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霧 Mists

Mikalojus Konstantinas Čiurlionis

国立西洋美術館で開催される「チュルリョーニス展 内なる星図」では、リトアニアを代表する芸術家ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(Mikalojus Konstantinas Čiurlionis)の独創的な世界が紹介されています。本記事では、1906年に制作されたテンペラ/厚紙による作品《霧(Mists)》について掘り下げます。この作品は、画家であり作曲家でもあったチュルリョーニスが、自身の内なる宇宙と自然への深い洞察を、幻想的な表現で描き出した一例と言えるでしょう。

背景・経緯・意図

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは、1875年に当時ロシア帝国の支配下にあったリトアニアに生まれました。彼はまず作曲家として研鑽を積み、ワルシャワ音楽院やライプツィヒ音楽院で音楽を学びました。その後、1902年頃から本格的に絵画制作にも取り組み始め、1903年から1909年までのわずか6年ほどの間に300点以上の作品を残しています。この時期は、ヨーロッパで象徴主義(しょうちょうしゅぎ)やアール・ヌーヴォー、ジャポニスムといった国際的な芸術動向が盛んだった時代であり、チュルリョーニスもこれらの影響を受けつつ、独自の芸術世界を確立しました。

彼の創作の根底には、音楽と絵画の融合という独自の理念がありました。彼はソナタ形式やフーガといった音楽の構造を絵画に応用し、視覚芸術に時間の流れやリズムを取り入れようと試みました。また、リトアニアの自然、伝承、神話、そして宇宙の神秘や精神世界への関心も彼の作品の重要なインスピレーション源となっています。

1906年に制作された《霧》は、チュルリョーニスの活発な画業期にあたります。具体的な制作経緯や意図に関する詳細な記録は少ないものの、この作品は、彼が自然の動的な移ろいや精神的な領域を探求する中で生まれたものと推測されます。霧というモチーフは、彼の他の作品にも見られるように、目に見えないもの、移ろいゆくもの、あるいは世界の神秘性を象徴する表現として選ばれたと考えられます。

技法や素材

《霧》は1906年にテンペラ技法で厚紙に描かれています。テンペラは、卵黄などを媒材(ばいざい)として顔料を混ぜて描く古典的な絵画技法です。中世からルネサンス期にかけて宗教画などに多用され、鮮明な色彩と細密な表現が可能である点が大きな特徴です。速乾性があり、硬化後はひび割れや剥落(はくらく)が生じにくく、油絵具に比べて経年による黄変(おうへん)が少ないため、数百年にわたり色彩の鮮やかさを保つことができます。しかし、乾燥が早いために修正が難しく、多層の塗り重ねには熟練した技術が必要とされます。

通常、テンペラ画は木製パネルやジェッソ(石膏を原料とした下地材)を塗った表面に描かれることが多いですが、本作では厚紙が支持体として用いられています。これは、チュルリョーニスが短期間に多数の作品を制作していた背景や、当時の経済的な状況を鑑みた実用的な選択であった可能性が考えられます。厚紙であっても、テンペラ特有の繊細な筆致や透明感のある色合いを表現することは可能であり、彼の創造的な衝動を素早く形にする上で適した素材だったと推測されます。

意味

作品名である「霧」は、それ自体が象徴的な意味を多く含みます。一般的に、霧は視界を遮り、ものの形を曖昧にするため、神秘、不確かさ、あるいは現実と非現実の境界を象徴することがあります。チュルリョーニスの作品において、霧は単なる自然現象の描写に留まらず、彼の内面的な風景や精神的な探求を表現していると考えられます。

彼の作品群には、音楽的な構造が視覚的に表現されているものが多く見られます。したがって、《霧》は、ある特定の音色や和音、あるいはゆったりとした楽曲の展開を絵画として「翻訳」しようとした試みである可能性も指摘できます。霧が立ち込め、やがて晴れていくような時間の経過や、その中で生まれる感情の移ろいを、視覚的な要素として表現したと解釈することもできるでしょう。

また、「チュルリョーニス展 内なる星図」という展覧会タイトルが示すように、チュルリョーニスは宇宙や天文学にも深い関心を抱いていました。この《霧》は、星々が霞む宇宙の深遠さや、人類の理解を超えた広大な世界を暗示するモチーフとして用いられたのかもしれません。リトアニアの自然や伝説に根ざした彼の精神世界が、宇宙的なスケールで表現されていると考えることも可能です。

評価や影響

チュルリョーニスは、生前からロシアの画壇で注目され、その独自の幻想的な画風はワシリー・カンディンスキーに影響を与えたとも言われています。しかし、その作品の多くは長らくリトアニア国内に留まっていたため、国際的な評価は遅れていました。

2000年代以降、パリのオルセー美術館をはじめとするヨーロッパ各地での展覧会を通じて、彼の作品は再評価の機運が高まっています。チュルリョーニスは、象徴主義とアール・ヌーヴォーの時代の国際的な潮流に呼応しつつも、作曲家としての感性とリトアニア固有のアイデンティティに根差した唯一無二の個性を放つ芸術家として、美術史におけるその位置づけが改めて確立されつつあります。

特に、音楽の構造を絵画に応用したその独創的な試みは、初期抽象絵画の先駆者の一人として高く評価されており、後世の芸術家たちにも間接的な影響を与えたと考えられます。彼の35歳という短い生涯にもかかわらず、残された約300点もの絵画作品は、絵画と音楽という二つの領域を横断し、人間の精神世界と宇宙の神秘を描き続けた彼の芸術的な探求の深さを示しています。