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朱鍾馗図

河鍋暁斎

「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の世界」展で紹介される河鍋暁斎の「朱鍾馗図(あかしょうきず)」は、江戸時代末期から明治初期にあたる万延元年(1860年)頃から明治3年(1870年)頃に制作された大判錦絵(おおばん にしきえ)です。本作品は、鬼を退治する中国の民間伝承の神である鍾馗(しょうき)を鮮やかな朱色を基調として描いたもので、暁斎の多様な表現力と画鬼と称された筆致が凝縮されています。

背景・経緯・意図

河鍋暁斎は、幕末から明治という激動の時代を生きた画家であり、浮世絵師としての活動に加え、狩野派の絵も学ぶなど、伝統と革新を融合させた独自の画風を確立しました。彼は「画鬼」と自らを称するほど絵を描くことに情熱を注ぎ、その作品は仏画から戯画まで多岐にわたります。 鍾馗は、病気除けや魔除け、学業成就に効験があるとして古くから信仰されてきた道教系の神であり、特に日本では江戸時代後期(19世紀頃)から魔除けとして屋根に鍾馗像を置く風習が広まるなど、民衆の間でも親しまれていました。暁斎は、鍾馗を頻繁に描いた主題の一つとしており、「七福神や鍾馗は、暁斎の子飼いの役者たち」と評されるほど、彼の作品の中で多様な役割を与えられています。 「朱鍾馗図」が制作された時期は、日本が大きな社会変革の只中にあった時代と重なります。この時期の暁斎は、伝統的な画題に自身のユニークな解釈や社会への風刺を込めることが多く、鍾馗のような力強いモチーフを通じて、時代の不安や変化に対する人々の願いを表現しようとしたと推測されます。また、赤い色は古来より魔除けや疫病除けの意味合いが強く、鮮やかな朱色で鍾馗を描くことで、その厄除けとしての力を強調する意図があったと考えられます。

技法や素材

本作品は「大判錦絵」とされており、これは多色摺りの木版画を指します。錦絵の制作には、版元(企画・販売)、絵師(原画制作)、彫師(版木彫刻)、摺師(彩色・摺り)という専門職による分業体制が採られていました。 まず、絵師である河鍋暁斎が、墨で描かれた線画である版下絵(はんしたえ)を制作します。この版下絵をもとに彫師が主線となる墨版(すみはん)を彫り、さらに色分けの指示に従って色版(いろはん)を彫り分けます。その後、摺師が複数の版木を用いて、和紙に顔料を摺り重ねて彩色を施し、作品を完成させます。 「朱鍾馗図」の「朱」は、鍾馗の威厳や魔除けの力を象徴する赤色が主要な色として用いられていることを示唆しています。錦絵において赤色を鮮やかに表現するためには、辰砂(しんしゃ)などの顔料が用いられたと考えられ、摺師による入念な摺り重ねによって、深みのある朱色が表現されたと推測されます。暁斎は、鍾馗の着物や太刀など細部にわたる描写にも手を抜くことがなかったと評価されており、木版画の制約の中でも、その卓越した画力と工夫が凝らされたことがうかがえます。

意味

鍾馗(しょうき)は、中国の民間伝承に由来する道教の神であり、日本では平安時代に伝来しました。その起源は、唐の玄宗皇帝が悪夢の中で鍾馗に助けられ、病が治ったという故事に求められます。以来、鍾馗は疫病や悪魔を退ける力を持つとされ、疱瘡除けや魔除け、学業成就の神として広く信仰されるようになりました。 「朱鍾馗図」において、鍾馗が持つ歴史的・象徴的な意味は特に重要です。朱色(赤色)は、古くから邪気を払う色として認識されており、特に日本では疱瘡(ほうそう)除けのために赤い絵や人形が用いられることがありました。この作品に鮮やかな朱色が用いられているのは、鍾馗の本来持つ魔除けの力をより一層強調し、当時の人々が抱いていた災厄からの救済や平穏への願いを強く表現しようとした意図が込められていると考えられます。 河鍋暁斎は、鍾馗を単なる護符としてだけでなく、時には鬼と戯れる姿、あるいは他の神々とともに様々な場面を演じる「子飼いの役者」として描くなど、その多面的なキャラクター性を探求しました。この「朱鍾馗図」も、単に鬼を退治する恐ろしい神としてだけでなく、力強くも人間味あふれる、暁斎ならではの鍾馗像を示している可能性があり、鑑賞者に病気除けや厄除けといった伝統的な意味を超えた、作品全体の生命力やユーモアさえも感じさせる主題が表現されていると解釈できます。

評価や影響

河鍋暁斎の作品は、その生前から高い評価を受けていました。彼は狩野派の伝統的な絵画技法を習得しながらも、浮世絵の要素を取り入れ、機知に富んだ戯画や風刺画を多数制作し、国内外で注目を集めました。特に、鍾馗を主題とした作品は、伝統的な魔除けの意味合いに加え、暁斎ならではのダイナミックな構図と圧倒的な描写力によって、観る者に強い印象を与えました。 「朱鍾馗図」のような錦絵形式の作品は、当時の庶民にも広く流通し、人々の生活に密着した魔除けや縁起物として親しまれたと考えられます。その鮮やかな色彩と力強い筆致は、多くの人々に感動と安心感を与えたことでしょう。 現代においても河鍋暁斎の作品は、その時代を超越した表現力と多様な画題、そして「画鬼」と称されるほどの情熱的な制作態度から、美術史において重要な位置を占めています。彼の描く鍾馗は、伝統的な図像を踏まえつつも、暁斎独自の解釈と表現が加わることで、単なる神仏の図像を超えた芸術作品としての価値を有しています。後世の画家たちにも、伝統的な題材に新しい視点や表現をもたらすことの可能性を示し、その影響は現代に至るまで脈々と受け継がれていると言えるでしょう。