諏訪敦
NHK日曜美術館50年展に展示されている、画家・諏訪敦(すわ あつし)による作品「大野一雄(おおの かずお)」は、2006年から2008年にかけて制作された油彩、テンペラによるカンヴァス作品です。この作品は、世界の舞踏史にその名を刻む伝説的な舞踏家、大野一雄の晩年の姿を描き出したものであり、諏訪敦の代表的なシリーズの一つとして知られています。
本作の主題である大野一雄は、日本の前衛芸術である舞踏(ぶとう)を土方巽(ひじかた たつみ)と共に創始し、世界にその名を広めた舞踏家です。1906年に生まれ、2010年に103歳で逝去(せいきょ)するまで、その生涯を通じて身体表現を探求し続けました。本作が制作された2006年から2008年当時、大野は既に100歳を超え、介護(かいご)ベッドで日々を過ごすなど、身体の衰えが進んだ状態でした。 画家・諏訪敦は、1999年から舞踏家の大野一雄とその息子・慶人(よしと)を描くシリーズを断続的に手掛けており、このシリーズは18年間にわたって続けられました。当初、諏訪は大野親子の特異な身体が持つ視覚的な力に興味を抱きましたが、制作が進むにつれて、視覚情報に留まらず、触覚(しょくかく)や嗅覚(きゅうかく)といった身体感覚、さらにはモデルの個人史や思想にまで関心を広げていきました。 この「大野一雄」の制作に際し、諏訪は高齢で身体が不自由になった大野を描くことの倫理的な葛藤(かっとう)も感じていました。しかし、息子の大野慶人から「(父の)大野一雄の体の中にどんな花が残っているのか見たい」という言葉を受け、諏訪はこの絵画を通して、衰えゆく身体の中に宿る生命の輝きや、一人の人間の生きた証を深く見つめようと試みました。諏訪敦は、写実表現の枠を超え、対象への徹底した取材とコミュニケーションを通じて、その存在の深奥(しんおう)に迫る独自の制作スタイルを確立しています。本作は、舞踏家として生きた大野一雄の、老いという避けがたい現実の中での尊厳(そんげん)と、彼が培ってきた精神性を探求する画家の眼差しが結実した作品と言えるでしょう。
「大野一雄」は、油彩(ゆさい)とテンペラを併用する混合技法で制作されています。諏訪敦は、武蔵野美術大学在学中から古典技法、特にテンペラと油彩の混合技法を研究し、自身の制作に多用してきました。 テンペラ絵具は、卵などを乳化剤(にゅうかざい)として用いる水性の絵具で、速乾性があり、硬質な筆致(ひっち)と鮮明な発色、そして素朴で味わい深い絵肌が特徴です。一方、油彩絵具は油を展色材(てんしょくざい)とし、乾燥が遅く、豊かな色彩と滑らかな階調、幅広い表現が可能です。 この二つの絵具を組み合わせる混合技法では、速乾性のテンペラで下地や細部の描写を行い、その上から油彩絵具で色の深みや質感、光沢(こうたく)を表現することができます。テンペラに含まれる卵黄のレシチン(かいめんかっせいさよう)が界面活性作用を持つため、水性のテンペラと油性の油絵具を交互に重ねて描くことが可能になります。諏訪敦の作品は、モデルの皺(しわ)やシミ、肌の質感に至るまで緻密に描き出す写実表現が特徴であり、この混合技法が、大野一雄の老いた身体の持つ微細なディテールや、時間の重なりを感じさせるような奥行きのある表現を可能にしていると考えられます。
作品名にもなっている大野一雄は、日本の前衛芸術である舞踏の創始者の一人として、その生涯を通じて独自の身体表現を追求しました。彼の舞踏は、時に内面的な暗部や、生と死、母性といった普遍的なテーマに深く切り込み、既存のダンスの概念を打ち破るものでした。晩年の大野一雄は、歩行が困難になっても車椅子に座って「手の舞踏」を披露するなど、表現への情熱を失うことはありませんでした。 諏訪敦が描いた「大野一雄」は、舞踏家としての彼の存在そのもの、そして人間が経験する老いと死、生命の尊厳といった主題を深く探るものです。諏訪の作品はしばしば「死」や「喪失」を扱い、不可視なものや故人(こじん)の姿を絵画空間に呼び覚ますことを試みています。100歳を超え、身体が衰えた大野一雄の姿を描くことは、単なる肖像画(しょうぞうが)の域を超え、時の流れの中で変容していく人間の肉体と、それに抗(あらが)い、あるいは受容(じゅよう)しながら輝きを放つ精神性、そして記憶のあり方を問うてくるかのようです。 息子・慶人(よしと)の問いかけた「大野一雄の体の中にどんな花が残っているのか」という言葉は、この作品が追求する深い意味を象徴しています。それは、老いによって表層的な動きが制限されてもなお、一人の人間が積み重ねてきた経験や感情、そして生命そのものが宿す可能性を、画家の眼差しを通して見出そうとする試みと解釈できるでしょう。
諏訪敦の「大野一雄」を含む大野一雄・慶人親子のシリーズは、画家のキャリアにおける大きな転換点となりました。このプロジェクトを通して、諏訪は単なる写実表現に留まらず、徹底した取材と対象とのコミュニケーションを重視し、絵画制作のプロセス全体を一つのプロジェクトとして捉える独自のスタイルを確立しました。 このシリーズ、特に亡き人を描くという諏訪の姿勢は、2011年にNHK「日曜美術館」の特集「記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家~」で大きく取り上げられ、広くその名を知られるきっかけとなりました。彼の作品は、その圧倒的な描写力と、対象の深層に迫る洞察力(どうさつりょく)によって、現代日本における写実絵画の第一人者として高く評価されています。 「大野一雄」の制作を通して確立された諏訪のスタイルは、その後の彼の作品にも一貫して見られ、故人や見ることのできないものを描くことで、絵画における「認識」や「存在」の意味を拡張しようとする試みに繋がっています。諏訪敦の作品は、国内の主要な美術館だけでなく、海外でも広く展示されており、また武蔵野美術大学の教授として後進の指導にもあたっていることから、現代の具象絵画(ぐしょうかいが)に多大な影響を与え続けていると言えるでしょう。