マティアス・ゲールング
NHK日曜美術館50年展にて紹介されている、マティアス・ゲールングが1544年から1558年にかけて制作した木版画「第二のラッパ(セバスティアン・マイアー『黙示録註解』木版挿絵連作より)」は、宗教改革期ドイツの緊迫した時代精神を映し出す、聖書の黙示録に題材を得た作品です。この版画は、セバスティアン・マイアーの『黙示録註解』のために制作された一連の挿絵の一つであり、現在は町田市立国際版画美術館に収蔵されています。
マティアス・ゲールング(Matthias Gerung, c.1500-1568/1570)は、16世紀ドイツの画家、版画家であり、特にドナウ派(Donauschule)の影響を受けた画家として知られています。この「第二のラッパ」が制作された1544年から1558年にかけての時代は、マルティン・ルター(Martin Luther)による宗教改革がドイツ全土に広がり、カトリック(Catholic)とプロテスタント(Protestant)の間で激しい対立が繰り広げられた激動の時期にあたります。人々は宗教的、社会的な不安の中で、聖書の「ヨハネの黙示録(もくしろく)」に描かれる終末(しゅうまつ)の預言(よげん)に強い関心と恐怖を抱いていました。ゲールングが挿絵を担当したセバスティアン・マイアー(Sebastian Maier)の『黙示録註解』は、このような時代背景の中で、黙示録の預言をプロテスタント的視点から解釈し、人々に信仰のあり方を示そうとした書物であると考えられます。ゲールングは、この書物の理解を深め、また視覚を通じて人々の心に訴えかけることを意図し、黙示録の壮絶な情景を木版画として表現したと推測されます。
この作品に用いられている技法は木版画(もくはんが)であり、素材は木版と紙です。木版画は、15世紀末から16世紀にかけて、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)をはじめとするドイツの画家たちによって飛躍的に発展し、書籍の挿絵や一枚刷りの版画として広く普及しました。版木に彫刻刀で絵柄を彫り込み、インクを塗って紙に転写する木版画は、当時としては比較的手軽に複製が可能であり、宗教的な思想や情報伝達の手段として重要な役割を担いました。ゲールングの木版画は、力強い線描と大胆な明暗のコントラストを特徴としており、黙示録のドラマティックな場面を視覚的に強調しています。緻密な描写と、絵画的な構成力を持ち合わせていることから、版画技術と芸術的表現が高度に融合していたことがうかがえます。
「第二のラッパ」という主題は、聖書の「ヨハネの黙示録」第8章8節から9節に記述されている預言に基づいています。この聖句(せいく)には、「第二の天使がラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが海に投げ込まれ、海の三分の一が血となった。そして、海にいた生き物の三分の一が死に、船の三分の一も破壊された」と記されています。ゲールングはこの終末的な情景を、まさに火を噴きながら海に落下する巨大な物体と、血に染まる海、そしてその中で苦しむ人々や船の残骸として視覚化しています。このモチーフは、神の怒りによる大いなる裁きと、世界の破滅を象徴しています。宗教改革期のドイツにおいて、黙示録は現実社会の混乱やカトリック教会への批判と結びつけられ、終末が間近に迫っているという危機感を人々に与えるものでした。この作品は、そうした時代の人々が抱いていた終末論的な思想と、神による救済への切望を映し出していると言えるでしょう。
マティアス・ゲールングの作品は、同時代のデューラーやルーカス・クラーナハ(Lucas Cranach)といった巨匠に比べると、美術史における研究は限定的であった時期もありますが、そのドナウ派的な景観表現や、宗教改革期のプロテスタント的版画としての重要性が近年再評価されています。彼の木版画は、当時の民衆にとって、文字を読むだけでなく、視覚的に聖書の物語や宗教的教義(きょうぎ)を理解するための重要な媒体となりました。特にセバスティアン・マイアーの『黙示録註解』のための挿絵は、宗教改革思想の普及に貢献したと考えられます。ゲールングの作品は、16世紀ドイツの版画芸術の多様性を示すものであり、宗教改革期の精神性や人々の終末観を理解する上で貴重な資料となっています。後世の美術家への直接的な影響は大きく語られることは少ないものの、その後の版画芸術における物語表現の発展や、宗教的テーマを扱った作品群の中に、彼の制作姿勢や表現が間接的に受け継がれていったと考えることができます。