長沢芦雪
NHK日曜美術館50年展において、長沢芦雪(ながさわろせつ)の傑作、松江市指定文化財「龍図襖絵(りゅうずふすまえ)」(通称:雲龍図)が紹介されています。この作品は、江戸時代後期、18世紀に制作された紙本墨画(しほんぼくが)の大作であり、島根県西光寺(さいこうじ)に伝わるものです。芦雪ならではの力強い筆致で描かれた龍が、見る者を圧倒する迫力を持つ逸品です。
長沢芦雪は、18世紀後半の江戸時代に活躍した円山応挙(まるやまおうきょ)門下の絵師です。応挙が確立した写生を基盤とする円山派(まるやまは)の様式を受け継ぎながらも、その枠に収まらない奔放で独創的な表現を追求したことで知られています。本作品「龍図襖絵」は、島根県益田市(ますだし)にある西光寺の依頼を受けて制作されたと考えられています。当時の絵師にとって、寺院からの襖絵制作の依頼は主要な仕事の一つであり、芦雪も各地の寺院に襖絵を残しました。芦雪は、伝統的な龍図の形式を踏まえつつも、自己の強烈な個性をいかんなく発揮し、墨の濃淡と筆の勢いのみで、荒々しくも生命力に満ちた龍を描き出そうとしたと推測されます。
本作品は、紙を素材とし、墨一色で描かれた「紙本墨画(しほんぼくが)」の襖絵(ふすまえ)です。芦雪は墨の濃淡を巧みに操り、筆の速さや圧力によって多様な表情を生み出す墨画(ぼくが)の大家でした。特に注目すべきは、そのダイナミックな筆致です。かすれたような渇筆(かっぴつ)から、墨がにじむ湿潤な筆致まで、一つの画面に多様な墨の表現が凝縮されています。また、体のうねりや鱗(うろこ)の表現においては、細部への描写も怠らず、しかし全体としては大胆な省略と誇張を用いることで、見る者に強い印象を与えることに成功しています。このような技法は、墨の持つ無限の可能性を追求した芦雪ならではの工夫と言えるでしょう。
東洋において、龍は古くから聖なる存在として崇められてきました。水を司(つかさど)り、雲や雷を伴って天を昇降する神獣とされ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や天下泰平(てんかたいへい)の象徴とされてきました。また、皇帝の権威の象徴でもあり、仏教においては仏法(ぶっぽう)の守護神としても位置づけられています。本作品が制作された寺院という場所柄を考えると、龍は寺院や仏教の教えを守る存在、あるいは仏の慈悲(じひ)や威厳(いげん)を表すモチーフとして描かれたと考えられます。芦雪の描く龍は、単なる吉祥(きっしょう)の象徴に留まらず、荒々しい自然の力や宇宙的なエネルギーそのものを表現しようとする、作者の深遠な思想が込められていると推測されます。
長沢芦雪の作品は、その生前から、円山応挙の正統な弟子でありながらも、師とは異なる独自の表現を追求する絵師として評価されていました。彼の龍図襖絵は、見る者に強烈な印象を与えるその圧倒的な迫力と、墨一色で表現されたとは思えないほどの豊かな感情表現が特徴です。没後、一時はその奇抜さゆえに正当な評価を得られない時期もありましたが、近年では「奇想の画家(きそうのがか)」の一人として再評価が進み、江戸絵画史において極めて重要な位置を占めるようになりました。大胆な構図や筆致、そして常識にとらわれない発想は、後世の画家たちにも少なからず影響を与え、日本美術における表現の可能性を広げたと考えられます。松江市指定文化財に指定されていることは、この作品が地域にとっても歴史的・芸術的に極めて価値の高いものであることを示しています。