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ある歳月

野見山暁治

「NHK日曜美術館50年展」において紹介される野見山暁治(のみやまぎょうじ)の油彩画「ある歳月(あるさいげつ)」は、2011年に制作されたカンヴァス作品であり、福島県立美術館に収蔵されています。この作品は、100歳を超えてもなお創作活動を続けた野見山の晩年における到達点を示すものとして、その豊かな精神性を現代に伝えています。

背景・経緯・意図

野見山暁治は1920年に福岡県に生まれ、2023年に102歳で逝去するまで、戦後の日本洋画界を牽引(けんいん)した巨匠として知られています。東京美術学校(現東京藝術大学)で学び、学生時代に応召(おうしょう)され、満州(まんしゅう)での戦争体験がその後の芸術活動に大きな影響を与えました。彼は「人間や自然の本質」を問い続け、生と死、記憶、時間といった普遍的なテーマを作品に込めました。

本作「ある歳月」が制作された2011年は、日本にとって東日本大震災が発生した年と重なります。野見山は自身の戦争体験から、失われた命や残された人々の感情、そして記憶というものに深く向き合ってきた画家です。この作品のタイトル「ある歳月」は、特定の出来事ではなく、時間の中で積み重ねられる記憶や経験、あるいは震災後の日本の風景、人々の心象風景を静かに見つめ、普遍的な視点で問いかけようとする画家の深い意図が込められていると推測されます。生涯「生きていることの不思議さ」を問い続けた野見山にとって、この大震災はまさにその問いを一層深める契機(けいき)となったと考えられます。

技法や素材

本作は油彩(ゆさい)とカンヴァスを用いて描かれています。野見山の画風は、初期の具象(ぐしょう)的な描写から、パリ滞在を経て抽象的な表現へと大きく変容しました。彼は、身近な風景や事物を起点としながらも、自身の眼が捉えたイメージを大胆に再構成し、形と色彩が溶け合うような独自のスタイルを確立しました。

その技法の特徴としては、絵具(えのぐ)を厚く塗り重ねることで生まれる豊かなマティエール(絵肌(えはだ))や、力強く奔放(ほんぽう)な筆致(ひっち)、そして抑制の効いた色彩が挙げられます。晩年においてもその創作意欲は衰えることなく、より自由で即興性(そっきょうせい)の高い筆遣いを見せました。本作においても、重ねられた絵具の層が、時の流れや幾層にも重なる記憶の深さを表現していると考えることができます。

意味

「ある歳月」という抽象的な作品名は、特定の物語や情景に限定されず、鑑賞者自身の内面(ないめん)と向き合うことを促します。画面に展開される不確かながらも力強い形や色彩は、移ろいゆく自然の風景、あるいは人間が心に抱く記憶の断片、感情の起伏(きふく)を象徴的に表現していると解釈されます。

2011年の制作という背景を鑑みると、東日本大震災という未曾有(みぞう)の出来事がこの作品に深い影を落としていると推察されます。失われた故郷、犠牲となった命、そしてそこから立ち上がろうとする人々の営みや、大地に刻まれた記憶といった、より根源的な主題が作品に込められている可能性が高いでしょう。野見山暁治が生涯にわたり追求した「存在すること」への問いや、生命の循環(じゅんかん)といったテーマが、この作品を通じて静かに語りかけられていると考察されます。

評価や影響

野見山暁治は、その102年という長寿(ちょうじゅ)の画業を通じて、日本の美術史に確固たる地位を築きました。彼の作品は、具象と抽象の境界を行き来しながら、見る者に深い精神性を訴えかける点で高く評価されています。

特に、戦没画学生の遺作収集に尽力し、長野県上田市に「無言館(むごんかん)」の設立を支援したことは、彼の人間性とその芸術観の深さを示すものとして、社会的に大きな影響を与えました。 「ある歳月」が選ばれ紹介された「NHK日曜美術館50年展」は、日本の美術番組が半世紀にわたり紹介してきた名品を一堂に集める展覧会であり、その中に野見山の晩年の作品がラインナップされたこと自体が、現代美術における彼の作品の高い評価と、時を経ても色褪せない普遍的な価値を示しています。この作品は、野見山が最晩年に至るまで探求(たんきゅう)し続けた芸術の境地を示すと同時に、2011年という時代がもたらした出来事を内包(ないほう)しうる、多層的な意味を持つ芸術表現として、今後も長く評価され続けることでしょう。