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密陀絵盆(模造)

吉田包春

NHK日曜美術館50年展に出品されている、吉田包春(よしだ ほうしゅん)による「密陀絵盆(模造)(みつだえぼん もぞう)」は、1927年頃に乾漆(かんしつ)技法を用いて制作され、東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく)に所蔵されています。この作品は、正倉院(しょうそういん)宝物の密陀絵盆を精緻に再現したもので、日本の伝統工芸技術の継承と研究の重要性を示しています。

背景・経緯・意図

吉田包春は、明治から昭和にかけて活躍した奈良(なら)を代表する漆芸家(しつげいか)であり、兄たちと共に「吉田三兄弟」として奈良漆器(ならしっき)の振興に尽力しました。彼は小川松民(おがわ しょうみん)に蒔絵(まきえ)を師事するなど、卓越した技術を習得し、漆芸のみならず金工(きんこう)や撥鏤(ばちる)といった幅広い分野に精通した「総合芸術家」と称される人物でした。特に、正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)の修理や模造(もぞう)品の製作に深く携わり、1928年には宮内省(くないしょう)より正式に正倉院宝物の模造製作を命じられています。 本作品「密陀絵盆(模造)」が制作された1927年頃は、西洋美術の流入と日本固有の伝統美術・工芸の再評価が同時に進んでいた時代です。吉田包春がこの時期に正倉院宝物の模造に携わった背景には、失われつつあった古代の高度な技術を正確に研究し、次世代へと継承していくという強い使命感があったと考えられます。特に、東京藝術大学に所蔵されていることからも、教育的・学術的な目的をもって制作されたと推測されます。

技法や素材

本作品は「乾漆(かんしつ)」と「密陀絵(みつだえ)」という、日本の伝統的な漆芸と絵画技法を組み合わせて制作されています。乾漆は、木や竹の骨組み、あるいは粘土などで作った原型の表面に麻布(あさぬの)を漆(うるし)で幾層にも貼り重ねて形を作り、乾燥させた後に原型を取り除いて中空にすることで、軽くて丈夫な造形を実現する技法です。特に、奈良時代の仏像制作に多用されたことで知られ、木彫では表現が難しい柔らかな曲線や繊細な表情を可能にします。 密陀絵は、唐代(とうだい)の中国で始まり、奈良時代に日本に伝わった油絵の一種で、桐油(きりゆ)などの植物油に密陀僧(みつだそう)(一酸化鉛(いっさんかえん))を加えて煮沸し、乾燥性を高めた油で顔料(がんりょう)を練って描く技法です。伝統的な漆絵(うるしえ)では表現が難しい白色や中間色、鮮明な色彩を自由に発色できる点が特徴です。本作品は、乾漆で成形された盆の表面に、白の密陀絵と白漆(しろうるし)による線描(せんびょう)が施され、裏面には潤塗(うるみぬり)の上に白密陀絵による線描で文様が描かれているとされています。この複雑な技法の組み合わせは、吉田包春の高度な技術と、原物への深い理解を示しています。

意味

「密陀絵盆(模造)」の「模造」という性格は、単なる複製を超えた多層的な意味を持っています。オリジナルである正倉院の密陀絵盆は、奈良時代に大陸から伝来した先進的な文化と技術の粋(すい)を集めた宝物であり、当時の国際性や文化交流の豊かさを象徴しています。吉田包春による模造は、まずその失われた古代の美と技術を現代に蘇らせ、我々が直接触れることのできない歴史的な遺産を体験する機会を提供します。 また、模造品の製作は、オリジナルの持つ技法や素材、構造を深く探求し、解明する学術的な意味合いも持ちます。吉田包春が正倉院宝物の修復にも携わっていたことから、本作品は単なる形態の再現に留まらず、技法の再現を通じて当時の職人の思考や技術を追体験し、その本質を理解しようとする試みであったと考えられます。古代の文化財に対する敬意と、それを現代に伝えるという強い意志が込められていると言えるでしょう。

評価や影響

吉田包春の正倉院宝物の模造製作は、発表当時からその精巧さと忠実性が高く評価されていました。特に、戦前において正倉院宝物がごく限られた人々にしか観覧を許されなかった時代に、彼の模造品は貴重な学習資料として、また日本の伝統工芸技術の素晴らしさを伝えるものとして重要な役割を果たしました。奈良女子大学(ならじょしだいがく)をはじめとする多くの教育機関が、吉田包春の手による正倉院模造宝物を教材として収集していたことは、彼の作品が学術的価値と教育的意義を認められていた証拠です。 現代においても、吉田包春の作品、特に正倉院模造宝物は、日本の伝統漆芸の技術を研究する上で極めて重要な資料と位置づけられています。彼の精緻な模造技術は、後世の漆芸家や文化財保存の専門家たちに大きな影響を与え、古代の技法を現代に継承していくための礎(いしずえ)となりました。美術史において、吉田包春は単なる漆芸家としてだけでなく、伝統技術の保護者であり、その探求者としても高く評価されており、彼の「密陀絵盆(模造)」は、その業績を示す象徴的な作品の一つと言えるでしょう。