石内都
NHK日曜美術館50年展において展示されている石内都(いしうちみやこ)の作品「ひろしま #37F donor : Harada, A.」は、2007年に発色現象方式印画(はっしょくげんしょうほうしきいんが)で制作されました。この作品は、被爆者の遺品を撮影することで、戦争の記憶と個人の存在を深く問いかける石内都の代表的なシリーズ「ひろしま」の一部です。
石内都は、1970年代から一貫して個人の記憶、身体、時間といったテーマを探求し続けている写真家です。特に「ひろしま」シリーズは、2005年、広島平和記念資料館からの依頼で、被爆者の遺品を撮影するという機会を得たことから始まりました。彼女は当初、その依頼に対して戸惑いを覚えたと言われています。なぜなら、石内は戦後生まれであり、被爆体験を持つわけではなかったからです。しかし、実際に遺品に触れ、それらが纏(まと)う物語を感じ取る中で、被害者の声なき声に耳を傾け、その存在を現代に伝えることこそが自身の役割だと考えるようになりました。彼女は、遺品の一つひとつが、生きていた人々の身体と記憶の痕跡を宿していると考え、被爆者の人生の断片を写真に収めることで、原爆の悲劇を普遍的な人間の問題として提示しようと意図しました。
「ひろしま #37F donor : Harada, A.」は、発色現象方式印画という技法で制作されています。これは、印画紙に光を当てることで化学反応を起こさせ、色を発色させる一般的なカラー写真のプリント方法です。石内都は、被爆者の衣服や靴、小物といった遺品を透過光で撮影することで、素材の質感や経年変化、そして遺品に残された微細な損傷や使用感までもを鮮明に捉え、被写体の存在感を際立たせています。透過光を用いることで、遺品が持つ繊細な色合いや、かつて持ち主の身体に触れていたであろう痕跡が、あたかも皮膚の延長のように写真上に現れます。
本作品のタイトルにある「#37F donor : Harada, A.」は、広島平和記念資料館に寄贈された37番目の女性の遺品であり、その寄贈者が原田(はらだ)氏であることを示しています。石内都の「ひろしま」シリーズでは、個々の遺品に番号と寄贈者の情報が添えられています。これは、被爆という一括りにされがちな出来事の背後に、一人ひとりの具体的な人生が存在したことを示唆し、観る者に個別の物語を想像させます。遺品は、持ち主の身体から離れながらも、その人固有の記憶や歴史を宿しており、石内はそれらを写真に収めることで、失われた命の尊厳と、戦争が奪ったものの大きさを静かに語りかけています。本作品における遺品もまた、単なるモノではなく、個人の生きた証(あかし)として、原爆の記憶と平和への願いを伝える象徴的な意味を持っています。
石内都の「ひろしま」シリーズは、発表以来、国内外で高く評価されています。被爆の記憶という重いテーマを扱いながらも、センセーショナルな表現を避け、遺品の持つ美しさや繊細さを引き出す写真表現は、多くの人々に感銘を与えました。このシリーズは、単なる記録写真の枠を超え、個人の記憶と歴史、そして生と死という普遍的なテーマを深く掘り下げた芸術作品として認識されています。2014年には、石内都がハッセルブラッド国際写真賞を受賞する際、この「ひろしま」シリーズが受賞理由の一つとして挙げられました。彼女の作品は、戦後日本の写真史における重要な位置を占めるとともに、記憶の継承と平和への問いかけという点で、現代美術においても大きな影響を与え続けています。