河鍋暁斎
ゴールドマン コレクションにて展示されている河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の「鍾馗騎象図(しょうききしょうず)」は、明治初期にあたる1870年代中頃に制作された一幅の作品です。本作は、悪鬼を退治するとされる鍾馗が、神聖な象に乗るという独創的な構図で描かれており、当時の社会情勢や人々の願いを反映しつつ、作者の卓越した画技と豊かな想像力が凝縮されています。
河鍋暁斎は、幕末から明治にかけて活躍した絵師であり、「画鬼」と称されるほどの圧倒的な画力と、狩野派の伝統から浮世絵、戯画、風刺画に至るまで、多岐にわたるジャンルを手がけたことで知られています。本作品「鍾馗騎象図」が制作された明治零年代後半(1870年代中頃)は、文明開化の波が押し寄せ、社会が大きな変革期にあった時代です。廃仏毀釈や社会構造の急激な変化は、人々の間に不安や混乱をもたらし、伝統的な信仰や慣習に対する再認識も促されました。鍾馗は、古くから疫病や悪鬼を退散させる神として信仰されており、この時期に人々が抱いていたであろう不安を鎮め、護符的な役割を果たす作品として制作されたと推測されます。また、暁斎は以前にも「鍾馗図」などの作品を手がけており、このモチーフに対する関心の深さが伺えます。本作品では、単なる鍾馗図に留まらず、珍しい象を組み合わせることで、伝統的な題材に新たな解釈と視覚的なインパクトを与えようとする作者の意図が込められていると考えられます。
「鍾馗騎象図」は、一幅の掛軸として、絹本または紙本に墨と色彩を用いて描かれたものと推測されます。河鍋暁斎は、その卓越した筆致で知られており、本作においても、鍾馗の威厳ある姿や象の堂々とした量感を、勢いのある力強い線で活写しています。特に、墨の濃淡を巧みに使い分けることで、象の肌の質感や体の立体感が見事に表現されていると推測されます。また、鍾馗の赤い顔や衣装には鮮やかな色彩が施されており、墨を基調とした画面にアクセントを加え、視覚的な迫力を高めています。細部にわたる丁寧な描写と、全体を構成する雄大な筆致の融合は、暁斎ならではの表現技術であり、水墨画の伝統と浮世絵的な色彩感覚が融合した、彼の画風の特徴をよく示していると言えるでしょう。
鍾馗(しょうき)は、中国の伝説に由来する道教の神であり、疫病を払い悪鬼を退散させる力を持つと信じられ、日本では古くから魔除けや厄除けの象徴として広く信仰されてきました。特に、端午の節句には、男児の健やかな成長を願う意味で鍾馗の絵や人形が飾られる慣習がありました。一方、象は、仏教において普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物として知られ、穏やかで神聖な動物、あるいは長寿や吉祥の象徴とされてきました。本作品において、鍾馗が象に乗るという構図は、一般的な鍾馗図で見られる鬼を従える姿とは一線を画しています。象の持つ神聖さや穏やかさが、鍾馗の持つ強力な魔除けの力と融合することで、より一層、厄災を払い、幸福や繁栄をもたらすという吉祥の意味が強調されていると考えられます。激動の時代にあって、人々の平穏と良き未来を願う、強いメッセージが込められた作品であると解釈できます。
河鍋暁斎は、その驚異的な画力と類まれな発想力により、生前から「画鬼」と称され、広く人気を博していました。彼の作品は、幕末から明治初期という、日本の伝統的な美意識と西洋の文化が交錯する時代において、双方の要素を巧みに取り入れ、独自の画風を確立した点で高く評価されています。本作品「鍾馗騎象図」のような伝統的な題材を描いた作品も、暁斎の個性的な解釈と卓越した技術によって、単なる既存の主題の踏襲に留まらず、新たな生命を吹き込まれたものとして当時の人々を魅了したと推測されます。彼の画業は、浮世絵師としての側面と、本格的な狩野派の絵師としての側面を併せ持ち、その多才さと革新性は、後世の日本画家たちに多大な影響を与えました。明治以降の日本画の変遷を考える上で、河鍋暁斎の作品群は、その多様性と質の高さにおいて、美術史上重要な位置を占めていると言えるでしょう。