志村ふくみ
NHK日曜美術館(にちようびじゅつかん)50年展に展示される志村ふくみ(しむらふくみ)の「水浅葱段(みずあさぎだん)(臭木染(くさぎぞめ))」は、1984年に制作された絹糸(きぬいと)と植物染料(しょくぶつせんりょう)を用いた紬織(つむぎおり)の作品です。滋賀県立美術館(しがけんりつびじゅつかん)に所蔵されており、染織家としての志村の深い自然観と卓越した技術が凝縮された一点として知られています。
志村ふくみは1924年に滋賀県(しがけん)で生まれ、31歳という比較的遅い年齢で実母・小野豊(おの とよ)の指導のもと染織の道を志しました。彼女の母は柳宗悦(やなぎ むねよし)の提唱した民藝運動(みんげいうんどう)に共鳴しており、その精神が志村の創作活動の原点となりました。志村は特定の師を持たず、自らの信念を頼りに植物染料(しょくぶつせんりょう)による彩り豊かな染めと紬糸(つむぎいと)を用いた紬織(つむぎおり)の研究を深めていきました。彼女は「草木(くさき)が抱(いだ)く色をいただく」という独自の言葉で草木染(くさきぞめ)の本質を表現し、植物の生命そのものから色を授かるという姿勢を貫いています。本作「水浅葱段(臭木染)」が制作された1984年は、志村が既に日本伝統工芸展(にほん でんとう こうげい てん)で数々の賞を受賞し、作家としての評価を確立していた時期にあたります。その背景には、近代化の中で忘れ去られがちな自然との共生という根源的な価値観を、染織という手仕事を通して表現しようとする志村の深い意図が込められています。
この作品には、主に絹糸(きぬいと)が用いられ、特に紬糸(つむぎいと)の持つ素朴で丈夫な風合いが活かされています。志村ふくみの紬織(つむぎおり)は、経糸(たていと)に生糸(きいと)、緯糸(よこいと)に紬糸を用いる「半紬(はんつむぎ)」という特徴的な技法がよく知られており、これにより生地には独特の節(ふし)が現れ、豊かな表情が生まれています。染料には、植物染料(しょくぶつせんりょう)が使われており、作品名にある「臭木染(くさぎぞめ)」は、その名の通り臭木(くさぎ)(Clerodendrum trichotomum)の果実から抽出される染液(せんえき)によって糸を染める技法です。臭木は、独特の香りを持つ一方で、熟した実からは澄み切った美しい水色(みずいろ)が染め出され、志村はこの色を「天青(てんせい)」(天から滴り落ちた青)と称しています。この自然界の微妙な色合いを、丹念な手作業で絹糸に宿らせる工程には、気の遠くなるような時間と深い洞察力が求められます。
作品名にある「水浅葱(みずあさぎ)」は、水色がかった浅葱色(あさぎいろ)を意味し、緑みがかった淡い青色(あおいろ)を指す日本の伝統色です。藍染(あいぞめ)の薄い色合いとして知られ、透明感のある繊細な美しさを持っています。この水浅葱という色彩を、名前に反して美しい青を出す臭木(くさぎ)の染料で表現している点に、自然界の奥深さや、志村が植物の生命と向き合う中で見出した真理が込められていると推測されます。作品に用いられた「段」という構成は、着物(きもの)の意匠(いしょう)においてよく見られる表現ですが、ここでの「段」は単なる模様ではなく、草木染によって生み出される微妙な色のグラデーションや、糸の重なりが織りなす空間的な広がりを示唆していると考えられます。志村の作品は、目に見える形としての美しさだけでなく、植物が持つ生命や、それと共振する人間の精神性といった「目に見えない世界との連繋(れんけい)」を表現しようとするものです。この作品もまた、自然の循環や生命の尊さ、そして人間存在を自然の中に織り成す柔らかな思想(しそう)を、その穏やかな色彩と手触りを通して語りかけていると言えるでしょう。
志村ふくみは、日本の染織界において極めて高く評価されている芸術家です。1990年には、長年にわたる紬織(つむぎおり)の技術と芸術性への貢献が認められ、重要無形文化財保持者(人間国宝(にんげんこくほう))に認定されました。これにより、かつて農村(のうそん)の手仕事とされていた紬織を芸術の域にまで高めた功績が国家的に称えられました。彼女の作品は、1983年の随筆集(ずいひつしゅう)『一色一生(いっしきいっしょう)』による大佛次郎賞(おさらぎじろうしょう)受賞をはじめ、紫綬褒章(しじゅほうしょう)、文化功労者(ぶんかこうろうしゃ)、文化勲章(ぶんかくんしょう)など、数多くの栄誉(えいよ)を受けています。志村の創作活動は、自然染料(しぜんせんりょう)の持つ無限の可能性と、手仕事の奥深さを現代に再認識させ、後進の染織家(せんしょくか)に多大な影響を与えました。また、娘の志村洋子(しむら ようこ)、孫の志村昌司(しむら しょうじ)とともに設立した芸術学校アルスシムラ(Ars Shimura)では、技術のみならず、自然とのつながりや手仕事の思想を次世代に伝える活動にも力を注いでいます。彼女の作品は、滋賀県立美術館(しがけんりつびじゅつかん)をはじめ、国内外の主要な美術館に収蔵され、その美術史(びじゅつし)における重要な位置を確立しています。