Mikalojus Konstantinas Čiurlionis
リトアニアの国民的芸術家ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(Mikalojus Konstantinas Čiurlionis)による「冬Ⅲ」は、国立西洋美術館で開催されている「チュルリョーニス展 内なる星図」の展示作品の一つです。1907年にテンペラ/紙で制作されたこの作品は、全8点からなる「冬」の連作の一部を構成しています。短くも濃密な画業の中で、約300点の絵画と約400曲もの音楽作品を遺したチュルリョーニスの創造性を示す、絵画と音楽が融合した象徴的な表現が特徴です。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは、音楽家としての類まれな才能を示した後、1903年頃から絵画の道を本格的に志し、わずか6年ほどの画業で300点以上の作品を手がけました。 彼の芸術活動が展開された20世紀初頭は、ロシア帝国の支配下にあったリトアニアにおいて民族解放運動が高まっていた時代であり、チュルリョーニスもこの運動に積極的に関与していました。 作品の制作にあたっては、世紀末のアール・ヌーヴォーや象徴主義、ジャポニスムといった国際的な芸術動向に呼応しつつも、作曲家ならではの感性と、リトアニア固有のアイデンティティに根差した唯一無二の世界を築き上げました。 彼は東洋哲学、宗教、天文学、古代の慣習、リトアニアの民俗学などから影響を受け、人間の宇宙における位置や、自然と精神世界の関係性を主題とすることが多かったとされています。 「冬」の連作は、その造形性においてチュルリョーニスが最も熟達した創造物の一つと評されています。 彼は自然の要素を一般的な象徴や比喩へと昇華させ、抽象的な即興演奏のような絵画を生み出しました。 写実的な風景描写はほとんど見られませんが、自然の動的な移ろいや循環のプロセスに対する深い関心があり、それが「春」や「冬」といった連作に結実したと考えられます。
本作「冬Ⅲ」は、1907年にテンペラ/紙という素材と技法で制作されました。 チュルリョーニスはテンペラや水彩を紙に描くことを好んだとされており、その作品の輸送時には損傷が懸念されるほどであったといいます。 テンペラは速乾性があり、特別なニスを用いることで油彩画に近い効果が得られることから、古くから多くの画家によって好まれました。 「冬」の連作では、テンペラの扱い方が「ルーズ」であると形容されており、絵具の液体的な性質が、滴る氷柱(つらら)や雪を思わせるように画面を流れ落ちる効果を生み出していると推測されます。 また、紙本来の色が透けて見えることで、特に雪の冷たく淡い白と溶け合い、全体的にコントラストの低い抑制された色彩表現に貢献していると考えられます。 彼のテンペラの用い方、そして連作や二連画(ディプティック)、三連画(トリプティック)といった形式への嗜好は、中世の宗教的な板絵に影響を受けていると指摘されています。 色彩ではなく、絵画のグラフィック的・空間的な構成に基づく独自の抽象化の手法は、音楽の原理を絵画に応用するという作曲家ならではの工夫と言えるでしょう。
「冬」の連作において、樹木というモチーフは特に重要視され、様々な姿で描かれています。 樹木は生命の象徴であり、この連作全体を通して変奏されて描かれることで、冬の自然が持つ静謐(せいひつ)でメランコリックな雪景色から、激しい吹雪、そして氷の冷ややかさに至るまで、その諸相がダイナミズムを伴って表現されています。 チュルリョーニスの作品は、深い象徴性と精神性を帯びており、音楽と視覚表現の融合を通じて、夢のような世界を創出しています。 彼は神話、天文学、自然、哲学といった要素を頻繁に作品に取り入れ、人間の精神世界や宇宙の神秘を探求しました。 彼の絵画連作は、音楽と美術の融合を意味する共感覚(シナスタジア)や、総合芸術(ゲザムトクンストヴェルク)の思想と関連付けられることがあります。 自然の要素を抽象的なシンボルや比喩に変換することで、目に見える世界の奥にある普遍的な意味や、精神的な真理を表現しようとする意図が込められていると考えられます。
チュルリョーニスは生前、東欧圏以外ではほとんど知られていませんでしたが、世紀末のロシア画壇ではその独自の幻想的な画風が注目され、画家のカンディンスキーに影響を与えたとされています。 また、作曲家のストラヴィンスキーも彼の絵画を所有していたことが知られています。
現代においては、彼はリトアニアの「国民的至宝」と称される芸術家であり、1950年代以降の修復技術の進歩に伴い、その作品の国際的な展覧会が増加しました。 2000年以降は、パリのオルセー美術館をはじめヨーロッパ各地で大規模な展覧会が開催され、その再評価の機運が高まっています。 チュルリョーニスは、象徴主義と抽象絵画を結びつける存在として、国際的な美術史の中で正当に位置づけられています。 1904年にはすでに抽象的な、あるいは半抽象的な作品を制作しており、1911年に初の抽象画を描いたとされるカンディンスキーに先駆けて、最初の抽象画家の一人であると評する声もあります。 絵画と音楽を融合させた独自の芸術様式は、ヨーロッパのモダニズムを豊かにしただけでなく、彼をヨーロッパ美術史における革新的な孤高の存在として確立させました。 2011年には、ユネスコ(UNESCO)が彼の没後100周年を「M.K.チュルリョーニスの年」と定め、その功績を称えました。 彼の芸術は、現代のリトアニア文化にも深い精神的影響を与え続けています。