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模造螺鈿紫檀阮咸

吉田包春

「NHK日曜美術館50年展」にて展示される吉田包春(よしだ ほうしゅん)作「模造螺鈿紫檀阮咸(もぞう らでん したん げんかん)」は、明治32年(1899年)に制作された漆工品で、現在は東京国立博物館に所蔵されています。奈良時代に制作された正倉院(しょうそういん)宝物である「螺鈿紫檀阮咸」を忠実に再現した作品として、明治期の伝統工芸の復興と技術の継承を示す貴重な一点です。

背景・経緯・意図

この作品が制作された1899年(明治32年)は、日本の伝統工芸が大きな転換期を迎えていた明治時代中期にあたります。江戸時代までの武家社会(ぶけしゃかい)が終焉(しゅうえん)を迎え、職人たちは従来の庇護者を失いました。しかしその一方で、海外からの評価の高まりや、伝統技術の継承・研究の必要性が認識され、超絶技巧(ちょうぜつぎこう)と呼ばれる精緻な工芸品が数多く生み出されました。

作者の吉田包春は、明治11年(1878年)に奈良の塗師(ぬし)である吉田陽哉(よしだ ようさい)の三男として生まれ、4歳で金工職人の谷森真男(たにもり まさお)に弟子入りし、11歳の時には蒔絵(まきえ)の大家である小川松民(おがわ しょうみん)に師事するため上京するなど、幼少より多様な技術を修得しました。また、宮内省(くないしょう)御用掛の保井抱中(やすい ほうちゅう)や帝室技芸員(ていしつぎげいいん)であった小堀鞆音(こぼり ともと)にも師事し、多岐にわたる研鑽(けんさん)を積んでいます。

吉田包春は、特に正倉院宝物の模造や修理に深く関わったことで知られ、大正10年(1921年)以降、ほぼ毎年正倉院の開封に立ち会い、宝物を間近で見て修復に携わっていたことが分かっています。兄の吉田立斎(よしだ りゅうさい)も明治22年(1889年)に正倉院宝物などに倣(なら)った奈良漆器を制作する「温古社(おんこしゃ)」の工場長を務めており、一家で正倉院宝物の模造や古美術の研究・復興に尽力していたことが推測されます。本作「模造螺鈿紫檀阮咸」は、このような時代背景と、吉田包春の伝統技術への深い理解と探求心から生み出されたものと考えられます。

技法や素材

本作品は、中国の弦楽器である阮咸(げんかん)を模して制作された漆工品です。阮咸は、中国の晋代に活躍した「竹林の七賢」の一人である阮咸が愛用したことからその名が付いたとされる、丸い胴部と長い棹(さお)、そして4本の弦を持つ撥弦(はつげん)楽器です。原品は奈良時代に制作された聖武天皇(しょうむてんのう)の遺愛品であり、日本の正倉院に収蔵されている2点のみが、古代の形状を伝える貴重な阮咸であるとされています。

「模造螺鈿紫檀阮咸」には、その名の通り「螺鈿(らでん)」と「紫檀(したん)」という二つの主要な技法と素材が用いられています。紫檀は、非常に硬く耐久性に優れた高級木材であり、楽器や家具、工芸品に古くから珍重されてきました。

螺鈿は、貝殻や海螺(かいら)の内側の虹色に輝く真珠層(しんじゅそう)を薄片(はくへん)にして、器物の表面にはめ込む象嵌(ぞうがん)技法です。その歴史は古く、中国の周(しゅう)代に始まり、8世紀には日本に伝わり、奈良時代以降独自の発展を遂げました。螺鈿に用いられる貝には、夜光貝(やこうがい)、鮑(あわび)貝、白蝶貝(しろちょうがい)、真珠貝などがあり、本作品の原品では、胴部背面が夜光貝、玳瑁(たいまい)、琥珀(こはく)などを象嵌した螺鈿細工で飾られています。これらの素材を組み合わせることで、光の当たり方によって多様な色彩と輝きを放つ、奥行きのある装飾が施されています。

吉田包春は、漆工の専門家として、これらの貴重な材料と高度な螺鈿・漆塗りの技術を駆使し、原品の細部に至るまで忠実な再現を試みたと考えられます。

意味

「模造螺鈿紫檀阮咸」という作品が持つ意味は、単なる工芸品の再現に留まりません。まず、「阮咸」という楽器自体が持つ歴史的・文化的意義が挙げられます。阮咸は中国から日本に伝来した楽器であり、古代における大陸文化と日本文化の交流を示す象徴的な存在です。特に正倉院に伝わる阮咸は、その稀少性(きしょうせい)と華麗な装飾から、当時の国際色豊かな文化水準を現代に伝える貴重な遺産です。

そして、この作品が「模造」である点に、明治期の日本の美術界が抱いていた深い意図が込められています。明治時代、多くの伝統工芸が西洋化の波にさらされる中で、日本の美術家や研究者たちは、失われつつあった古来の技術や美意識を再評価し、その保存と継承に努めました。正倉院宝物の模造品制作は、単に外見を真似るだけでなく、当時の職人が用いた素材や技法、さらには制作背景に至るまでを深く探求する行為でした。これにより、一度は途絶えかけた技術を蘇らせ、後世に伝える役割を果たしたのです。

吉田包春にとって、この模造品の制作は、自身の卓越した漆工技術を駆使し、千年以上前の古代の美意識と職人技に挑むと同時に、日本の文化遺産を守り、次世代へと繋ぐという使命感の表れであったと推測されます。

評価や影響

吉田包春の「模造螺鈿紫檀阮咸」は、制作された明治32年(1899年)の時点から、その技術的な完成度の高さと歴史的意義において高い評価を受けていたと考えられます。東京国立博物館に収蔵されていることや、奈良女子大学が吉田包春の正倉院模造宝物を多数所蔵し、教育教材として活用している事実は、彼の作品が当時の美術教育や文化財研究において極めて重要視されていたことを示しています。

明治時代から大正時代にかけて、吉田包春は正倉院宝物の修理に携わり、ほぼ毎年、秋の正倉院開封の際には間近で宝物を見る機会を得ていたことが分かっています。このような経験は、彼の模造品制作の精度を一層高めることに貢献したでしょう。彼の作品は、当時の日本が失われつつあった伝統的な漆工技術を再興し、古美術品の美と技術を現代に継承しようとした時代の精神を体現するものです。

吉田包春の模造品制作の活動は、後世の美術家や工芸家に対し、日本の伝統技術の深遠さ(しんえんさ)と、文化財を研究し再現することの重要性を示しました。彼のような職人たちの尽力によって、正倉院宝物のような古代の傑作が現代にまでその姿を伝え、多くの人々に感銘を与え続けています。美術史において、吉田包春の作品は、明治期における伝統工芸の復興運動、特に正倉院宝物の研究と模造を通じて日本の美意識を再構築しようとした動きの、重要な一翼を担うものとして位置づけられています。