Mikalojus Konstantinas Čiurlionis
リトアニアの国民的芸術家ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスが1908年に制作した「オペラ「ユラーテ」の舞台緞帳のための下絵」は、「チュルリョーニス展 内なる星図」において展示される重要な作品です。テンペラ/紙という素材で描かれたこの作品は、彼が抱いたリトアニア初のオペラ制作という壮大な夢の一端を示すものであり、音楽と絵画の融合を追求したチュルリョーニス独自の芸術世界が凝縮されています。彼は、夭折(ようせつ)の天才として知られる作曲家であり画家であり、象徴主義やアール・ヌーヴォーといった世紀末の芸術潮流と共鳴しつつも、自らの感性で新たな表現を切り開いた人物です。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは、幼少期から音楽の才能を示し、主に音楽家としての教育を受けましたが、27歳頃(1902年から1903年頃)から本格的に絵画の制作に取り組み始めました。彼の画業は短く、わずか6年間ほどで約300点もの作品を残しました。 1908年という制作年は、彼が絵画と音楽の融合に集中的かつ体系的に取り組んだ時期(1907年から1909年)にあたります。
この頃、チュルリョーニスはリトアニア民族復興運動に深く関与しており、自らの作品すべてを祖国リトアニアに捧げるという強い意志を持っていました。彼はリトアニア初のオペラを書きたいという願望を抱いており、オペラを「音楽、美術、文学というすべての文化表現が一体となる場」と捉えていました。 1908年、彼は後に妻となる作家のソフィヤ・キマンタイテと出会い、二人でオペラ「ユラーテ」の構想を練り、ソフィヤが台本(リブレット)を執筆しました。 「オペラ「ユラーテ」の舞台緞帳(どんちょう)のための下絵」は、この未完に終わったオペラに対するチュルリョーニス自身の視覚的な解釈、すなわち舞台美術のアイデアを示すものと推測されます。リトアニアの民間伝承や神話への関心も、この作品の制作意図に深く関わっていると考えられます。
本作品はテンペラ/紙という素材を用いて1908年に制作されました。テンペラは、顔料を卵黄などの水溶性結合剤(バインダー)で混ぜて作られる、古代から続く絵画技法です。
テンペラ絵具は乾燥が非常に速いという特徴があり、画家は素早い描画と重ね塗りが可能となります。これにより、細密な描写やシャープな線、繊細な階層表現を実現できます。 また、油絵具とは異なり、乾燥後は独特のマットな質感と鮮やかで発光するような色彩を保ち、その耐久性から数百年を経ても色褪せにくいという特性があります。 チュルリョーニスは、そのキャリアを通じて多くの作品でテンペラ/紙の組み合わせを好んで使用しました。 紙という支持体は、テンペラの特性と相まって、彼の象徴的で音楽的な構図に必要な緻密さと多層的な効果を生み出すのに適していたと考えられます。
オペラ「ユラーテ」は、リトアニアで最も有名な伝説の一つ「ユラーテとカスティティス」に基づいています。伝説によると、海の女神ユラーテはバルト海の琥珀(こはく)の宮殿に住み、海と海の生き物を支配していました。しかし、彼女は漁師カスティティスと恋に落ち、その関係は雷神ペルクーナス(ペルクナス)の怒りを買います。激怒したペルクーナスは琥珀の宮殿を破壊し、カスティティスを殺し、ユラーテを海底の岩に鎖で繋ぎます。バルト海の岸辺に打ち寄せられる琥珀の破片は、破壊された宮殿の残骸、あるいはカスティティスの死を嘆き悲しむユラーテの涙だと言い伝えられています。
チュルリョーニスの作品は、象徴主義、新ロマン主義、アール・ヌーヴォーといった当時の芸術潮流に深く根ざしています。 彼は普遍的なヒューマニズムを作品に込め、異なる文化の象徴的な意味を統合して調和のとれた世界を構築しようとしました。 彼の絵画は、自然の生命感を抽象的に捉え、叙情的な気分や象徴的な意味を吹き込むことを特徴としています。
この舞台緞帳のための下絵は、禁断の愛、神の怒り、美しい世界の破壊、そして神話の永遠の悲劇といったテーマを視覚的に表現しようとしたものと考えられます。音楽と絵画を融合させる共感覚的なアプローチを追求したチュルリョーニスにとって、視覚的要素は音楽的な響きと感情的な深みを持って構想されていたと推測されます。彼の作品に繰り返し登場するモチーフである「海」(例えば「海のソナタ」)は、この物語においてユラーテの領域であり、同時に悲劇の舞台でもあるという中心的な象徴として表現されているでしょう。
チュルリョーニスは、生前、サンクトペテルブルクでの展覧会やリトアニア美術展への参加を通じて、一定の評価を得ていました。ロシアの著名な美術批評家アレクサンドル・ベヌア(ブノワ)は、彼を「運命に呪われた天才、崇高で言葉にできない意味の作品を創造する真の天才、神話創作者の一人」と評しています。 しかし、西欧の美術界では長らくその名が知られることはありませんでした。
2000年代以降、パリのオルセー美術館をはじめとするヨーロッパ各地の主要美術館で大規模な展覧会が開催されるなど、彼の作品は国際的に再評価の機運が高まっています。 美術史において、チュルリョーニスは絵画と音楽を融合させた「絵画ソナタ」のような新しい形式を確立した唯一無二の芸術家として位置づけられています。 彼は、色ではなくグラフィックな空間構成に基づいた抽象的または半抽象的な作品を生み出し、カンディンスキーよりも早く抽象絵画の先駆者の一人であったと評価されています。 その作品は象徴主義と独自の音楽的論理を組み合わせ、ヨーロッパのモダニズム、そしてリトアニア民族復興において重要な存在とされています。 ワシリー・カンディンスキーや間接的にはパウル・クレーといった後世の芸術家にも影響を与えたと指摘されています。
現代のリトアニア文化において、チュルリョーニスは最も称賛される画家であり作曲家として国民的至宝とされており、カウナスにある国立M. K. チュルリョーニス美術館にその多くの作品が収蔵され、その遺産が大切に守られています。