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鍾馗図

河鍋暁斎

ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の世界に展示されている河鍋暁斎の「鍾馗(しょうき)図」は、元治(げんじ)元年(1864)3月に制作された大判錦絵(おおばん にしきえ)です。この作品は、疫病や厄災を退ける存在として信仰される鍾馗を、暁斎ならではの力強い筆致と表現力で描いた一点であり、その護符的な意味合いと芸術性が融合した作品として位置づけられます。

背景・経緯・意図

この作品が制作された元治元年(1864年)は、幕末の動乱期にあたり、国内は政治的な混乱と社会不安が増大していました。開国を迫られ、異文化との接触が増える中で、伝統的な価値観や秩序が揺らぎ、人々の間には未来への不安が広がっていた時代です。このような時代背景において、疫病や邪気を祓うとされる鍾馗は、世の平安を願う人々の間で特に求められる存在でした。河鍋暁斎は、こうした時代の空気を感じ取り、民衆の不安を和らげ、力強い守護を象徴する存在として鍾馗を描いたと推測されます。暁斎自身、社会風刺や世相を反映した作品を多く手掛けており、伝統的なモチーフを通じて当時の人々の感情に訴えかける意図があったと考えられます。

技法や素材

「鍾馗図」は、大判錦絵として制作されています。錦絵とは多色摺りの浮世絵木版画のことで、複数の色板を用いて豊かな色彩表現を可能にした技法です。この作品では、絵師である河鍋暁斎が原画を描き、彫師がそれを木版に彫り、摺師が和紙に摺るという、分業体制のもとで制作されました。暁斎の線描は、墨の濃淡や筆の勢いを活かした力強い特徴があり、錦絵においてもその筆致が忠実に再現されています。特に、鍾馗の憤怒の表情や髭の描写、衣装の躍動感などは、彫りと摺りの技術によって見事に表現されており、木版画でありながらも肉筆画のような迫力と生命感を感じさせる工夫が凝らされています。使用された素材は、耐久性と発色に優れた和紙と、植物性の顔料が主です。

意味

鍾馗は、中国の伝説に由来する道教系の神で、日本では平安時代以降に疫病除けや厄除けの神として信仰されてきました。一般的には、太い眉と豊かな髭、大きな目と恐ろしい形相で描かれ、中国風の冠を被り、長い袍(ほう)を身につけ、邪気を祓うために剣を持つ姿で表現されることが多いです。この「鍾馗図」においても、その伝統的な図像が踏襲されていますが、暁斎特有のダイナミックな構図と圧倒的な存在感によって、より一層の威厳と迫力が与えられています。鍾馗は、特に端午(たんご)の節句(せっく)に飾られることが多く、子どもの健やかな成長を願う意味も込められています。本作は、そうした護符的な意味合いに加え、当時の混乱した世情に対する魔除け、あるいは困難を乗り越える力強い象徴としての意味が込められていたと考えられます。

評価や影響

河鍋暁斎の「鍾馗図」は、当時の大衆に向けて制作された錦絵でありながら、その高い芸術性によっても評価されています。暁斎は、伝統的な絵画技法に精通しつつも、時代感覚を取り入れた独自の表現を確立した絵師であり、鍾馗という古典的な題材にも新しい息吹を吹き込んでいます。彼の作品は、幕末から明治にかけての激動の時代において、人々の心に寄り添い、時には風刺やユーモアを交えながら強い印象を与えました。この「鍾馗図」もまた、その力強い造形と護符的な意味合いから、当時の人々に広く受け入れられたと推測されます。後世においても、暁斎の描く鍾馗は、その圧倒的な存在感とユニークな表現で高く評価されており、伝統的な主題を継承しつつも、個性を発揮した暁斎の美術史における位置づけを確固たるものにしています。彼の作品は、浮世絵の枠を超え、日本画全体に大きな影響を与え、多くの研究者や愛好家から今もなお注目を集め続けています。