歌川国芳
NHK日曜美術館50年展に展示されている歌川国芳(うたがわくによし)の「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり ろうりはくちょうちょうじゅん)」は、江戸時代後期に制作された大判錦絵(おおばん にしきえ)です。中国の伝奇小説『水滸伝(すいこでん)』に登場する豪傑の一人、張順(ちょうじゅん)が波濤(はとう)の中で躍動する姿を描いた本作は、国芳の代表的な武者絵(むしゃえ)シリーズの一つとして知られ、太田記念美術館に所蔵されています。
本作が制作された19世紀の江戸時代は、徳川幕府による鎖国政策が続きつつも、庶民文化が爛熟(らんじゅく)し、錦絵をはじめとする浮世絵(うきよえ)が隆盛を極めた時代でした。一方で、世情不安や社会の変化も進み、人々の間には現実社会の不満を背景とした非日常的な世界への憧れや、強い力を持つ英雄像への共感が広がっていました。歌川国芳が『通俗水滸伝豪傑百八人之壹人』シリーズを発表したのは1827年頃からで、これは清(しん)の国で出版された『水滸伝』の翻訳本が日本で人気を博していた時期と重なります。国芳は、それまで人気を博していた美人画や役者絵とは一線を画し、勇壮な武者絵で一躍その名を高めました。このシリーズは、幕府による奢侈禁止令(しゃしきんしれい)など厳しい取り締まりが敷かれる中で、歴史や伝説上の人物を描くことで、同時代の風俗画とは異なる表現の自由を追求した作品であったと推測されます。国芳の意図としては、強靭(きょうじん)な肉体を持つ英雄たちの姿を通して、当時の人々に力強さや痛快さを提供し、日常の抑圧からの解放感を与えようとしたものと考えられます。
「浪裡白跳張順」は、江戸時代の浮世絵版画の頂点を極めた「錦絵」の技法を用いて制作された大判の作品です。複数の色板を重ねて摺(す)り重ねる多色摺りの技術により、鮮やかな色彩表現が可能となりました。特に、水の表現には、輪郭線を用いずに色をぼかす「ぼかし」の技法が効果的に使われており、張順を取り巻く波の動きや水しぶきの躍動感が巧みに表現されています。また、張順の筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした肉体や、荒々しい表情、体毛の一本一本に至るまで、国芳ならではの精緻(せいち)で力強い描線が特徴です。使用されている素材は、江戸時代に普及した楮(こうぞ)や三椏(みつまた)などの和紙と、植物性や鉱物性の顔料(がんりょう)で、これらが鮮やかな発色と耐久性を生み出しています。国芳は、彫り師や摺り師との密接な連携により、彫りの深さや摺りの加減にまで工夫を凝らし、登場人物の迫力と画面全体の臨場感を最大限に引き出すことに成功しました。
本作に描かれる「浪裡白跳張順」の張順は、『水滸伝』に登場する梁山泊(りょうざんぱく)の好漢(こうかん)の一人で、特に水中戦を得意とする豪傑として知られています。彼のあだ名である「浪裡白跳」は、白い肌で波間を自在に駆け巡る様子から名付けられたとされます。水滸伝の物語自体が、時の不正な権力に反抗し、義侠心(ぎきょうしん)をもって集結した英雄たちの活躍を描くものであり、当時の庶民にとっては、社会の不満や鬱憤(うっぷん)を晴らす痛快な物語として受け入れられていました。国芳が張順を波濤の中で描くことで、彼の超人的な水中での能力、そしていかなる困難にも臆することなく立ち向かう英雄の姿を象徴的に表現しています。これは、個人の力ではどうすることもできない閉塞感(へいそくかん)を抱える人々に対し、困難を乗り越える希望や強さを提示する意味合いがあったと考えられます。
歌川国芳の『通俗水滸伝豪傑百八人之壹人』シリーズは、発表当時、圧倒的な人気を博し、国芳を武者絵の第一人者としての地位に押し上げました。それまでの浮世絵界では美人画や役者絵が主流でしたが、国芳はこのシリーズによって武者絵のジャンルを確立し、多くの追随者を生み出しました。その豪快でダイナミックな構図、人物描写の迫力、そして細部にわたる描写力は、現代においても高く評価されています。特に「浪裡白跳張順」に見られる水の表現や人物の肉体表現は、後世の浮世絵師だけでなく、明治以降の日本画、さらには現代の漫画やイラストレーション、刺青(いれずみ)文化に至るまで、幅広い分野に影響を与えたと考えられています。美術史において、国芳は葛飾北斎(かつしかほくさい)や歌川広重(うたがわひろしげ)と並び称される浮世絵の巨匠の一人として位置づけられ、その革新的な表現は浮世絵の多様性と可能性を広げたとして、現代でも国際的に高い評価を受けています。