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酒呑童子図絵

河鍋暁斎

ゴールドマン コレクション「河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の世界」で展示されている河鍋暁斎の「酒呑童子図絵(しゅてんどうじ ずえ)」は、明治11年(1878)頃に制作された十七葉のうちの二葉(によう)からなる作品です。この作品は、平安時代中期に源頼光(みなもと の よりみつ)とその四天王(してんのう)が大江山(おおえやま)に棲(す)む鬼の頭領、酒呑童子を退治する伝説を描いたものと推測されます。酒呑童子伝説は、日本の中世から多くの絵巻や屏風、浮世絵の題材とされてきました。

背景・経緯・意図

本作が制作された明治11年(1878)頃は、幕末から明治へと時代が大きく転換し、日本の社会が急激な西洋化の波に晒されていた時期にあたります。河鍋暁斎はこの激動の時代を生き、伝統的な日本画の技法から浮世絵、戯画(ぎが)まで、幅広い画題と画風を手がけた絵師として知られています。 暁斎は、幼少期に浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)に師事した後、狩野派(かのうは)の絵師としても研鑽(けんさん)を積みました。その飽くなき探求心から、琳派(りんぱ)や円山四条派(まるやましじょうは)、さらには中国画や西洋画の技法まで貪欲に学び取り、唯一無二の画風を確立しました。 彼は、社会の矛盾や不正を風刺する戯画や、人間社会を動物に仮託して描く擬人化の作品を多く手がけました。同時に、妖怪(ようかい)や神話的な存在にも深い関心を示し、「画鬼(がき)」と称されるほどの並外れた画力と、時にユーモラスな表現を融合させて、数々の妖怪画を生み出しています。 「酒呑童子図絵」は、こうした暁斎の妖怪画、または伝説画への関心と、物語性を重視する彼の制作姿勢の延長線上にある作品と考えられます。酒呑童子伝説は、中世の「香取本 大江山絵詞(かとりぼん おおえやまえことば)」に始まり、江戸時代には御伽草子(おとぎぞうし)や浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)など、幅広いジャンルで描かれ親しまれていました。暁斎もまた、この人気の題材に挑むことで、自身の持つ多岐にわたる画技と、物語を表現する力を発揮しようとしたと推測されます。

技法や素材

「酒呑童子図絵」は「十七葉のうち二葉」という員数(いんすう)から、絵巻物または画帖(がじょう)のような形式で、物語の一部が描かれたものと推測されます。河鍋暁斎は肉筆画(にくひつが)と版画(はんが)の双方で傑出した才能を発揮しましたが、本作品が「図絵」という名称であることから、主に紙に墨と顔料を用いて描かれた肉筆画である可能性が高いと考えられます。 暁斎は狩野派で培った力強い筆線と安定した構図の基礎に加え、幼少期に歌川国芳から学んだ浮世絵のダイナミックな表現力を持ち合わせていました。また、写生を重視し、時に遊女の帯を写生するために追いかけたり、神田川で拾った生首を写生したという逸話も残されています。これらの経験から得られた写実性と、想像力豊かな描写が「酒呑童子図絵」にも活かされていると推測されます。鬼や妖怪を描く際には、恐怖だけでなく、どこか愛嬌のあるユーモラスな表情や仕草を取り入れることも暁斎の特徴の一つでした。

意味

「酒呑童子図絵」の主題である酒呑童子伝説は、平安時代に源頼光と四天王(渡辺綱(わたなべ の つな)、坂田公時(さかた の きんとき)、碓井貞光(うすい さだみつ)、卜部季武(うらべ の すえたけ))が、丹波(たんば)国大江山に棲む鬼の頭領、酒呑童子を討伐(とうばつ)する物語です。都から若い娘たちをさらい、血の酒や人肉で歓待する酒呑童子は、王権に反抗する異形の存在として描かれました。この物語は、王権を守る英雄が境界を越えて異界に入り、悪を退治するという、典型的な鬼退治の構図を持っています。 河鍋暁斎は、地獄の獄卒(ごくそつ)や風神(ふうじん)・雷神(らいじん)、鍾馗(しょうき)など、さまざまな鬼を好んで描きました。彼の描く鬼は、恐ろしいだけでなく、コミカルで人間味のある愛嬌(あいきょう)を持つものが多く、暁斎自身が酒好きであったことから、酒狂(しゅきょう)などの「悪癖」を鬼の属性と重ね合わせ、親しみを込めて表現した作品も存在します。「酒呑童子図絵」においても、単なる悪役としてではなく、暁斎ならではの解釈で酒呑童子とその眷属(けんぞく)が描かれ、人間社会の縮図や風刺が込められている可能性が考えられます。

評価や影響

河鍋暁斎は幕末から明治にかけて、「画鬼」と称されるほどの卓越した画力と、類まれな発想力で日本画壇において確固たる地位を築きました。彼の作品は、伝統的な狩野派の様式美と浮世絵の大衆性、さらには西洋画の要素をも融合させた革新性によって、当時の人々に大きな衝撃を与えました。明治3年(1870)には政府批判の風刺画を描いたことで投獄されるなど、反骨精神の持ち主としても知られています。 暁斎の妖怪画は、従来の妖怪画とは異なり、親しみやすい画風とユーモラスな表現が特徴であり、後の妖怪画に強い影響を与えました。彼の多彩な画題と自由な表現は、国内外で高く評価され、特に英国人建築家のジョサイア・コンドルが暁斎に弟子入りし、その作品をヨーロッパに紹介したことは、暁斎の名を世界に知らしめるきっかけとなりました。「酒呑童子図絵」のような物語画もまた、暁斎の幅広い画業の一環として、その技術と精神を後世に伝える重要な作品群の一つとして位置づけられます。暁斎が残した膨大な作品は、現代においてもその独創性と普遍的な魅力によって、多くの人々を魅了し続けています。