須田賢司
NHK日曜美術館50年展で紹介される須田賢司(すだ けんじ)の作品「黒柿拭漆小簞笥(くろがきふきうるしこだんす)」は、1994年に制作され、国立工芸館に収蔵されている木工芸品です。本作は、希少な黒柿(くろがき)を素材に、伝統的な指物(さしもの)の技法と拭漆(ふきうるし)の仕上げによって、木材の持つ自然な美しさと職人の精緻な技術が融合した、清雅な佇まいを見せています。
須田賢司は1954年に木工芸家の家に生まれ、祖父の代から続く家業を受け継いだ三代目です。父である須田桑翠(すだ そうすい)に指物技法を、母方の祖父である山口春哉(やまぐち しゅんさい)からは漆芸を学びました。彼の作品制作の根本には、「木の声を聴く」という哲学があり、木を単なる素材としてではなく、作品と不可分な生命体として捉えています。1992年には工房を東京から群馬県甘楽町(かんらまち)に移転しており、これは多種多様な木材を手元に置き、乾燥した環境でじっくりと素材と向き合うためでした。
1990年代は、日本の伝統工芸がその価値を再認識されつつあった時代であり、須田賢司も1975年に日本伝統工芸展に初入選して以来、着実にキャリアを積み重ねていました。本作が制作された1994年には、第41回日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞しており、彼の技術と芸術性が高く評価され始めた時期と重なります。小簞笥という日常的に使用される調度品に、希少な素材と高度な技術を惜しみなく投入することで、機能性と芸術性を両立させ、日本の伝統美を現代に問いかける須田の姿勢がうかがえます。彼は「清雅(せいが)」をモットーとし、清らかで雅な独自の作風を確立しています。
本作に用いられている主要な素材は、非常に希少価値の高い「黒柿(くろがき)」です。黒柿とは、特定の品種ではなく、樹齢150年以上の老木のごく一部に、タンニンが沈殿して墨を流したような黒色の美しい紋様が現れる柿の木のことを指します。数千本に一本ともいわれるその希少性から「銘木(めいぼく)」として珍重され、戦国時代から茶道具や和家具などの伝統工芸品に用いられてきました。木材は硬く密度が高いため加工が難しいですが、適切に扱えば滑らかで美しい仕上がりになります。特に孔雀が羽根を広げたような「孔雀杢(くじゃくもく)」と呼ばれる紋様は、その珍しさと美しさから高い価値を持ちます。
作品は「指物(さしもの)」という伝統的な木工技法で制作されています。指物とは、釘などの金物を使わずに、木と木を精緻な「組み手(くみて)」と呼ばれる凹凸の接合部で組み合わせて作る技法です。平安時代の宮廷文化に起源を持ち、京都で発展した京指物に対し、江戸指物は武家や商人、歌舞伎役者に愛用された生活調度品として発展しました。木材の伸縮や反りを見越した職人の高度な技術が求められ、見えない部分にこそ精緻な細工が施されます。本作は、黒柿の持つ独特の木目を最大限に生かすため、余分な装飾を排し、シンプルながらも堅牢な構造に仕上げられています。
仕上げには「拭漆(ふきうるし)」の技法が用いられています。拭漆は、漆を薄く塗っては布で拭き取る作業を繰り返し行うことで、木地の風合いを生かしながら深みのある艶と耐久性を与える日本古来の技法です。一般的な漆塗りのように厚く塗り重ねるのではなく、木目を透かして仕上げるのが特徴で、木の質感と漆の艶が調和した自然な美しさを生み出します。この技法は、使い込むほどに光沢が増し、味わいが深まるという魅力を持っています。須田賢司は、漆芸を外祖父から学んでおり、木工と漆芸の双方の知識と技術を自身の作品制作に生かしています。
「黒柿拭漆小簞笥」は、単なる収納具としての機能を超え、日本の美意識と工芸の精神を体現しています。小簞笥(こだんす)は、衣類や貴重品を収めるための調度品として、古くから日本人の暮らしに寄り添ってきました。その用途から、持ち主の生活や文化、さらには内面を映し出す象徴的な意味合いを持つことがあります。
黒柿という素材は、「数千本に一本」というその希少性自体が、自然が作り出す奇跡的な美しさと時間の尊さを象徴しています。黒と白、時に緑がかった色合いが織りなす複雑な木目は、まるで抽象画のようであり、同じものが二つとない自然の造形美を最大限に引き出しています。これは、画一的な美ではなく、唯一無二の存在としての価値を見出す日本の精神に通じます。
指物という技法は、木という自然素材の癖を見極め、寸分の狂いなく組み上げることで、素材本来の美しさと堅牢性を両立させます。そこには、自然の摂理に逆らわず、しかし職人の智慧と技術をもって最高の形へと昇華させる、日本人ならではの自然観が込められていると推測されます。また、拭漆によって木目が活かされた仕上がりは、自然素材の肌触りや温もりを直接感じさせ、使う人の五感に訴えかけます。
この小簞笥は、自然の恩恵である希少な木材と、長い歴史の中で培われてきた職人の技術、そしてそれらを調和させようとする須田賢司の深い洞察力と美意識が結晶化した作品と言えるでしょう。機能美の中に宿る静謐(せいひつ)な輝きは、現代社会において忘れられがちな、物と人との丁寧な関係性や、自然への畏敬の念を想起させます。
須田賢司は、祖父、父と続く木工芸家の三代目として、日本の伝統工芸の世界で高く評価されてきた作家です。彼は、伝統的な指物技法を基礎としながらも、現代的な感覚を融合させた独自の作風を確立し、「清雅」をモットーとしています。
「黒柿拭漆小簞笥」が制作された1994年には、第41回日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞しており、この作品自体が彼の初期の代表作の一つとして評価されています。その後も数々の賞を受賞し、2010年には紫綬褒章を受章。そして2014年には、木工芸の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。これは、彼の技術が国の宝として認められたことを意味し、日本の美術史における彼の位置づけを不動のものにしています。
須田賢司の作品は、国内の美術館だけでなく、イギリスの大英博物館にも収蔵されるなど、国際的にも高い評価を得ています。彼はニュージーランドやスウェーデン、デンマークでのワークショップを通じて海外文化交流にも積極的に取り組み、日本の木工芸の技術と精神を世界に発信しています。また、彼は単に伝統を守るだけでなく、木工の歴史を編纂(へんさん)し、学術的価値を見出すなど、後進への教育や木工芸全体の発展にも尽力しています。
彼の作品が後世や他作家に与える影響は大きく、特に希少な天然素材の美しさを最大限に引き出し、伝統的な指物や拭漆の技法を現代的な造形感覚で表現する彼の姿勢は、多くの工芸家に示唆を与えています。素材の選択から仕上げ、そして金具の制作に至るまで、その作品すべてに一貫した美意識が貫かれており、それは単なる技術の継承に留まらない、総合芸術としての木工芸の可能性を示していると言えるでしょう。彼の「木の声を聴く」という哲学は、現代の工芸家たちに、素材との深い対話と探求の重要性を伝えています。