画の傑作群が紹介されます。暁斎は、肉筆画(にくひつが)の制作を主とする絵師でしたが、浮世絵版画(うきよえはんが)や版本(はんぽん)の版下絵(はんしたえ)も数多く描きました。 幕末の激動する世相を映し出す風刺的(ふうしてき)で時事的な浮世絵は、当時の人々に大きな反響を呼び、彼の名声を確固たるものにしました。安政2年(1855)の安政江戸地震の直後には、仮名垣魯文(かながき ろぶん)とともに世相を反映した鯰絵(なまずえ)を出版し、大ヒットを記録しています。 この章の作品からは、暁斎が単なる技術者として版画制作に関わったのではなく、版画というメディアが持つ大衆への訴求力を深く理解し、その特性を最大限に活かして、自身のメッセージを社会に発信していたことが窺(うかが)えます。筆禍(ひっか)事件によって投獄される()など、その風刺の精神ゆえに苦難も経験しましたが、彼は「狂斎」から「暁斎」へと号を改めた後も、その反骨精神を失うことなく、版画を通じて社会を映し出し続けました。 ゴールドマン コレクションは、特に早い摺(すり)で状態の良い版画作品が多く含まれており、暁斎が意図したであろう色彩や線の力強さを、現代に伝える貴重な資料となっています。 ここに展示される版画の数々は、肉筆画とは異なる版画ならではの表現の魅力、そして時代を鮮やかに切り取った暁斎のジャーナリスティックな側面を、私たちに雄弁に語りかけてくるでしょう。

まとめ

「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」は、幕末から明治へと時代が大きく転換する混沌(こんとん)の中で、伝統的な画技を継承しつつも、既成概念にとらわれず、あらゆる画題と画法を探求し続けた天才絵師、河鍋暁斎の画業の精華を余すところなく紹介する画期的な展覧会です。 イギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏が40年以上にわたり築き上げた世界屈指のコレクションから厳選された約110点の作品群、特に半数以上を占める日本初公開作品は、これまで日本国内では目にすることのできなかった暁斎の新たな魅力と深遠な世界を私たちに提示します。 本展で展開される「ゴールドマン・コレクションのスターたち」から始まり、「けもの」「ひと」「おに」「かみ・ほとけ」、そして「版画の名品」に至る六つの章立ては、来場者が暁斎の多様な画業を順路に沿って深く理解するための道筋となるでしょう。それぞれの章において、狩野派の確かな筆法に裏打ちされた描写力、時にユーモラスであり、時に鋭い風刺を利かせた表現、そして何よりも対象への深い愛情と洞察に満ちた作品群は、暁斎が時代を超えて私たちを魅了し続ける理由を明確に示しています。 この展覧会は、河鍋暁斎という一人の絵師が、いかにして激動の時代を生き抜き、東西の美術や文化が交錯する中で独自の芸術を確立したのかを、肌で感じ取ることができる貴重な機会です。彼の作品に触れることは、単に優れた絵画を鑑賞するに留まらず、幕末・明治期の日本の社会と文化、そして人間の普遍的な感情や営みに対する深い洞察を得る体験となるでしょう。ぜひ、サントリー美術館で、河鍋暁斎がその手に描いた「世界」を心ゆくまでご堪能ください。

展示会情報

会場
サントリー美術館
開催期間
2026.04.22 — 2026.06.21