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応需暁斎楽画 第九号 地獄太夫がいこつの遊戯ヲゆめに見る図

河鍋暁斎

ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の世界にて展示されている河鍋暁斎の作品「応需暁斎楽画 第九号 地獄太夫(じごくたゆう)がいこつの遊戯(ゆうぎ)ヲゆめに見る図」は、明治7年(1874年)に制作された大判錦絵(おおばん にしきえ)です。本作品は、伝説の遊女である地獄太夫が、骸骨(がいこつ)たちが陽気に踊り狂う夢を見るという、河鍋暁斎ならではの諧 謔(かいぎゃく)と死生観が凝縮された一枚です。

背景・経緯・意図

この作品が制作された明治7年(1874年)は、河鍋暁斎が政治批判の戯画を描いたことで筆禍事件を起こし、投獄された後に「狂斎」から「暁斎」へと号を改めた時期にあたります。この頃の暁斎は、幕末から明治維新という激動の時代を生き抜き、狩野派で培った正統な画力と、浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)から学んだ庶民的な感覚を融合させ、独自の画風を確立していました。

「応需暁斎楽画(おうじゅ きょうさい らくが)」は、暁斎が手掛けた浮世絵シリーズの一つであり、その名の通り、注文に応じて描かれた軽妙で戯画的な作品群と考えられます。本作品の主題である地獄太夫は、室町時代の伝説的な遊女であり、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)との逸話で知られています。暁斎は生涯にわたり地獄太夫を繰り返し描いており、その作例は版画、肉筆画ともに多数存在します。本作は、地獄太夫と骸骨という組み合わせに、さらに「夢」という要素を加え、生と死、現世と来世、そして現実と幻が交錯するような、暁斎独特の世界観が表現されています。一休と地獄太夫の伝説に見られる「空」の思想や、世の無常観を、骸骨たちの陽気な遊戯と地獄太夫の夢という形で提示することで、深刻なテーマをユーモラスかつ風刺的に描こうとする作者の意図がうかがえます。

技法や素材

本作品は「大判錦絵」という形式で制作されています。錦絵とは、多色刷りの木版画のことで、江戸時代中期に鈴木春信(すずき はるのぶ)によって技術が確立され、色彩豊かな表現が可能になった浮世絵の一種です。錦絵の制作は、絵師、彫師(ほりし)、摺師(すりし)、版元(はんもと)という専門家たちの分業体制によって行われます。

まず絵師である河鍋暁斎が構図と下絵を描き、色指定を行います。次に彫師がその下絵をもとに、線画を彫る墨版(すみはん)と、色ごとに用意された複数の色版(いろはん)を彫り分けます。最後に摺師がこれらの版木(はんぎ)に墨や顔料を乗せ、和紙に何枚も重ねて摺(す)ることで、鮮やかな色彩と繊細な表現を持つ錦絵が完成します。

河鍋暁斎は狩野派で培った確かなデッサン力と、浮世絵で培った大胆な構図力や表現力を兼ね備えていました。本作品においても、地獄太夫の姿態や骸骨の躍動感ある動きは、こうした暁斎の卓越した画力によって生み出されています。多色刷りによる錦絵の特性を活かし、色彩の濃淡や重ね方を巧みに用いることで、夢の中の幻想的な情景が表現されていると推測されます。

意味

本作品の中心的なモチーフである地獄太夫は、室町時代の伝説上の遊女で、一休宗純との禅問答を通じて悟りを開いたと伝えられています。彼女は自らの不幸を前世の因果によるものと考え、「地獄」と名乗り、地獄の情景を描いた打掛(うちかけ)をまとっていたとされます。地獄太夫の物語は、遊女という世俗的な存在の中に仏道を求めるという、生と死、浄と不浄、そして俗と聖といった相反する概念を内包しています。

また、骸骨のモチーフは、古くから「メメント・モリ(死を想え)」の象徴として、人間の生命の儚(はかな)さや世の無常を表現するために用いられてきました。しかし、河鍋暁斎の描く骸骨は、しばしばユーモラスで生気に満ちており、死の不気味さだけでなく、生命の根源的なエネルギーや、むしろ生者以上に陽気で滑稽な姿で描かれることがあります。

本作品では、地獄太夫が骸骨たちの遊戯を夢に見るという設定が重要です。夢という非現実的な空間で、地獄太夫が自身の運命や世の真理を象徴する骸骨たちの姿を目撃することは、彼女の悟りの過程、あるいは深い内省を表していると考えられます。骸骨たちの楽しげな様子は、この世の苦しみを超越した境地、あるいは死後の世界における自由な魂の姿を暗示しているとも解釈できるでしょう。河鍋暁斎は、この作品を通じて、仏教的な死生観や無常観を、見る者に親しみやすく、かつ深く問いかける形で表現しようとしたと推測されます。

評価や影響

河鍋暁斎は、幕末から明治にかけての激動の時代に活躍し、「画鬼(がき)」と称されるほどの圧倒的な画力と、伝統にとらわれない自由な発想で知られる絵師でした。彼は狩野派の正統な技法を習得しながらも、浮世絵や戯画(ぎが)、風刺画など多岐にわたるジャンルの作品を手掛け、その作品は国内外で高い評価を受けています。

本作品「応需暁斎楽画 第九号 地獄太夫がいこつの遊戯ヲゆめに見る図」は、河鍋暁斎が繰り返し描いた地獄太夫の主題の中でも、特に幻想的で示唆に富んだ作品の一つです。明治7年という文明開化の時代にあって、伝統的な題材に諧謔と諷刺を込める暁斎の姿勢は、当時の人々にとって新鮮な驚きを与えたことでしょう。

河鍋暁斎の作品は、彼が師事した歌川国芳のダイナミックな表現や、狩野派の精緻な描写力を基盤としつつも、西洋画の写実性も貪欲に取り入れた独自の画風が特徴です。彼の作品は、当時の美術界に大きな影響を与え、後進の絵師たちにも多大な刺激を与えました。また、ジョサイア・コンドルをはじめとする海外の文化人にも高く評価され、彼の作品は海外に多く流出し、国際的なコレクターによって現在まで大切にされています。本作品も、河鍋暁斎の画業における多様性と深遠な思想を示す重要な作品として、現代においても多くの鑑賞者を魅了し続けています。