河鍋暁斎、山岸雲石
「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の世界」展で紹介されている「鍾馗(しょうき)と二匹の鬼」は、明治18年(1885年)に制作された大型の摺物(すりもの)です。浮世絵師・日本画家として活躍した河鍋暁斎が、山岸雲石(やまぎしうんせき)との共同名義で発表した本作品は、疫病や厄災を退けるとされる鍾馗が、二匹の鬼を従える様子を力強く描いています。
本作が制作された明治18年(1885年)は、日本が江戸時代から明治時代へと大きく社会構造を変化させていた時期にあたります。河鍋暁斎(1831-1889)は、幕末から明治にかけて活躍した異色の絵師であり、浮世絵師・歌川国芳に師事した後、狩野派の正統な技法を習得しました。彼はその優れた画才から師に「画鬼(がき)」と呼ばれたと伝えられています。暁斎は伝統的な日本画の技術的完成度と、既存のジャンルを超越した自由な発想を融合させ、多岐にわたる主題を手がけました。特に、風刺画や戯画(ぎが)にその本領を発揮し、社会の矛盾や風俗を巧みに描き出しています。
本作品は「摺物(すりもの)」として制作されました。摺物とは、一般に広く販売される錦絵とは異なり、主に句会や狂歌(きょうか)連といった同好の士の間で配られたり交換されたりするために制作された、私的な注文による木版画です。販売を目的としないため、市販の浮世絵よりも素材や細部にこだわり、手間暇を惜しまず贅沢な技法が用いられるのが特徴です。
「鍾馗(しょうき)」は、古くから疫病除けや魔除けの神として信仰されてきた中国由来のモチーフであり、日本でも男児の無病息災を願って端午の節句などに飾られてきました。 暁斎は鍾馗を頻繁に描いた画家の一人であり、時には伝統的な鍾馗像を踏まえつつ、戯画的な解釈を加えることもありました。本作においては、鍾馗の本来の役割である鬼を退治する姿を、正統的な画法によって力強く描くことで、世の厄災を払うという制作意図が込められていたと推測されます。 山岸雲石が本作品の制作にどのように関わったかは詳細には不明ですが、摺物には複数の彫師や摺師が関わることが一般的であり、雲石もその高度な技術をもってこの豪華な摺物の完成に寄与したと考えられます。
本作品は「大型摺物(すりもの)」であり、木版画の技術が駆使されています。摺物の最大の特徴は、一般的な浮世絵版画に比べて、高品質な和紙や豪華な顔料が惜しみなく用いられる点です。奉書紙(ほうしょがみ)や雁皮紙(がんぴし)などの高級和紙が使用され、金銀泥や雲母(うんも)といった特殊な素材が用いられることで、光沢感や奥行きのある表現が生み出されました。
また、彫りの技術も極めて精緻であり、絵の具を置かない部分を浮き彫りにする「空摺り(からずり)」などの技法が施されることで、独特の質感や立体感が表現されています。 河鍋暁斎の作品は、その技術力の高さと独創性の融合が特徴であり、特に動物や人物描写に優れていました。 本作品においても、鍾馗の威厳ある姿や鬼たちの表情、そして衣のひだに至るまで、力強くも繊細な線描と、複数回にわたる丁寧な摺り重ねによる深みのある色彩表現が見られます。これにより、平面的な版画でありながらも、絵に描かれた対象の量感や動きが豊かに感じられる工夫が凝らされていると推測されます。
本作品に描かれている「鍾馗(しょうき)」は、中国の民間信仰に由来する神で、疫病や邪悪なものを退治する力を持つと信じられています。伝説によれば、唐の玄宗皇帝がマラリアに罹った際、夢の中に現れた鍾馗が病の原因である疫鬼を捕らえたことから、魔除けの神として崇められるようになりました。 日本においても、古くからその信仰が広まり、特に端午の節句には男児の健やかな成長と無病息災を願って、鍾馗の掛け軸や幟(のぼり)が飾られる習慣がありました。
本作品では、剣を携え、厳めしい表情で立つ鍾馗が、二匹の鬼を従えています。これらの鬼は鍾馗によって退治された疫鬼や悪しきものの象徴であり、鍾馗の力によって邪悪な存在が制圧されている様子が示されています。作品全体の構図は、善が邪悪を打ち破るという普遍的なテーマを表現しており、鑑賞者に対して安心感や希望を与えるものであったと考えられます。明治という激動の時代において、このような伝統的な魔除けのモチーフは、社会の不安を鎮め、福を招くという願いを象徴していたとも解釈できます。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は、幕末から明治初期にかけての美術界において、極めて高く評価された絵師の一人です。彼は狩野派で培った正統な画技と、浮世絵で得た自由な発想を融合させ、日本画と浮世絵の枠を超えた独自の芸術世界を確立しました。その卓越した技術と独創的な表現は、国内外で絶賛され、特に海外のコレクターや研究者からも注目を集めました。英国人建築家のジョサイア・コンドルも暁斎に師事するなど、国際的な評価を得ていました。
摺物(すりもの)という形式自体が、当時の知識人や文化人の間で交わされる豪華で高品質な美術品であり、制作には一流の絵師や彫師、摺師の技が結集されました。 本作品もその例に漏れず、暁斎の精緻な描写力と、摺物ならではの贅沢な技法が凝縮された優品として、当時から高い評価を受けていたと推測されます。
現代においても、河鍋暁斎は「画鬼(がき)」と称されるその画力と、伝統に縛られない自由奔放な作風で、国際的に再評価が進んでいます。 彼の作品は、伝統的な画題に深い洞察とユーモアを加え、現代の鑑賞者にも新鮮な驚きを与え続けています。 「鍾馗と二匹の鬼」のような作品は、暁斎が伝統的なモチーフを扱いながらも、その中に自身の画技と表現力を最大限に発揮したことを示すものであり、明治期における木版画の質の高さを現代に伝える貴重な資料として、美術史においても重要な位置を占めています。彼の作品は、後世の日本画や漫画文化にも間接的な影響を与えたと指摘されることもあり、その影響は多岐にわたると考えられています。