オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

照応

李禹煥

NHK日曜美術館50年展で紹介される李禹煥(リ・ウファン)の作品「照応」(1998年、油彩/カンヴァス、静岡県立美術館蔵)は、現代美術における重要な作家の一人である李禹煥の思想が凝縮された一点です。この作品は、もの派(ものは)の中心人物として知られる李禹煥が追求する「もの」と「空間」の出会い、そしてその関係性の表出を、絵画という二次元の媒体を通して試みたものです。

背景・経緯・意図

李禹煥は、1936年に韓国で生まれ、日本に渡り哲学を学びました。1960年代後半に日本で興った美術運動「もの派」を理論的に牽引したことで知られています。もの派は、加工されていない石や木材、鉄板などの素材そのものが持つ存在感と、それらが置かれる場所や空間との関係性を重視し、既成の美術表現を問い直す運動でした。李禹煥は、「関係項(リレーショナル・アイテム)」という概念を提示し、作品を構成する要素がお互いに呼応し合う関係性の中にこそ世界の真実があると説きました。彼の絵画作品は、物質と非物質、描かれた部分と空白、見る者と世界との「出会い」を表現することを意図しており、「照応」というタイトルも、こうした相互作用や響き合いを意味しています。1998年に制作された本作は、作家が長年にわたり探求してきた哲学を、油彩という画材を通してさらに深化させた時期の作品であると考えられます。

技法や素材

「照応」は油彩とカンヴァスを用いて制作されています。李禹煥の絵画の特徴は、ミニマルな表現の中に、筆触(ひっしょく)の痕跡(こんせき)や絵具の物質性を強く感じさせる点にあります。この作品においても、カンヴァス上に、抑制されながらも力強い筆致で絵具が塗布されていると推測されます。彼の「点より」「線より」といったシリーズに代表されるように、絵具は一度置かれると、その行為の時間の経過とともに、筆の動きや圧力の変化によって、濃度や厚みが徐々に薄れ、やがては希薄になっていく様子が表現されます。この過程は、絵具とカンヴァスが互いに「照応」し、絵具の存在が空間へと拡散していくような感覚を生み出します。余白となる未描画のカンヴァスもまた、描かれた部分と同等に重要な要素として、空間性や無限の広がりを感じさせる工夫が凝らされています。

意味

作品名である「照応」は、「お互いに響き合うこと」「対応し合うこと」を意味します。李禹煥の作品において、これは描かれた「もの」と描かれていない「空間」との間の、あるいは作品と鑑賞者との間に生じる相互作用を指します。画面に描かれたわずかな筆跡は、単なる形ではなく、そこに至るまでの作家の行為の痕跡であり、時間そのものの表象であると解釈されます。そして、その筆跡を取り囲む広大な空白は、無限の宇宙や、まだ見ぬ可能性を内包する空間を示唆しています。この作品は、鑑賞者に対し、描かれたものと未描画のものが織りなす関係性の中に、世界のありのままの姿や、存在の本質を見出すよう促していると考えられます。視覚的な情報だけでなく、絵画の背後にある哲学的な問いかけが主題となっていると言えるでしょう。

評価や影響

李禹煥の作品は、もの派を代表する作家として国際的に高く評価されており、「照応」もその一環をなすものとして、美術史において重要な位置を占めています。彼の作品は、西洋中心のモダニズム美術の価値観に一石を投じ、東洋的な思想や感性に基づいた新たな芸術表現の可能性を世界に示しました。発表当時から、その哲学的な深みとミニマルな美学は注目を集め、現代美術における絵画の概念を拡張したと評価されています。後世のアーティストには、物質の存在感や空間との関係性を探求する作品制作において大きな影響を与えています。また、彼の作品は、物質性や行為の痕跡を通じて、絵画が単なる視覚的な表象に留まらないことを示し、鑑賞者に深い思索(しさく)を促すものとして、現在も世界中の美術館やギャラリーで展示され、その影響力は衰えることがありません。