香月泰男
NHK日曜美術館50年展にて紹介される香月泰男(かづき やすお)の「青の太陽(あおのたいよう)」は、画家の過酷なシベリア抑留(よくりゅう)体験を昇華させた「シベリア・シリーズ」の中でも、ひときわ鮮やかな色彩が目を引く作品です。1969年に油彩、方解末(ほうかいまつ)、木炭を用いてカンヴァスに描かれ、現在は山口県立美術館(やまぐちけんりつびじゅつかん)に所蔵されています。この作品は、画家が絶望的な状況の中で見出した、ある種の希望と内省の世界を表現していると言えるでしょう。
香月泰男は1911年山口県に生まれ、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で油彩画を学びました。太平洋戦争中の1943年に召集され、満州(まんしゅう)に渡ります。終戦後の1945年にはシベリアのセーヤ収容所へ約2年間抑留されるという、過酷な経験をしました。このシベリアでの体験が、香月のその後の画業に決定的な影響を与え、「シベリア・シリーズ」として知られる57点に及ぶ連作を生み出す原点となります。このシリーズは1947年から1974年の画家の急逝まで、およそ20年以上にわたって描かれました。 「青の太陽」は1969年の制作ですが、その着想は太平洋戦争中の匍匐訓練(ほふくくんれん)にあります。訓練中に地面を這っていた香月は、偶然目にしたアリが自由に巣を行き来する姿に、戦争の不条理と人間社会の醜さを感じました。自らの意思に反して戦場に駆り出される自身と対照的に、地中で平和に生きるアリの姿を見て、「いっそのことアリになって、地中深く潜っていたい。そうすれば、少なくとも、醜い人間同士の争いを見ずに済むのではないか」というやるせない思いを抱いたといいます。この時の記憶と、後に耳にした「深い穴の底から空を見上げると、昼間でも星が見える」という話が結びつき、本作の構図と主題が形成されました。 「シベリア・シリーズ」は、計画的に制作されたものではなく、日常生活の中でふと蘇るシベリアの記憶を、その都度絵画化していくという手法で描かれました。 「青の太陽」は、それまでの「シベリア・シリーズ」の多くに見られる暗鬱なモノクロームの世界から、青などの色彩が大胆に用いられ始めた時期の作品として、画家の心境の変化を示すものと推測されます。
「青の太陽」には、香月泰男が「シベリア・シリーズ」を通して確立した独自の画材と技法が用いられています。主要な素材は油彩、方解末、木炭、そしてカンヴァスです。香月は、油絵具に日本画の岩絵具である方解末(炭酸カルシウムの粉末)を混合し、さらに木炭の粉を油で溶いた墨色の絵具を使用することで、独特の表現を生み出しました。 この技法により、画面には単なる油絵具では得られない、渋みのある土色やマットな黒を基調とした、重厚で深みのある質感がもたらされています。 作品の構図は、黒い色面がまるで階段のように下からせり上がるかたちで描かれ、その先に鮮やかな青色のいびつな形が配されています。これは、地中深くから地面にあいた穴を通して空を見上げた視点を表現しており、画家の意図を明確に伝えるための工夫と言えるでしょう。
作品の構図は、地中深くの穴の底から空を見上げた視点によって描かれています。この青く輝く不整形な形は、地底から見上げた「青い太陽」であり、昼間でも見えるという「星」が瞬いているようにも見えます。 このモチーフは、過酷な現実からの逃避願望、あるいは極限状態の中で見出される一縷の希望を象徴していると考えられます。人間同士の醜い争いから逃れ、アリのように地中深くで平和に過ごしたいという画家の願いは、戦争の悲惨さと平和への希求を強く物語っています。 香月泰男にとって「太陽」は「希望の象徴」であり、「いつも絶対に美しい」存在でした。 かつて「黒い太陽」のように絶望的な光景を描いた香月が、「青の太陽」で鮮やかな青を用いることは、絶望の淵にあっても、なお希望の光を見出そうとする画家の強い意志や、心境の変化を示唆していると解釈されます。 黒い色面が象徴する暗い現実や抑圧された状況の先に、わずかに広がる青い空は、閉ざされた世界の中にも存在する自由や救済への憧れを示していると言えるでしょう。
香月泰男の「シベリア・シリーズ」は、第二次世界大戦後の日本美術史において特筆すべき重要な連作として高く評価されています。 香月は1967年にこのシリーズによって第1回日本芸術大賞を受賞し、その芸術性が広く認められました。 「青の太陽」は「シベリア・シリーズ」の中でも、それまでの作品で支配的だったモノクロームを主体とした暗い色調から、青や赤といった色彩が大胆に使われ始めた転換期の一作として位置づけられています。 この作品は、画家のシベリア抑留という個人的な体験を深く掘り下げながらも、戦争の悲劇や人間の尊厳といった普遍的なテーマを表現している点で、多くの鑑賞者の共感を呼び、今日でもその魅力は色褪せることがありません。 香月独自の画材と技法、そして内面的な心情を深く描写する表現方法は、後世の多くの画家に影響を与えたと推測されます。彼の作品は、年代や描かれたモチーフによって評価が異なるとされていますが、「シベリア・シリーズ」を想起させる作品は特に人気が高く、美術市場においても重要な位置を占めています。 「青の太陽」は、香月泰男の代表作の一つとして、彼の芸術世界を理解する上で不可欠な作品であり続けています。