河鍋暁斎
ゴールドマン コレクション「河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の世界」展で紹介される河鍋暁斎の「目利きの鍾馗(めききのしょうき)」は、明治4年から5年(1871年から1872年)頃に制作された一葉の作品です。この作品は、疫病除けや魔除けの神として知られる鍾馗が、「目利き」という鑑定者の役割を担っているという、独創的な視点で描かれています。
本作が制作された明治初期は、江戸幕府が倒れ、急速な近代化と西洋文化の導入が進む激動の時代でした。文明開化のスローガン(すろーがん)の下、洋服の普及や食文化の変化、鉄道の開通、教育制度の整備など、社会構造や人々の生活様式が大きく変容しました。一方で、伝統的な価値観と新しい文化との間で葛藤も生じていた時代でもあります。河鍋暁斎は、こうした時代の転換期に生きた絵師であり、狩野派の正統な絵師としての技術と、浮世絵師としての庶民的な感覚、そして戯画(ぎが)や風刺画(ふうしが)の才能を併せ持っていました。暁斎は1870年(明治3年)に筆禍(ひっか)事件を起こし、一時投獄された後に画号を「狂斎」から「暁斎」に改めたとされています。この経験は、彼の社会に対する批判的な視点や風刺精神をより一層深めた可能性が考えられます。 「目利きの鍾馗」は、疫病や厄災を払うとされる鍾馗に、「目利き」という鑑定者の役割を与えている点が特徴です。これは、激動の明治初期において、何が本当に価値あるものなのか、何を残すべきで何を捨てるべきなのかという、世の中の「目利き」を風刺的あるいは示唆的に表現しようとした、暁斎の意図が込められていると推測されます。新しい時代において、真偽や良し悪しを見極めることの重要性を、伝統的なモチーフに重ねて表現した作品であると考えられます。
河鍋暁斎は、幼少期に歌川国芳(うたがわくによし)に浮世絵を学び、その後、狩野派(かのうは)の奥義(おうぎ)を習得するなど、多様な画法を吸収した稀有(けう)な絵師です。本作も、紙に彩色を施すことで制作されていると推測されます。彼が用いたとされる技法は、狩野派に由来する力強く精緻な線描(せんびょう)と、浮世絵で培った写実性や表現の幅広さを特徴としています。 鍾馗の姿は、長い髭(ひげ)を蓄え、中国の官人の衣装を身につけ、剣を持つという伝統的な図像を踏襲しつつ、その表情や仕草には、暁斎ならではのユーモラスな表現や人間観察の鋭さが込められていると推測されます。また、細部にわたる丁寧な描写は、狩野派で修得した堅実な筆致(ひっち)が活かされていることを示唆しています。鍾馗の太刀や着物、そして周囲に描かれる可能性のある鬼たちの描写にも、手を抜かない緻密な表現が見られることが、彼の作品全般の特徴として挙げられます。
鍾馗は、中国の民間伝承に伝わる道教系の神で、日本では疱瘡(ほうそう)除けや学業成就に効験があるとされ、魔除けの象徴として知られています。その図像は、一般的に長い髭を蓄え、中国の官人の衣装をまとい、剣を携えて何かを睨みつける姿で描かれます。これは、唐の玄宗(げんそう)皇帝の夢に現れ、病を治したという伝説に由来しています。 本作品における「目利きの鍾馗」という設定は、この伝統的な鍾馗の役割に、器物や書画などの真偽・良否を見極める「鑑定者」という意味合いを付加したものです。明治初期の文明開化期には、西洋の文物が大量に流入し、また伝統的な価値観が再評価される中で、社会全体がまさに「目利き」を必要としていました。この作品は、単なる魔除けの神としての鍾馗像にとどまらず、新しい時代において、本質を見極め、偽物や悪しきものを見破る「眼識(がんしき)」の重要性を象徴していると考えられます。鍾馗の鋭い眼光は、単に魔を睨むだけでなく、世の中の真贋(しんがん)を見定める洞察力(どうさつりょく)を表していると解釈できるでしょう。
河鍋暁斎は、幕末から明治にかけて活躍した絵師の中で、国内外から非常に高く評価されています。彼の作品は、伝統的な日本美術の技術的完成度と、時代を先取りした革新性を兼ね備えていると評されています。特に、戯画や風刺画の分野で巨匠としての地位を確立し、その卓越した筆致(ひっち)とユーモアあふれる画風は、多くのコレクターを魅了しました。近年では海外のオークションでも落札価格が上昇傾向にあり、日本国内でも再評価の機運が高まっています。 「目利きの鍾馗」のような、伝統的なモチーフに独自の解釈を加えた作品は、暁斎の多様な表現力と、社会に対する鋭い洞察を示すものとして評価されます。彼は特定の流派に限定されず、狩野派、浮世絵、琳派(りんぱ)、円山四条派(まるやましじょうは)、さらには中国画や西洋人体図など、学べるもの全てを吸収し、独自の画風を確立しました。 このような多様な技法と表現の幅広さは、後の日本画に大きな影響を与えたと考えられます。暁斎は、聖なるものから俗なるものまで、あらゆる事物を描き、既存のジャンルを超越した独特の表現世界を構築しました。 彼の作品は、単なる娯楽作品としてだけでなく、深い人間観察と社会批評を内包しており、現代においても新鮮な驚きを与え続けています。 「目利きの鍾馗」もまた、その幅広い画業の一環として、彼の美術史における重要な位置づけを裏付ける作品の一つと言えるでしょう。